周囲を気にかけてしまう性被害者

周囲を気にかけてしまう性被害者

「性暴力被害は、子供の心に深いトラウマを残す。『心配をかけたくない』という子供なりの優しさや気遣いから、大丈夫そうに振る舞っていても、本人は苦しみ続けているケースは多い。」引用元 読売新聞 教員からわいせつ行為、命絶った女子生徒の母「慕う気持ち利用…許せぬ」

被害者の立場なのに、自分が悪いと罪悪感も持ってしまう性被害者の方もいます。私もそうでしたし、この記事の女子生徒さんも、私と同じ感覚だったと思います。

人はつらい出来事が起きて、それが100%被害者の立場でも、人を完全に恨むことはできない。だからその葛藤で苦しむのだと思います。他者を悪にするよりも自分自身を悪にしてしまいます。

そして、子どもが一番に考えていることは、親のことです。親が平和で平穏であるよう願っています。それが崩れるくらいなら、自己犠牲を払ってでも親を守り続けます。

ですから、子どもの表面的な言葉や行動だけではなく、裏に隠れている感情に気づける大人が増えて欲しい。そうしたら、必然と性被害、性暴力は減ってきます。気にかけてもらえている存在、大切にされている存在だと認識できるだけで、それだけで、子どもは自分を傷つけることはしなくなるからです。そうすることで、この国の子どもたちを大事にしていることになり、それは、国を存続させることにもなります。

他国の子どもたちのほうが可哀想と思っている日本国民

他国の子どもたちのほうが可哀想と思っている日本国民

発展途上国や戦争、紛争地域で、泣いている子どもたちを、テレビなどの映像で見ることがあると思います。その状況から、多くの方は「日本は平和だ」「子どもたちは日本で生まれ育ってよかった」と、他国の子どもたちのほうが可哀想だと思うのが一般的です。でも、本当に日本の子どもたちは幸せなのでしょうか。守られているのでしょうか。この日本は平和で安全で、涙を流す子どもたちは少ないのでしょうか。

この国の若者(15~39歳)の死因第一位は「自殺」です。2020年は、小〜高校生の自殺者は499人と過去最多でした。(これは氷山の一角です。)
若年層の自殺をめぐる状況 – 厚生労働省
コロナ禍における児童生徒の自殺等に関する現状について 文部科学省
PRESIDENT Online「なぜ子どもの自殺が「過去最悪」となっているのか」

実際、私は、大人から守られることはなく、性被害者となりました。あまり守られたという感覚は持っていません。

そして、現代では、児童相談所(または児童養護施設)の問題もあります。ここでも、性被害や虐待などの問題があり、守られるべき場所で子どもたちは守られていない現実があります。
児童相談所の怖い話/内海聡
児童養護施設「わいせつ職員」5年で47人、被害に遭った子供は69人…読売調査 読売新聞オンライン

この日本は、子どもたちにとっては戦場のような場所になってしまいました。生き抜くために子どもたちは今まで以上に必死にならなければいけません。

そして、本来、子どもたちは信用したい大人を信用できないほど狂った国になっているのです。涙を流している子どもたちは今もどこかでいるでしょう。

子どもたちの病気も多く、今まで聞いたことのない疾患も増え、精神疾患も増え、食べていくことも難しい子どもたちもいます。

家庭不和も増えてきているのではないでしょうか。どこか冷えきった家庭になってしまい、感情を隠す子どもたちは増えています。そして、大人や親の顔色を伺いながら、繊細に生きている子どもたちは増えています。

しっかりこの国の現実を直視してみると、悲しんでいる子どもたちは、思っている数よりもとても多いのです。

その悲しみや涙を喜びや笑顔にしていくには、大人たちがまず、この国が沈みかかっている状態だと自覚することが大事です。子どもたちの見えない、聞こえない声や感情に気づいてあげることで、ほんのわずかかもしれませんが、変化が訪れます。

そして、一番重要なのは、子どもたちを苦しめているのが、私たち大人だということを自覚することです。目先の利益にとらわれて、楽なほうへ流されて、子どもたちの育っていく環境を破壊しているのは大人だということを、まずは認識するべきです。

今、殻を破ろうと必死なんだ

今、殻を破ろうと必死なんだ

性被害者として、人との距離を取ってきたので、人に近づくことには、時には恐怖を感じることもあります。今日は、橋本絢子さんのプロライター養成塾に参加して、私が書いているブログやホームページを観ていただいて、絢子さんから感想を聞いて、まだ私には硬い殻があるんだということがわかり、まだ剥がれていない殻があることを自覚して、ショックでした。まだまだ、人にも社会にもブロックしている自分がいました。

橋本絢子オフィシャルサイト(株式会社ジュビリー代表取締役)

しかし、もし、これが日本ではなく、他国の戦争状態や大変な社会情勢の中で、「人や社会にブロックがある」などといっていられるでしょうか。過酷な状況下でブロックがあるなどいっていたら、命の危険性は高まるばかりです。

人は完全でもなく、常に強いわけでもないので、時には弱くなることはあり、そういう時には、人から優しさや温かみを感じることは必要です。そして、そこから力を得て、強く逞しく生きていけるのだと思います。

でも、私は弱者のままでは嫌です。弱さは生きる力を失ってしまうからです。生きる力が低下してしまうと、自分らしさを出すことができず、自信もなくなり、人との距離もできてしまいます。弱者という権利を主張してその利益を得ようともしてしまうし、弱くなると誰かに支配されやすくもなります。

自由に生きるため、自分らしく生きるため、トラウマに負けないため、そして、生まれ持った力を発揮したいために、人や社会に対してもうブロックがあるなどといいたくも思いたくもない。

私の言葉がトラウマを抱えている人の後押しになるよう、トラウマに負けないぐらいに生きている人間がここにいるということが、誰かに伝わればいいなと思います。

人を信じることは一生ない

人を信じることは一生ない

性被害に限らず、誰でも強いトラウマがあれば、人を信じることはなかなかできないと思います。しかし、そもそも人を信用している人はいるのでしょうか。信用していないからこそ、様々な書類や契約書などは存在しているのだと思います。ビジネスなど駆け引きは存在します。

信じるということは私には難しいことですが、それでも孤立するのも苦しいです。人は人の温かみや空気など感じて生きていくのだと思います。もし、人に近づいて信用できない事柄が起きたとしたら、それは誰のせいでもない、自分自身が他者を信じきれなかったから。

生物として人間は特別でもないので、何かを信じるよりも、自分自身を信じることができればそれだけでいいのかなと思います。信じることも救うことができるのも、自分自身。直感を信じて生きていたい。