精神科を受診するきっかけ

精神科を受診するきっかけ

多くの方は何かがきっかけとなって、精神科やメンタルクリニックに受診すると思います。私も微熱や関節痛、心臓の痛みや低血圧、めまい、耳鳴りとあげればきりがないほど多くの症状がきっかけでした。そして、内科を受診しても何も見つからず、異常なしと言われて、でもこの症状を、この不快な症状を何とかして欲しくて精神科を受診したのです。

今回紹介する動画の中の症例で、「お風呂が長すぎでおかしい」という理由で受診されたケースを紹介していました。こんな理由で薬漬けになってしまう社会なのです。「こんな」というのは申し訳ないのですが。ダイエットがきっかけで向精神薬を処方された話も聞いたことがあります。まず精神科に行ってしまえば薬が処方されるのが普通な社会になってしまったのです。精神科の方は薬で治すのが前提だからです。心が辛いのに、脳内に作用する薬でどうして治るのでしょうか。モノアミン仮説の仮説の世界で作られている薬で本当に治るのでしょうか。日光に当たればセロトニンが増えると言われていますが、生きた人間の脳内セロトニンを測ることは無理なのです。研究も立証もされていない世界なのです。

社会が精神病を作っているとも言えます。「テレビでこう言っていたから〇〇病かも」とか、「病院に行けば何かわかるかもしれないから行っておいでよ」とか似たような会話が日常茶飯事ではないでしょうか。そうやって日本は病人は増えてしまいました。医療化してしまいました。

安易に病院を勧められて、薬漬けになるなんてよくある話ではないでしょうか。私も何も考えず精神科を受診してしまったので、本当に愚かでしたが、病院を勧める方もその罪は大きいと思います。安易に勧めないで欲しいです。そして子どもを安易に精神科に受診させないでください。何も考えず、何も調べようとしなかったことで1人の人生は全く違った人生になってしまうからです。精神薬さえなければ救われた命、平穏な生活を過ごせた方はたくさんいるのです。

私は奇跡的に生きていましたが、多くの方が自死しているのです。そういう薬なのです。誰か悩んでいる方がいましたら、病院を勧めるのではなく、少しだけでも話を聞いてあげてください。そして当事者の方も本当の悩みに向き合ってください。先ほども言いましたが、薬では今抱えている悩みを解決することはできません。薬は飲めば思考停止状態になってしまうだけのものだからです。

トルーマン大統領の言葉

トルーマン大統領の言葉

精神薬をはじめ薬をやめる上で、必ずやって欲しいことがあるのです。それは、この社会のシステムを知ること。そして特に日本人は常に「奴隷」になることを求められているということ知って欲しいのです。

どうして知って欲しいのかと言えば、もし、何となく精神薬をやめれたとして、でも、社会構造を知らなければ、また何かのきっかけで病んでしまった時、薬に手を伸ばしてしまうからです。本当の本当に心の底から「飲みたくない」と思わない限り、繰り返してしまうからです。私たちは弱い人間だからです。薬か性か、お金、ギャンブル、お酒、家族など依存してしまうものが、私たちの周りには本当に沢山のあるのです。

トールマン大統領を多くの方は知っていると思います。3S政策(さんえすせいさく)という言葉をご存知でしょうか。ぜひ検索して調べてください。まさに今、トルーマン大統領が言った言葉の通りになっているからです。

これほどの医療大国は日本だけです。医療が進んでいるように見えますが、医療が発展していなかった時代よりも病人が増えてしまいました。何が変わってしまったのでしょうか。そのあたりもぜひ考えて欲しいのです。病人をやめるきっかけになるかもしれません。

北海道夕張市では、病院が経営破綻したことで死亡率、医療費、救急車の出動回数が全て下がったそうです。

本当に考えさせられることがたくさんあるのに、私たちはあまりにも深く考えずにいます。自分の命を守るためにも、考えてください。大切な人を守るため調べてください。それしか私たちにはできません。でも、今からすぐできます。

動じないよう生きるのに必要なのは、努力や我慢ではなく自覚と覚悟です

動じないよう生きるのに必要なのは、努力や我慢ではなく自覚と覚悟です

私たちは成長するためにこの世にいます。人は常に成長を求めているからです。
これから紹介する文章は、断薬時にお世話になった内海先生のFB上で投稿された文章です。

内海聡医師 facebook

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人にとって最も辛いことは人それぞれですが、その辛きことは必然の中で発生してくることを知ることが、人生の成長の第一歩となります。
人生論で言えばその辛い経験は必ず自分にプラスとなり、苦しいことや悲しいこともそのまま自分の糧になっています。
だから無理に悲しむ必要はないし、その辛きことを正面から見据えて生きていけば、その時こそ真の喜びを感じる場面が訪れます。

あなたが怒りを表現できないのは、あなたが無能だからではなく表現方法を知らないからです。
言い方を変えれば適切な言葉を知らず本当の行動を知らないからこそ、あなたの怒りは制御することができず自分に返ってきます。
怒りは世界を動かす原動力の一つですが、一方負のエネルギーでもあるのでどのように動かすが重要です。

優しさだけがこの世界を動かすのであればすでにこの世界は神の国でしょう。
残念ながらそうではありません。
そして喜怒哀楽は人間にとって普遍的感情であり、どれが善い悪いというものでもありません。
苦労すれば必ず報われるわけではありませんが、多くの人は苦労した分成功の喜びを手に入れる可能性が高まるでしょう。

その苦労を喜びや成功に変えるにはいくつかのコツがあります。
惨めな自分を根っから否定して真の成長につなげることも、教育の基礎を記憶ではなく思考にシフトすることも、苦しくても隣人と笑って酒を飲むことも、お金という価値観と常識という価値観を捨てることも、もしかしたらそのコツの一つかもしれません。

不幸に生きていると思っている人が一番不幸です。
不幸の境遇にある人は実はあらがえる強い環境を与えられた人でもあり、強い自立力を身に着けるチャンスを与えられた人でもあります。
戦争を経験した人の多くは強く生きている人でもあります。
世界中の戦争を経験した人と現代人とどちらが不幸なのでしょうか。

鬱になることさえ人生に与えられたチャンスであり気付きのきっかけ。
そう考えれば今の時代を生きている飽食と不自由なく見える私たちが、最も不幸な生物なのかもしれません。
一人だから悲しかったり不幸であるとは限りません。
どんな人にもこの世で一人くらいは理解してくれる人がいるでしょう。

理解だけを求め理解する人がいない世の中で、一人の理解者がいればそれで幸せだとは思えませんか。
あなたは孤独ではなく孤独というならすべての人はまた孤独です。
孤独だから、問題が起きた、理解されない、周囲からの抑圧、不運の連続、そんなものは実は枝葉末節な話にすぎません。

それに動じないよう成長していくのが生きる一つの目標であり、そこに必要なのは努力ではなく我慢でもなく、覚悟と自覚なのです。
自分の人生は自分以外の誰にもすすめることはできないのですから。

答えは1つではない

答えは1つではない

学校教育がどんな感じだったか覚えているでしょうか。1つの確実な答えがあって、私たちはその答えに向かって思考を働かせていたと思います。決まった答えだと、複数出てしまうような答えを生み出すよりも、あまり頭を使いません。記憶力がよい人なら、なおさら簡単に答えを出せてしまうでしょう。

そうすると日常で、ある問題が生じた時に、答えを見つけるのが難しくなるかもしれません。人生の中で問題は様々だからです。そして、確実な答えなどありません。環境も生育歴も性格も何もかも違うからです。こういう中で確実な1つの答えを探してしまうと、正しい答えが見つからず、迷い、「何で」「どうして」って悩んでしまい、いつか病んでしまうかもしれません。

でも、そもそも答えなど決まっていないので、自分なりの答えが出たらいいのです。自分の納得のいく答えを出せばいいのです。

昔は悩み事で愚痴を言っていると目上の人から、「愚痴を言う暇があれば、自分の頭で考えなさい」と言われていたそうです。常に自分のことは自分で解決するように教育されていたそうです。

私たち日本人は自分の力で、自分の頭で考えて、応用編で答えを出すことが苦手です。でも、今からでも遅くはありません。頭を働かせるなら必ず今日よりは明日の方が考える力はつきます。常に人は成長するからです。

考え方や調べ方、頭の中の整理整頓がつかないようでしたら、私がお話を聞きます。人はアウトプットするだけで、かなり頭の中が整理されるからです。癒しとなる言葉はお渡しできませんが、整体でこころとからだをゆるますことはできます。言えなかったこころの奥底の感情を、よかったら一緒に見つけてみませんか。一緒にお話してみませんか。