この世に善も悪もないという視点を持つ

この世に善も悪もないという視点を持つ

人が病気になったとき、多くの人は治るということが「正しい」ととらえます。しかし、本当に治ることが正しいことなのでしょうか。

私のうつ病も治ることなく、10年間の闘病生活でした。その間、治らない状態により利益を得ていました。人間関係にうんざりして人から離れられることができました。エホバの証人の集会も奉仕も学ぶことも飽き飽きしていました。仕事も家事も育児も夫任せでした。幼少期に甘えられなかったため夫に甘えている状態でした。病人という弱者になることで気にかけてもらえました。人権を守っていたかもしれません。他にもいろいろと得となることは出てくると思います。

病気がイコール「悪」ではないことは経験上、よく理解できました。うつ病という病気になったという経験を通して、自己の内面に向き合うことの重要性を学べました。トラウマやコミュニケーションの問題などにも向き合い、納得のいく人生を歩むことができました。

この世に善も悪もないという視点を持つことは難しいかもしれません。病気になればそれを治したいと思うのが人間だからです。しかし、角度を変えるとみえているものの解釈は変わってきます。

人生において、善も悪もないという視点を持って、さまざまな事象を考察することは重要であり、自分の善と悪で人を支配することがないようにしたいと思います。特に自分の善悪の価値観で子どもたちが持っている価値観を変えないようにしたいですね。

病気が治るということは本当によいことか

病気が治るということは本当によいことか

病気や症状には必ず原因があります。原因があり、理由があり、本質的な要因を探す必要があります。

私も以前はうつ病と診断されていました。10年間、向精神薬を服用していました。10年後、断薬してうつ病は治りました。

しかし、治ったという現実の幸せは得ることはできましたが、こころのどこかで治ってしまった罪悪感は常に感じています。治ったことで向き合わなければならない現実の問題や、過去の問題や、人間関係、コミュニケーションの問題やトラウマなど、向き合わなければならないことがありました。それらに向き合うことはうつ病のときよりも苦痛でした。

本当に治す覚悟があるか。そして、治療家は自分のエゴで治してはいけない。もし目の前で治っていたとしても、そこから離れれば、また患者は別の病気を作り出すかもしれません。

治療家側も患者やクライアントをなおすとはどういうことか、よく考えなければならないと思います。

楽しさに逃げ込むと人間力である魂は落ちていく

楽しさに逃げ込むと人間力である魂は落ちていく

うつ病のとき、楽しいか楽しくないかのどちらかといえば、楽しくはなかった。嫁姑問題があり、宗教問題もあり、あらゆる場面で楽しさに欠けていた毎日でした。そして、身近に得られる娯楽や楽しさに逃避し、妥協し、生活していました。

うつ患者は私と同じような思考パターンではないでしょうか。食べるなどさまざまな欲求を満たし、現実問題をうやむやにする。うつ患者に限らず、現代ではすぐに欲求を満たせる環境にあるので誰しも同じなのかもしれません。

日本は今や衰退途上国です。国民の多くは、強弱はあるかもしれませんが苦しい生活を強いられています。人間関係がきっかけとなり、病んでいる人もいます。病気大国であり、薬消費大国です。どこをどうみても問題だらけの国。人の体で例えるとしたら、がんの末期状態です。

病気になったとき、それを治したいと思うときは、自分自身に向き合うしか方法はありません。病気は自ら作り出したものであり、環境などの外的要因と同様に内的要因にも原因はあるからです。自分自身に問題の根源がある。国のなおしかたも同様で、立て直しのためには問題の根源は何かというところをみていくしか方法はありません。

楽しさに逃げるとは、対症療法にもならず、余計に問題から逃げることになります。逃避癖があり、問題や現実に直視できないほど、精神が弱っているから、また楽しさに逃げ込みます。

娯楽があまりにも多い現代社会。楽しむことはもちろん必要ですが、現実直視能力をはじめ、人間力が落ちた原因のひとつが、娯楽やサービスに逃げ込みたくなる精神性ではないでしょうか。日本の病と人の病の原因ではないでしょうか。

私の最初のうつ状態は小学生

私の最初のうつ状態は小学生

私がうつ病と診断されたのは、2004年の32歳になる手前の頃でした。当時の症状としては、免疫低下による感染症や、無気力感、疲労感、婦人病や関節やさまざまな体の痛みや炎症がありました。向精神薬の服用により、本物のうつ病になってしまった。少し休み、現実問題である人間関係や自己問題に向き合えば、薬を飲むこともなく医原病によるうつ病にはなりませんでした。

しかし過去を振り返ってみると、うつ傾向ではあったと思います。どこからなのか明確ではありませんが、小学生高学年頃、無気力感はありました。時々、無気力で動けないときがありました。父親が亡くなった後、もしくは性被害後かもしれません。他のエピソードによる理由があるかもしれません。

何にしろ、「無気力」というキーワードからも、生きる力が落ちていたともとらえられます。生きる力を落としているひとつの理由は、罪悪感というところでしょうか。なぜ父親が早くに亡くなったのか理由が明確ではなく、父親を助けれなかった、または何か悪いことをして性被害により罰を受けているのか。もしかしたら交通事故死の祖母のエピソードや兄弟関係によるものかもしれません。

うつ病と診断されたその日から、うつ病なのではなく、うつ患者は過去にうつ状態はなかったかと考えることも、根本の理由にたどり着けるひとつのヒントになると思います。

私の場合は、精神の安定が幼少からなかったように思えます。父親が亡くなってからは、とにかく泣いていました。ひとりで泣いていた。

私のうつ状態のはじまりは、父親との別れからではないかと思っています。

ですから、薬ではどうにもならない。

悲しみは今でもやはり消えないので、死別の悲しみから逃げず、その現実から逃げず、とにかく泣きたいときは泣いて、自分の潜在的感情に素直に気づき表現してあげることで、うつ病や他の病気になるリスクは避けられると思います。