全く矛盾性のない整合性のあるものは生き物ではなくて機械

全く矛盾性のない整合性のあるものは生き物ではなくて機械

最近では、精神分析をある程度深めることができ、人間の心には深層心理と表層心理が存在し、それにより矛盾だらけで葛藤だらけだということが自覚できれば、あとは精神とか心とかあまり意識しなくてもいいのかな思っています。逆とか今までと違った選択とか、もうそれ、どうでもいいじゃんって。←ある意味、いて座らしいかも。笑

本来の自分を知って、どういう家系図の流れとパターンがあって、カルマがあって、どのあたりが陥りやすいところか、盲点はどこで、自分の裏テーマは一体なんだったのかと自覚できていれば、あとは自分が今、こうしたいって思った道に進めばいいと思っています。もしも困った状況に陥ったとしても、納得して選択してるから責任もしっかりと負えます。

最近、読んだ書籍では、このようなことが書かれていました。

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人間は矛盾しているから生きている。

全く矛盾性のない、整合性のあるものは、生き物ではなくて機械です。

命というのはそもそも矛盾を孕んでいるものであって、その矛盾を生きている存在として、自分はこういうふうに矛盾してるんだとか、なぜ矛盾してるんだということを、意識して生きていくよりしかたないんじゃないかと、この頃思っています。

そして、それをごまかさない。

「生きるとは自分の物語をつくること/著者:小川洋子,河合隼雄」
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矛盾というループからはどうも抜け出せない。矛盾が悪いわけではない。それをしっかりと自覚することに意味がある。

精神分析をおこなうときも、すべてを善悪でとらえないようにしています。病気は決して悪ではない。私のうつ病もそうでした。

矛盾を孕んでいるのだから、やはり人間には問題はつきものです。そのときにどう対処するか。それが人生においての大きなテーマであり、学ばなければならない分野だと思います。

精神分析が廃れた理由

精神分析が廃れた理由

精神分析は自己の本質的な問題をみます。今まで自覚していなかった精神を覗く作業になります。自己の闇をみて、悪魔像をみます。それだけでも深く分析することには躊躇してしまいます。精神分析が廃れた理由は他にもいろいろとあると思います。

分析を進めていくと必ずカルマや業というものに行き着いてしまいます。家伝的な罪の伝承、因縁、執着してきたものが表面化されます。自分の罪だけではなく、家族の罪にも向き合わなければなりません。自分が罪人であり、人間自体が罪深いという認識を持たなければなりません。その自覚により、人間の善性悪性を知り、これ以上罪を重ねないような選択を取るという自覚が持てるのだと思います。

罪の伝承が繰り返されているからこそ、どこかで認識し、ブレーキをかけることは可能です。

自分でそれらに向き合い、問題の本質的原因や理由という答えを出すことは私は可能だと思います。すでに精神分析の情報は、書籍や動画、講座から学ぶことができるからです。できたらそのほうがいい。

治療家やセラピストが関わりすぎると、余計な言葉が増え、構造分析から逸れ、表面的な感情論だけの分析になり、ただのいじめ分析になりかねないからです。治療家の思う答えに導こうと支配やコントロールもできてしまいます。

すぐに答えが出ないことにも必ず理由はあります。心の絶対法則が理解できないのも同様です。

何年もかかってもいいから、自分でなるべく答えを出してほしい。私も精神分析を知ってから8年ほどになりますが、まだまだ発見はあります。そして、うつ病が治ったときは精神分析は受けてはいないですし、しっかりと何時間も何ヶ月もかけて分析を受けたこともありません。それでも内海式精神構造分析は深めることは可能なので、自分のことを知りたい、何者なのか知りたい、どう生きていけばいいか答えを出したい、生き方考え方、コミュニケーション能力をどうにか変えていきたいと思うかたは、ぜひ創始者内海聡氏の心の絶対法則の書籍や動画、講座などを参考に自分に向き合ってみてください。

自己の闇に向き合うという姿勢は、あなたの強さでもあります。

悩みながら生きる選択

悩みながら生きる選択

人生は山あり谷ありで常に幸福な人はいないと思います。必ず人には老いがあり、突然の別れにも遭遇します。悲しみや苦しさなど、悩みはつきないのではないでしょうか。あなたにもいろいろと悩みはあるのではないでしょうか。

悩みは不快さも生み出すので、今すぐにでも解決したいと思うのが人間ですが、悩みながら生きるということも必要だと思います。悩みがあることで、どうしていけばいいかと考えることもできますし、同じような悩みを抱えているかたの助けにもなると思います。私も他者の問題に対する精神分析をいろいろと講座でみてきましたが、私の生きづらさの原因や精神性を自覚する助けにもなりました。

何にしろ、どうして私という人間が存在しているのかを知りたかった。自己のこころの揺れ動きを理解したかった。人は自分という人間を知りたい欲求が本当はあると思います。

私は今でも悩みながら、時には苦しみながら生きています。精神分析をしたからって、100%の幸福を得られるわけではありません。ただ、納得のいく人生を歩めているという、それだけで十分です。いろいろなことを知らなかった以前よりは、家伝的要素や家族が早くに亡くなった理由や、うつ病になった理由や、コミュニケーションの問題の根本原因の理由を知ることができ、その理解を深められたことが自分の得になっています。

そして家族や子どもが悩み苦しみ挫折したときに、この文章を読んでほしい。家族ではなくても、同じようなトラウマや病や問題を抱えている人に読んでほしい。

生きるためのヒントを得てくれたらと思い、また綴りたいと思います。人が生きるというのは内なる力、潜在的なところから湧き上がるような生命力が必要ですから。

弱者にみえるようで支配的な人

弱者にみえるようで支配的な人

人間はみな支配的でありコントロールするのが常である。

暴力夫がいるとして、妻は暴言や暴力などDVを受けている状態ですと、妻は弱者のようにみえるのが普通の視点です。しかし本当にそうでしょうか。人は多面性を持ち合わせていますので、100%弱者とは限りません。弱い立場のようで、支配的な人は何人も思い浮かびます。そして私自身もそうです。うつ病という病気をしており、嫁姑問題もあり、男尊女卑要素のある夫婦関係のなかで弱者のようにみえても、子どもを聖書で支配してきました。きっと日常のどこかの場面では男尊女卑はひっくり返り、時には夫も支配していることでしょう。

弱者のような振る舞いをしていたり、そういう言葉を発していたとしても、実は弱者ではないことの方が多い。弱さを武器にして、言い訳をして、取り繕っていたり、演じていたりする人はいます。よく観察したら簡単にわかることですが、人はみたいものしかみようとしません。ですから、自己の内面や、闇深さや、愚かさ醜さを知る精神分析は、あまり人気がないかもしれません。自己に向き合ったとしても、嫌な自分の姿をみようとしなければ、浅い向き合いかたになることでしょう。

弱さとは決して損ではない。そこから利益があるからこそ、弱者は弱者のままで、何も変わらない。弱さの裏に隠れている精神性に向き合い、自覚できた人は、強くなりたいと思うから生き方や考え方が変わっていき、人生の方向転換ができます。

人の人生は一瞬で変化させることは可能です。