内海式精神構造分析法とカルマ(業)

内海式精神構造分析法とカルマ(業)

 突然、わけがわからない涙を流すことがありました。あなたにもわけがわからないことが日々の中でありませんか。私が内海式精神構造分析法を深めたいと思ったのは、よくわからない事象や、見えていない、認識できていない事柄を知りたかったからです。知ることは恐怖かもしれませんが、それ以上に自分のこと家族のことが知りたかった。そしてその時に深層心理と同時に直面しなければならないものがカルマでした。

 内海式精神構造分析法で部分的に取り入れているカルマ。カルマとは、日本語では業(ごう)といわれており、一般的には行為やおこないを意味します。カルマはインド哲学の考え方であり、宗教的哲学がそこには含まれています。カルマには種類がありますが基本的な考え方としては、行為や行動という原因が先々に影響を与え結果が生じるという説明になります。因果応報や因果の法則と言い換えることもできます。宗教用語による解釈というよりも、結果があれば必ず原因はあるという意味です。そして行為やおこないが何かしらの結果を生み出すということからも、カルマは実はとても人間に影響を及ぼすものであるといえますが、人々は日常でほとんど意識していません。もちろん私も内海式精神構造分析法に出会うまではカルマの概念すら知りませんでした。

 内海式精神構造分析法の精神用語ではカルマは罪の伝承にあたります。それは、一族の風習や雰囲気の伝承、精神性の伝承、罪悪感の伝承、周波数の伝承ともいえます。過去に一族や当事者のおこなってきた罪や生き方考え方が繰り返されているイメージであり、フラクタルの理論であり、輪廻転生はないという考え方の人でも成立します。

 先祖の祟りや見えない霊の力が影響しているかのように思われるかもしれません。しかしそういう意味ではなく、家系図を作成した時、早世や病気、病死や事故死や堕胎、家族構成や人の数や精神性などフラクタル性が強く、家系図の特徴がとても強くあらわされているという意味になります。そしてその状態を内海式精神構造分析ではカルマ家系ととらえます。

 私の一族もカルマ家系そのものでした。それには戦争や戦時中の出来事も関係してきます。親族から話は聞いていませんが、先祖は何かしらの罪を背負って生きてきたと思われます。わけがわからない涙は、私が8歳の時に亡くなった父親が関係していることもわかりました。その頃から涙を流すことがあったからです。助けることができなかった、またはどこかでいなくなればと思った罪の意識によるものかもしれません。人間というのは、良いこと悪いことを心の奥底で考えています。そして私から始まった涙ではなく、父親もまた悲しみを抱き、そのまま引き継いだとも考えられます。家系図作成により父親自身も絶望の日々だったと思われるからです。そしてカルマの概念からも何十世代も前からの悲しみ、罪悪感を引き継いでいるのだと思います。

 カルマですべてが解決されるわけではありません。しかし根本から問題を解決したいと思った時、見えないところにある自己の精神や深層心理に向き合い、現実過去問題に向き合い、生き方考え方を見つめ直し、すべての問題の原因は自分にこそあるということにどれだけ直面できるかどうかになります。私はそのようにして、トラウマからも宗教2世、1世の苦悩からも脱却できました。人生は一度切りだと私はそう考えていますが、もしも同じように苦しみのある人生が訪れ、何かに悩み、もがき、答えを探し求めているようなら、また出会いたいそのような内海式精神構造分析になりました。続く

人間は矛盾の塊

人間は矛盾の塊

結婚して、嫁いで、姑のことはとても怖かったし、面倒だったし、できることなら距離を取って生きていたかった。

しかし、精神分析をしてみると、とても大好きということがあからさまになってしまった。一番わかりやすいのが、嫌いな存在なのに、今でもそばにいるということ。物理的な距離感は視覚でも認識することができ、とてもわかりやすい。

私の中で姑に対して、好きと嫌いが同時にある。矛盾している状態であり、表裏一体であり、しかしそれが人間という生物だ。

方向性の違うものが同時に自分自身の中にあるのだから、一体、正義や正解はこの世のどこにあるというのだろうか。何かに対して議論すること自体、馬鹿馬鹿しいことになる。

そして、矛盾を意識して生きていくことは、自分を生物らしく生きる助けになるのではないかとも思う。

動物には矛盾はないと思うし、素直であり、裏を読んだり、先を読んだりせずに生きている。

人間はそうではない。

常に欲求的であり煩悩があり、何よりこの世と地球をみても、至る所を汚しまくり罪深い。

せめて自分自身の矛盾を自覚できればいいと思い、精神分析を続けている次第であるが、きっとそこまでつきつめてできる人間はあまりいないのではないかとも思います。

だから他者の闇も中途半端な見方、分析になってしまっているように思う。

私も矛盾人間だからこそ、善悪のない視点で精神分析をするように、そういう生き方考え方を忘れず意識したい。

生物として生きる最大の目的とは何か

生物として生きる最大の目的とは何か

生物として生きる最大の目的とは何か。

私は、次の世代に命をつなげていくことだと思います。現代人はその責任と考え方生き方を、前の世代から引き継いでいないと思います。その姿をみず、教えられていないと思います。ですから、命や尊厳がぞんざいにされているのではないでしょうか。ヤク中まみれ、病気まみれ、若者の自殺者も多いのではないでしょうか。犬猫の殺処分も多いのではないでしょうか。

私も次の世代を意識しておらず、食の質も意識しておらず、医療や薬に依存し、精神薬も飲み続けていました。そういう姿を子どもに見せてきてしまった。次世代を意識できるようになったのは、42歳の向精神薬を断薬したあとです。愚かな生き方ばかりで、後悔の連続です。子どもが一番、生き方や考え方を受容する0~3歳に、立派な姿を見せることができませんでした。

それでも、後悔ばかりしてはいられません。遅いかもしれませんが、七世代先の命を意識した生き方をして最後を迎えたい。今はそのように考えています。

現代は方法論が人気で、どうやって楽しく生きれるか、どうやって人生を豊かにできるか、どうやって病気にならず、または病気を治すかなど、手法が重要視されています。しかし、手法は一過性にすぎません。その場しのぎであり、対症療法であり、先の世代の命は二の次三の次になってしまいます。対症療法はときには必要でもありますが、あらゆる手段や手法は、自分さえ良ければそれで良しというものではないでしょうか。

何のために生きているのか、どうして生きているのか、生きる目的や目標は何かということを、今衰退している日本では特に考えなければならない重要なテーマなのかもしれません。

あなたの生きる目的は何ですか?

どうしてあなたはこの世に存在するようになり、今、生きていますか?

時代遅れで面倒臭いような問いになりますが、自分の思想とはどんなものかと思い巡らし、独自の思想を育てるような感じで考えていただければと思います。生きることや命というものに、まじめに向き合う姿勢を子どもたちがみたとき、命は先につながり、価値ある存在になり、自殺者や病者、虐待児など、傷つこうとする国民は減ってくるのだと思います。

フラクタルとカルマ(業)

フラクタルとカルマ(業)

精神分析では問題の本質をみつけだすために、繰り返すものである、フラクタル、相似形をみつけだす作業をします。

内海聡【公式】 YouTubeチャンネル【氣と精神】シリーズ
https://www.youtube.com/watch?v=-MKtAb1QMj8&list=PL6TNiENVDMQgph1rbtkK10T-ZJNgtwdJy

このフラクタルというのは、家系図から書き出していくと、繰り返されている現象が多くみつかります。それが多ければ多いほど、因縁が深く、執着が強く、カルマ家系だと内海式精神構造分析ではそうとらえられています。

カルマ(業)とは、内海式精神構造分析の観点では「罪の伝承」といわれており、家伝的要因が含まれています。例えば、水子や早世、病死や事故死や自殺など、連続した現象が目立ち、繰り返されていると、そこには因縁が深く、罪の伝承が強く、カルマ家系であるといわれています。

仏教ではこの業、カルマを輪廻ととらえられているのかもしれません。繰り返されている行為よる結果が悪いことが多い場合、例えば病気が続く場合などは、悪い事柄が生と死の連続のなかで繰り返される。

私は輪廻はないと思っている人間なので、この輪廻にあたるものが、内海式精神構造分析ではフラクタルの部分ではないかと思っています。これは私個人の今の解釈なので、間違っているかもしれません。

まだ、この文章を書いていても、上手く腑に落とせていませんので、内容も伝わらないかもしれませんが、今は思ったことを書き留めておきたいと思います。

参考になった動画
カルマ=行為=業 中村元(なかむらはじめ)
https://youtu.be/JO-S5RQbl-U?si=pEg9wXLi65C1xAnk