悩みながら生きる選択

悩みながら生きる選択

人生は山あり谷ありで常に幸福な人はいないと思います。必ず人には老いがあり、突然の別れにも遭遇します。悲しみや苦しさなど、悩みはつきないのではないでしょうか。あなたにもいろいろと悩みはあるのではないでしょうか。

悩みは不快さも生み出すので、今すぐにでも解決したいと思うのが人間ですが、悩みながら生きるということも必要だと思います。悩みがあることで、どうしていけばいいかと考えることもできますし、同じような悩みを抱えているかたの助けにもなると思います。私も他者の問題に対する精神分析をいろいろと講座でみてきましたが、私の生きづらさの原因や精神性を自覚する助けにもなりました。

何にしろ、どうして私という人間が存在しているのかを知りたかった。自己のこころの揺れ動きを理解したかった。人は自分という人間を知りたい欲求が本当はあると思います。

私は今でも悩みながら、時には苦しみながら生きています。精神分析をしたからって、100%の幸福を得られるわけではありません。ただ、納得のいく人生を歩めているという、それだけで十分です。いろいろなことを知らなかった以前よりは、家伝的要素や家族が早くに亡くなった理由や、うつ病になった理由や、コミュニケーションの問題の根本原因の理由を知ることができ、その理解を深められたことが自分の得になっています。

そして家族や子どもが悩み苦しみ挫折したときに、この文章を読んでほしい。家族ではなくても、同じようなトラウマや病や問題を抱えている人に読んでほしい。

生きるためのヒントを得てくれたらと思い、また綴りたいと思います。人が生きるというのは内なる力、潜在的なところから湧き上がるような生命力が必要ですから。

生きづらさには無価値観や存在否定が隠れている

生きづらさには無価値観や存在否定が隠れている

私自身、生きていていいのかという感覚はいつの頃からか持っていました。あまり気遣ってもらえない環境で育ち、存在自体をどこかで否定していたと思います。誰かにそうされていたというよりは、自分自身がそれを望んていたということが、精神分析をしてみて気づいた点です。

性被害ももちろん理由のひとつです。しかしそればかりではありません。中間子は特に兄弟の中では気遣ってもらえないという立ち位置です。家系図をみていくと、あらゆる連鎖によりさらに理由は顕在化してきます。

現代ではいじめやネグレクトなどの問題がありますが、親から気遣われていない状態なので、それらも無価値観を感じる要素になります。

幼少期から大事なことは親からの承認です。存在していていい、生きていていい、食べたり飲んだりしていい、気遣ってもらえる存在でいいという、自然の承認を子どもは得る必要があります。しかし、現代では親からの承認を得ることが難しい時代です。子育てもみたようにしかできないので、努力が必要な時代となりました。核家族化で家族が小家族でバラバラになりやすく、余裕も持てない時代です。

そのような家庭環境で育った大人がまた家族を持って、また同じような家庭環境を作り出すということが繰り返されています。

どこかで繰り返される今の状態を止めなければなりません。そのためには社会全体、政治を変えていくしかありません。

自分の生きづらさの理由に向き合い、政治や社会に関与していくことは労力がいりますが、それでも一人ひとりが取り組もうと努力したら、国も家庭環境も改善の余地はあると思います。子どもたちは子どもらしく生き、存在していていいという確固とした親からの承認を得ることができると思います。ですから、社会や政治や社会問題から逃げずに、自己の問題からも逃げずに向き合う人が増えていってほしい。そういう思いで、政治活動をしております。

私の最初のうつ状態は小学生

私の最初のうつ状態は小学生

私がうつ病と診断されたのは、2004年の32歳になる手前の頃でした。当時の症状としては、免疫低下による感染症や、無気力感、疲労感、婦人病や関節やさまざまな体の痛みや炎症がありました。向精神薬の服用により、本物のうつ病になってしまった。少し休み、現実問題である人間関係や自己問題に向き合えば、薬を飲むこともなく医原病によるうつ病にはなりませんでした。

しかし過去を振り返ってみると、うつ傾向ではあったと思います。どこからなのか明確ではありませんが、小学生高学年頃、無気力感はありました。時々、無気力で動けないときがありました。父親が亡くなった後、もしくは性被害後かもしれません。他のエピソードによる理由があるかもしれません。

何にしろ、「無気力」というキーワードからも、生きる力が落ちていたともとらえられます。生きる力を落としているひとつの理由は、罪悪感というところでしょうか。なぜ父親が早くに亡くなったのか理由が明確ではなく、父親を助けれなかった、または何か悪いことをして性被害により罰を受けているのか。もしかしたら交通事故死の祖母のエピソードや兄弟関係によるものかもしれません。

うつ病と診断されたその日から、うつ病なのではなく、うつ患者は過去にうつ状態はなかったかと考えることも、根本の理由にたどり着けるひとつのヒントになると思います。

私の場合は、精神の安定が幼少からなかったように思えます。父親が亡くなってからは、とにかく泣いていました。ひとりで泣いていた。

私のうつ状態のはじまりは、父親との別れからではないかと思っています。

ですから、薬ではどうにもならない。

悲しみは今でもやはり消えないので、死別の悲しみから逃げず、その現実から逃げず、とにかく泣きたいときは泣いて、自分の潜在的感情に素直に気づき表現してあげることで、うつ病や他の病気になるリスクは避けられると思います。

人の目が気になるのはなぜか

人の目が気になるのはなぜか

最近、身の回りのものを整理していたら古い日記が出てきました。2014年の向精神薬断薬後の日記です。

断薬以前までは、自分のこころや精神や内面については、ほぼ向き合っていなかった。人とのコミュニケーションが苦手で、人を避けていたのは理解はできていました。そこから生きづらさは生まれていたことも、なんとなくは理解できていた。でも、根本の原因は気づけていませんでした。そもそも根深い原因があるだなんて思ってもいなかったし、因果の法則さえ知らなかった。

日記には書かれていた内容のひとつは、「人の目を気にすることを手放したい」でした。

人の目を気にすることをやめるとしたら、それは自分の特性や幼少期の家庭環境や親子関係、もっと古い家の伝承など、あらゆる自己に向き合わないと難しいかもしれない。高い目標があれば、人の目など気にせずにどんどんと前に進めると思いますが、なかなかすべての人間が持てるとも限らない。

そうすると、「どうして人の目など気になるのか」という問いに対する、原因と理由を探すしか方法はない。

私の場合は出自をはじめ、トラウマなどいろいろと隠したいものがありました。ですから余計に人の目が気になっていた。性被害ということも悟られないようにしていた部分はあります。隠そうとすればするほど震えている感覚はある。今、体の震えは以前よりは少なくなってきています。

人の目をみれないというのも、人間が怖いということだと思います。人は一瞬で悪魔にも天使にもなれる。その目を見なければ何もされないという防御として、人の目をみないのかもしれません。単純に親の悲しむ目や、怒っている目などみたくなかったともいえます。

「目は口ほどにものをいう」という言葉があるように、目の訴えは強烈に語りかけられ、こころに残ります。精神からの強烈な想いとなり、周波数がその目を作り出していると思います。

私は精神分析や相性数秘術などによる占いにより、さまざまな自分の姿を知ることができて、人の目はあまり気にならなくなっています。自分のやりたいようにやり、その評価と責任は自分にしかできない。そして、人の目など気にしている時間と人生は、それほど長く続かないということを、今、大事にしているテーマでもあります。

今日という日は2度とこない。次はないからこそ、悔いのない生き方を。