大事にしていないから大事にされない

大事にしていないから大事にされない

子どもが親のいうことを聞かないということは、親子の間ではよくある風景ですが、いうことを聞かない理由は必ずあります。そもそもいうことを聞かせようとする支配的な構図から見直す必要があるでしょう。子どものほうが親よりもすべてが若く、素直で、シンプルで、はるかに賢いからです。社会的体裁や忖度などのない感情から言動しています。

いうことを聞かないとしたら、親はすでに信用されていないということです。親子関係に限らず、組織や人間関係でも同様です。

人はひとりでは生きてはいけません。人間が生み出したシステムの中で生きていますし、水や太陽や空気など自然の恩恵にも預かりながら生きています。

自分の思いが相手に伝わっていないとは、あなたが相手を大事にしていないからではないでしょうか。ひとりでは生きていけないからこそ、独りよがりにならず、自己中心的にかたよらず、支配的にならず生きていく必要があります。

いうことを聞かないという相手の姿は、あなた自身でもあります。マイナス要素でもプラス要素のときでも、気になる相手は自分の鏡である。自分の内に火種があるからこそ、相手の言動が気になります。先にいうことを聞いていないのは「自分」という自覚が持てたとき、何かしらの変化は訪れるのではないでしょうか。大事にされていないと思ったとき、先に大事にしていないのはあなたではないでしょうか。

今、悩んでいる問題があり、怒りや悲しみなど出てくる感情があるとしたら、その根源はあなたから始まっている。

そして、大事にされたいのなら、まずは周囲の人々を大事にすることを心がけてみてください。

こころが動く人生を

こころが動く人生を

私はいて座でエレメントは火の星座ですが、海に行ったりみたりするのが好きです。そして、凪よりも波に動きがあるほうが好きです。風が吹き人が泳ぎ動きのある海の景色がなんとなくですが絵になります。そういう写真のほうがこころも反応します。

人の人生でも、こころが反応する人生のほうが、本当はいいのかもしれません。人間社会ではいろいろと問題がおきますが、何もない人生だとしたら、それはつまらない人生なのかもしれない。挫折したり後悔したり、そこから学習したり成長したりと、苦痛も経験しますが、生きている意味を考えたり、どう生きていこうかと考えることもできます。

人生は海で例えられることはあります。凪のときもあれば、激しい雨風で大荒れのときもありました。泣いたり笑ったり怒ったりと、人は忙しい生き物ですが、それでも何もない人生よりも、静かな毎日よりも、生きている実感は持てるのではないでしょうか。そして、また頑張ろうと思い、心身ともにステップアップする。

こころが反応する人生は面倒だと思い、人との距離を置く人もいますが、そうすることで寂しさを感じているのなら、それもこころが反応している証拠。好き嫌いの感情が交差しており、葛藤であり、さまざまな精神、感情を人は持ち合わせているからこそ、こころが動かない人生より、人生は豊かになると思います。

恋愛の法則性を知って恋愛上手になる

恋愛の法則性を知って恋愛上手になる

あなたは今まで、何回恋愛をしましたか?

私は付き合った人の数は少ないほうだと思います。20歳で結婚したということもひとつの理由でもあります。

付き合った相手のパターンから、自分のことを知ることはできます。私の恋愛は、すべての男性からふられました。笑)男と付き合いたくないというあらわれでもあります。そして、男を傷つけるより傷つきたいという、厄介な特性でもあります。笑

その理由としては、傷つくことに愛着を持っているからです。

では、なぜ愛着を持つのか。

それは、幼少期や古い親族の歴史のパターンから、その理由の要素となる情報を、さまざまな視点から知ることができます。私の場合は、女性が家庭内で傷つく立場だったというのが愛着(執着)を持つひとつの理由です。もちろん他にも理由はあります。

古い歴史から引き継がれている繰り返しのパターンから抜け出したとき、少しはあなたが望む恋愛の形へと近づけるのかもしれません。今、恋愛中のかたがおられましたら、好きな人とよりよい恋愛もできることでしょう。

しかし、傷つくことへの愛着は相当なエネルギーを持っています。人は負のエネルギーにこそ愛着を持つ。その負の力に勝てるかどうかは、あなた自身です。

生まれたときの情報から、家庭環境、親子関係にいたるまで、自分のあらゆる姿を知ることが、恋愛上手になる鍵となります。

人の目が気になるのはなぜか

人の目が気になるのはなぜか

最近、身の回りのものを整理していたら古い日記が出てきました。2014年の向精神薬断薬後の日記です。

断薬以前までは、自分のこころや精神や内面については、ほぼ向き合っていなかった。人とのコミュニケーションが苦手で、人を避けていたのは理解はできていました。そこから生きづらさは生まれていたことも、なんとなくは理解できていた。でも、根本の原因は気づけていませんでした。そもそも根深い原因があるだなんて思ってもいなかったし、因果の法則さえ知らなかった。

日記には書かれていた内容のひとつは、「人の目を気にすることを手放したい」でした。

人の目を気にすることをやめるとしたら、それは自分の特性や幼少期の家庭環境や親子関係、もっと古い家の伝承など、あらゆる自己に向き合わないと難しいかもしれない。高い目標があれば、人の目など気にせずにどんどんと前に進めると思いますが、なかなかすべての人間が持てるとも限らない。

そうすると、「どうして人の目など気になるのか」という問いに対する、原因と理由を探すしか方法はない。

私の場合は出自をはじめ、トラウマなどいろいろと隠したいものがありました。ですから余計に人の目が気になっていた。性被害ということも悟られないようにしていた部分はあります。隠そうとすればするほど震えている感覚はある。今、体の震えは以前よりは少なくなってきています。

人の目をみれないというのも、人間が怖いということだと思います。人は一瞬で悪魔にも天使にもなれる。その目を見なければ何もされないという防御として、人の目をみないのかもしれません。単純に親の悲しむ目や、怒っている目などみたくなかったともいえます。

「目は口ほどにものをいう」という言葉があるように、目の訴えは強烈に語りかけられ、こころに残ります。精神からの強烈な想いとなり、周波数がその目を作り出していると思います。

私は精神分析や相性数秘術などによる占いにより、さまざまな自分の姿を知ることができて、人の目はあまり気にならなくなっています。自分のやりたいようにやり、その評価と責任は自分にしかできない。そして、人の目など気にしている時間と人生は、それほど長く続かないということを、今、大事にしているテーマでもあります。

今日という日は2度とこない。次はないからこそ、悔いのない生き方を。