現実を否認し無知のままでいるならば、それは常に最悪の結果を招く

ある言葉より

残念なことに多くの人々は、自分たちがのぞき込んでいる深淵の深さをまったく理解していない。

われわれの子供たちにどんな世界を残そうとしているのか、それをまったくわかっていない。

大部分の人々は、そんなことはまったく気にかけていないようだ。

基本的に人々は、無意識的に(あるいはやや意識的に)真実に直面するのを嫌がっており、自らその耳目を塞(ふさ)いでしまっているのである。

なんだか私は、柵の外に飛び出した一頭の牛になったような気がしてならない。

私は柵の中で草を食んでいる仲間たちに向かってこう叫んでいるのだ。

「おーい、みんな聞いてくれ。

毎月トラックがやって来ては、そのつど仲間を何人も連れて行くだろ? 

あれはさ、みんなが思っているように、仲間たちを別の牧場に連れて行ってくれてるんじやないんだ。

実は連れて行かれた仲間たちは、頭を撃ち抜かれて殺されているんだ。

そして血を抜かれて切り刻まれて、パックに詰められているんだ。

人間たちはそれを売り買いして食べてるんだよ!」と。

牧場の仲間たちの反応を想像していただきたい。

「馬鹿だなお前は。よく考えてみろよ。

人間たちがそんなことするはずないだろ。

それに俺はトラック輸送会社の株を持ってて、それなりにいい配当をもらってるんだ。

わけのわからないことを言って騒ぎを起こすのはやめてくれ!」。

まあ、こんなところだ。

さて、これからその実体を明らかにしようとしている彼らのアジェンダだが、それは何千年もの時をかけて徐々に現実化されてきたものである。

しかも、現在それは完成間近となっている。

人類が自らの
精神と
責任を
無防備に放棄し続けてきたため、
事態をここまで許してしまったのだ。

人類は、単におのれの生存を第一と考えて行動する以上に、自らが正しいと思うことを行なうべきだ。

「無知なる者は幸いなり」という諺があるが、それが当てはまるのもほんの少しのあいだのことだ。

たとえば竜巻が近づいているのを知らないでいることは、見方によっては幸せなことかもしれない。

それは「何か手を打たなくては」と心配する必要がないからだ。

しかし、頭を砂の中に突っ込んで耳目を塞いでみたところで、竜巻が接近しているという事実は変わらない。

そこで勇気を出して目を開き現実を直視するならば、災害を避ける方法も見つかるかもしれない。

しかし、あくまでも現実を否認し無知のままでいるならば、それは常に最悪の結果を招くことになるだろう。

それは現実から強烈な不意打ちを喰らうことになるからだ。

無知なる者は幸いなり。

ほんの少しのあいだだけ‥‥は。

内海聡氏のFacebookより
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内海聡先生の投稿記事はいつも気づきがあり、自分自身が人間らしく生物らしく、そこに戻れるような感覚もあります。そうありたい。

2025年もあとわずかです。

来年はさらに日本は衰退の一途をたどると思われます。

精神分析を主軸とした仕事を始めてから、7年。いかに人が現実直視を拒絶しているかがよく理解できました。ひとつとして大きな理由は、善人でいたいから。それは私でもあります。悪魔にはなりたくない。しかし、日本の現状は善人の集合体ではありません。子どもが1週間に10人自殺をする国が日本という国です。全体をみても問題は多く闇深い現状ですが、自分や家族が傷つかない限り、みな無関心であり、無反応であり、無行動であり、傍観者です。

自分の価値観や考え方生き方を見つめ直し、現実を直視できる方が増えることが何よりも必須だといえます。