生きづらさには無価値観や存在否定が隠れている

生きづらさには無価値観や存在否定が隠れている

私自身、生きていていいのかという感覚はいつの頃からか持っていました。あまり気遣ってもらえない環境で育ち、存在自体をどこかで否定していたと思います。誰かにそうされていたというよりは、自分自身がそれを望んていたということが、精神分析をしてみて気づいた点です。

性被害ももちろん理由のひとつです。しかしそればかりではありません。中間子は特に兄弟の中では気遣ってもらえないという立ち位置です。家系図をみていくと、あらゆる連鎖によりさらに理由は顕在化してきます。

現代ではいじめやネグレクトなどの問題がありますが、親から気遣われていない状態なので、それらも無価値観を感じる要素になります。

幼少期から大事なことは親からの承認です。存在していていい、生きていていい、食べたり飲んだりしていい、気遣ってもらえる存在でいいという、自然の承認を子どもは得る必要があります。しかし、現代では親からの承認を得ることが難しい時代です。子育てもみたようにしかできないので、努力が必要な時代となりました。核家族化で家族が小家族でバラバラになりやすく、余裕も持てない時代です。

そのような家庭環境で育った大人がまた家族を持って、また同じような家庭環境を作り出すということが繰り返されています。

どこかで繰り返される今の状態を止めなければなりません。そのためには社会全体、政治を変えていくしかありません。

自分の生きづらさの理由に向き合い、政治や社会に関与していくことは労力がいりますが、それでも一人ひとりが取り組もうと努力したら、国も家庭環境も改善の余地はあると思います。子どもたちは子どもらしく生き、存在していていいという確固とした親からの承認を得ることができると思います。ですから、社会や政治や社会問題から逃げずに、自己の問題からも逃げずに向き合う人が増えていってほしい。そういう思いで、政治活動をしております。

感情の毒を出す

感情の毒を出す

社会毒の定義は四毒という言葉も流行っており、今では社会的に周知されてきています。

社会毒とは、昔は人が食べたり使ったりしなかった物質、そしてそれが人体に悪影響をもたらす物質の総称です。

具体的に述べるとすれば、西洋薬に代表される薬と呼ばれる物質、農薬、食品添加物(保存料、着色料その他)、遺伝子組み換え食品、環境ホルモン、毒性元素、殺虫剤、洗剤、漂白剤その他、石油精製物質(薬のほかにプラスチックなど)、強力な電気、電磁波、工業系有害物質、住宅系有害物質、大気汚染物質、人為的放射能、砂糖、人工甘味料などに代表される物質のことだ。(著者内海聡/医学不要論より引用)
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がんや難病などの現代病は社会毒が影響を及ぼしていますが、社会毒は日常では意識していても完全には避けることができない現代です。

社会毒には脂溶性毒性とミネラル毒性があり、大半の人にとってはすぐに体調の変化がありません。急性毒性ではなく、慢性毒性により病が作られていくのが特徴です。ですから、あなたの状態や症状、病気に対して、何が原因となっているのかを、社会毒という視点から探していかなければなりません。その視点を持っていないのが西洋医学であり医療の現場です。対症療法による薬物療法では、体に薬という脂溶性毒を入れているだけであり、体に悪さをしている社会毒は排出されなければならないというのは、子どもでもわかるのではないでしょうか。

社会毒は脂肪に溜まるのが特徴です。脂肪に溜まり続け血液中に出たり入ったりの繰り返しにより全身をめぐり、じわじわと体を蝕んでいきます。脳は脂肪の塊ですし、神経や細胞にさえ影響を及ぼします。ですから汗などで毒を出し、新たな油を入れる。生活で意識していただきたい。

そして社会毒と同様に、感情の毒も意識してほしい。

私も結局は、感情の毒も溜まりきっていました。本当の気持ちに気づきたくなくて、心の奥底の感情を封じていました。

現代では綺麗事のオンパレードです。体裁主義で見栄えよければそれでよしではないでしょうか。波風を立てず、相手を思いやるふりをして、それはただの偽善者です。人には表層心理と深層心理が必ず働いています。本当は毒を誰もが持っています。感情の毒を持っている。それが本音であり本心の正体だとしたら、毒を常に自分の奥底に溜め込んでいることになります。そしてその毒は社会毒のようにいつの頃からか精神を蝕み、問題が発生する。溜め込んだ感情の毒にも周波数があり、その周波数によりあなた独自の病気や問題を作り出します。

ですから、その感情の毒に気づき、毒を吐くことも重要です。家族や周囲に合わせて自分ではない誰かを演じている人にこそ取り組んでほしい事柄です。取り繕った綺麗な言葉など今の社会では有害なのかもしれません。その言葉の裏側には結局は汚い感情が隠れているからです。そのことに気づくだけでも、感情の毒は出せると思います。一番は自分の感情を言葉にして出すのがいいのですけどね。

闇が満ちれば光は生まれる

闇が満ちれば光は生まれる

あなたは闇をみたことがあるか。自分の生き方考え方や、日本の悲惨な現状、地球上で起きている事柄など、闇深さはどこにでも存在する。いじめ、DV、性虐待など、またそれ以上にこの世には目を背けたくなるような闇深い状態は存在します。

人は自分の生き方考え方であらゆる選択を日々しています。何を食べるか、誰と会うか、どの組織で仕事をするかなど。選択の連続で今の現状は生まれており、それが息苦しく、何かしらの症状が出ているのなら、その背後にはあなたの「闇の事象」『闇の歴史』があるのは確かです。

しかし、人は治したいといいながら、変わりたいといいながら、その闇をみようとしない。

自分の闇をみないから、社会全体の闇さえもみようとしない。闇という感覚さえないかもしれません。

「もろい人の心は深淵の前に砕けてしまう。闇を見る者を闇もまたひとしく見るからだ」

このセリフはナウシカに出てくる言葉です。ナウシカは絶望から闇堕ちしたかもしれない。しかし、人間界すべての汚れきった闇の状態を受け入れ、意識を取り戻しました。闇を受け入れ、また自分の罪深さも受け入れ、その強さと生命力で、ともに生きようと決意したのだと思います。

精神分析で自分と向き合うことは「闇」に向き合う作業でもあります。どこまでもどこまでもその闇は続いていきます。煩悩まみれで欲深く被害者意識が強い人間社会で生きているのですから当然です。何ひとつ地球に対してよいことをおこなっていないのが、人間という生き物です。

人の罪深さ、人類の歴史の闇深さに向き合う生命力があれば、向上心が生まれてくるのではないでしょうか。

闇が満ちたとき、はじめて光は生まれるのだと思います。

私もそうしてうつ病や性被害というトラウマや生きづらさという闇から、這い上がる力が生まれました。完全な人間にはなれませんが、今よりまともな人間になりたい。

病を治すとは自分の闇に向き合うことであり、現実に直面することであり、この世の闇深さをみようとすることです。そうしたら、病んでいる日本の状態はなおることができると私は信じています。

心身ともに病をなおすとき、問題の根源となる「自己」に向き合うことはとても重要なのですが、どうして人は自分をみなくなってしまったのですかね。同様に日本の病をなおすとき、日本の闇をみることは重要ですが、言葉にすることさえもうできない時代がやってくるというのが今の日本の現状です。精神的な話や哲学的な話ができなくなるのは、それもまた悲しい現実です。今では思想を持った人は変人扱いの時代になりました。

エホバの証人と権利欲

エホバの証人と権利欲

終わりの日であるハルマゲドンまで、エホバの証人として神の僕としてエホバ神から離れなければ救われる。永遠の命が約束されていたからこそ、家族や社会から迫害されても忍耐できるのが、エホバの証人です。

神から選べれた民であり、特別な存在であり、救われて当然と思う。いわゆる選民思想のような感覚が構築されていました。これだけ社会から疎外され、迫害され、忍耐してきたのだから、エホバ神のご意志である、神の王国、楽園について日々、宣べ伝えてきたのだから、救われて当然という意識は、日に日に強まっていたのではないかと思います。

迫害という環境にいると、ムチを打たれたような状態でもあるので、人の「生」というものは強化され、永遠に生きたい、永遠に生きて当たり前の存在と思ってしまうのかもしれません。これだけ耐えてきたのだから、永遠の命という徳があってもいいのではないかと思っていたと思います。子どもを宗教で支配して傷つけていたというのに。

人というのは権利欲の塊です。権利を享受して当たり前と考え、子どもや先の世代のことよりも自分のことしか考えていません。どうやって簡単、お手軽に自己の欲望を叶えられるかと考え、自分がおこなうべきことはせず、義務みたいなものを果たそうとせず、挙げ句の果てには、自分の思うようにならなければ文句ばかりです。

そのような人間がはたして本当に選ばれた民なのでしょうか。

全世界の人の命をきづかい、救いたいと思っているのなら、ノアの箱船の扉が閉まる時に、箱船に乗る権利を譲ると思いますが、それができないのが人間です。どこまでも自分のことばかりであり、自分の権利の主張ばかりです。

宗教とは、自己に向きあるツールです。しかし、エホバの証人時はまったく自己に向き合っていませんでした。自分の醜い部分はみようとはしなかった。組織と聖書と神のことばをおこない、独自性がなく、みな同じがいいとロボットのように生き、その道からはみ出さないように生きていました。

エホバの証人だけではない。組織から離れてもやはり、受けて当たり前というのが人のこころには強く存在します。依存心からそうさせていると思います。調べない、考えない、すぐに答えを欲しいから、依存心が働く。

そして、日本ではすでに生きる権利は奪われはじめています。出生数減少、人口減少からもわかるように、生存権が脅かされているのです。