宗教二世と表面化しない生きづらさ

宗教二世と表面化しない生きづらさ

今回、プロライター橋本絢子さんとの宗教二世三世の生きづらさというテーマについての対談で、改めて自分自身の特に幼少期の感情に向き合うことができました。まだまだ、自分自身に向き合えていない部分もあり、多くのもの、重たい荷物のようなものを、奥のほうに追いやり、見えないように閉じ込め、感情も封じてきたことが理解できました。

宗教2世の人が生きやすくなるために必要なこと(橋本絢子Ayako Hashimoto YouTubeチャンネル)

動画内では、0歳〜21歳までは、自分らしく生きてきたんじゃないかなと思い、それほど強く生きづらさを感じてはいなかったことを話しました。

しかし、時々、無気力になることもあり、幸せになる罪悪感もあったり、だからこそ自分優先ではなかったり、時には突然涙が出たり、悲しみを隠そうと笑っていることも多かったりと、学生の頃から生きづらさを感じていたことがわかりました。日常で人形を演じたり、思っている感情を封じていたりする自分がいました。本来の自分を表現できず我慢の連続だったと思います。

表面化されない生きづらさを抱えている宗教二世三世の人たちは多いのかもしれません。宗教家庭に限らず、今では、家庭や社会や経済の状態も悪くなり、つらい状況の中で生きている子どもたちは沢山います。

でも、そういう子どもたちに限って本当の気持ちを隠して、よく笑っているようにも見えます。

その状態を認めたくない、不幸な自分を認めたくない、自分が哀れな人になる、そして一番は親が悲しむから。そう感じて自分自身を隠してしまう子どもたちは必ずいます。

そのため、私自身も一番思っていることは表面には出てきていませんでした。生きづらさは表面化しませんでした。生きづらさを感じないよう、必死に日常を過ごしていました。

その後、21歳で結婚し、数年後うつ病になり、やっと感情を症状で表現できたのかもしれません。

病気は必ず心が影響していますし、奥底にある隠した思いが病気を作り出していますので、そうできたことはよかったのかもしれません。表面化しない生きづらさからほんの僅かですが、症状が出ることで表面化してきたと思います。

以前は悲しみや苦しみの感情を押し殺して、無感覚になって、笑っていました。宗教家庭で育ったということをはじめ、性被害や父親の死や母子家庭など、つらい出来事を、その出来事からくる悲しみや寂しさや憤りや苦しみなどの感情を、出さないようにしてきました。感じないようにしてきました。結婚後、出さないようにしてきた感情を少しだけ感じることができ、うつ病という病気を作り出したのではないかと思います。

症状はお知らせのようなもので、自分自身に向けたメッセージでもあります。本当は有り難いものだと思います。しかし、現代の対応では症状は「消す」というのが主流になっています。薬で抑えるというのが現代医学の対策です。せっかくのメッセージを抑え、消してしまうのは愚かな対応です。私も同じことをしてきてしまいました。そして、症状も抑えて封じて消してしまうから、生きづらさをより一層深めてきました。症状をはじめ生きづらさの原因も複雑になりややこしくなっていました。

今回の対談で表面化しない生きづらさも存在することに気づくこともできました。言葉にも想いにもならないような生きづらさは存在します。

あなたの生きづらさはどのような感じでしょうか。

「私は生きづらさなど感じたこともなく、毎日、穏やかに過ごしている。」そう思うかたもいると思います。しかし、すべての人間は必ずアダルトチルドレンであり、何かを演じながら、何かを封じながら生きています。すべての人が少なからず生きづらさを感じているのではないでしょうか。

もし、目の前に問題があるとしたら、表面化されない生きづらさというものが存在するということを、知っていただけたらいいなと思います。そういう視点で生きづらさについて何か考察していただけましたら幸いです。

被害者意識の脱却から自分らしさがうまれる

被害者意識の脱却から自分らしさがうまれる

被害者になることは簡単です。私もいつでも被害者になれます。性被害者として、薬害にあったものとして、陰湿ないじめもありました。人は必ず被害者になれる場面があるはずです。しかし、本当に被害者なのでしょうか。もしかしたら、あなたが望んでいたことかもしれません。

内海式精神構造分析で精神分析をしていくとき、現実は自分自身が作り出しているという視点で分析していきます。そういう視点からではないと、問題の根源にたどりつけないからです。問題は問題のまま、生き方も考え方も変わらないままです。実際、私も被害者意識で生きていたときは、まったく問題は解決されませんでした。生きづらさを抱えたまま、誰かに合わせるだけの人生でした。自分らしさをまったく出せていない人生でした。

しかし、すべては自分が作り出している、被害者とは真逆の加害者であり、確信犯であり、そういう視点で物事をとらえたときに、今までどうして生きづらい人生だったのか、息苦しい人生だったのかという答えを見つけることができました。

それは、とても苦しいことです。つらい作業です。

でも、もう、誰のせいとか言いたくはない。私の人生は私そのものであり、誰にコントロールされているものではないからです。そういうのはもう嫌だからです。残りの人生も、支配もコントロールもされない人生を送りたい。

被害者意識を持つことには利益があります。疾病利益があるのです。自分のアイデンティティを守ることもできます。醜さを見ずにすみます。周りから優しくされます。自分は悪くないといえます。いろいろと都合がいいのです。だからみな、被害者をやめられません。

強さが求められますが、ぜひ、被害者意識から脱却してほしい。そうしたら、この国は、少しは改善の見込みが生まれるのかもしれません。

内海式精神構造分析と先祖供養の関係性

内海式精神構造分析と先祖供養の関係性

内海式精神構造分析では家系図を作成していき、そこから何を封じてきたのか、何を演じてきたのか、何を見て、何を見てこなかったのか、どんなフラクタル構図があるのか、どんなジレンマやメタファーが隠れているのかなど見ていきます。ですから、先祖が必ず関係してきます。先人が何をおこなってきたのか、どの点が同じで、どの点が違うのか、それを見ていき、そこから持っているあらゆる問題の根源を見つけていきます。

そうすると、「先祖供養したほうがいいのか」と思うかたも、少なからずいるのではないかと思います。

私はお墓参りには今も行っていませんし、内海式精神構造分析法を発案された、内海聡医師からもそのようにいわれたことは一度もありません。先祖供養しようがしまいが、問題をよい方向へ向かわせるためには、あまり関係はないと思っています。

先祖供養、先祖崇拝したければそれでいい。
したくないほど憎しみがあるのならしなくてもいい。

供養よりも大事なことは、前の歴史に向き合う、つまり、自己に向き合い、今まで気づくことがなかった事柄を自覚することが一番重要です。

自分自身がどこからどのようなつながりを持って存在し始めたのか、自分自身が一体「何者」なのかということを知ることが大切だと思っています。生まれた時と幼少期の環境も知ることが大事ですが、自分が存在する前に何が起きたのか、どういう家系だったのかと、掘り起こしたり、想像したり、向き合う作業が重要です。すべてはつながっており、私たち人間は同じことをしてしまうからです。形は変わっていても同じようなことをします。

家系図は情報が多ければ多いほど推察の材料となりますが、パターンがある程度わかれば、それほど情報がなくても分析できます。特に私のような生きづらさを感じているかたや、死が関係するような病気、ずっと精神薬を服用されているかたは、内海式精神構造分析で自分自身を知るのも、一つの手法だと思います。この分析法だけでなく、自己に向き合う姿勢が持てたら、それは誰かのせいにするのではなく、自分自身に問題の根源があるという認識が持てていますので、そういうかたは、問題に対する解釈が進んでいきます。

もし子どもが性被害にあったら、親として何ができるか

もし子どもが性被害にあったら、親として何ができるか

もし子どもが性被害者となった時、親は被害者の立場にならないこと。あなたがそれを望んでいたという視点で物事を見ていただきたい。

きっとこの文章を読んだだけで、怒り心頭に発するでしょう。子どもが被害者なのだから、私たち親も傷ついた被害者だと主張するでしょう。しかし、それでは子どもはいつまでも被害者のままで、傷を負った弱者のままです。その傷を抱えたまま、弱さを持ったままです。

どんなエピソードだとしても、子どもが性被害を受けたのなら、親が守れなかったことにもなります。そのことを謝ることができます。

そして、子どもにそうなって欲しいと潜在意識で望んでいたことに気づくことができたら、何かしらの変化が起きます。親視点からも子ども視点からも。

そして、子どもが親にその被害に対して何か話すことがあれば、それを聞き、もし、話さないのなら話さない理由も必ずあります。無理に話させようとはせず、いつも自分視点で、「どうして話さないのか」と自分自身に問題が何かしらあることを探してください。

すべては被害者意識からは何も答えも対策も生まれてはきません。つらいことですが、加害者(自分自身が出来事を起こしていた)という立場で物事を考察していただければと思います。私もそうして性被害者ではなく、加害者という立場から物事を考察し、納得し、前に進めていますので。