もし子どもが性被害にあったら、親として何ができるか

もし子どもが性被害にあったら、親として何ができるか

もし子どもが性被害者となった時、親は被害者の立場にならないこと。あなたがそれを望んでいたという視点で物事を見ていただきたい。

きっとこの文章を読んだだけで、怒り心頭に発するでしょう。子どもが被害者なのだから、私たち親も傷ついた被害者だと主張するでしょう。しかし、それでは子どもはいつまでも被害者のままで、傷を負った弱者のままです。その傷を抱えたまま、弱さを持ったままです。

どんなエピソードだとしても、子どもが性被害を受けたのなら、親が守れなかったことにもなります。そのことを謝ることができます。

そして、子どもにそうなって欲しいと潜在意識で望んでいたことに気づくことができたら、何かしらの変化が起きます。親視点からも子ども視点からも。

そして、子どもが親にその被害に対して何か話すことがあれば、それを聞き、もし、話さないのなら話さない理由も必ずあります。無理に話させようとはせず、いつも自分視点で、「どうして話さないのか」と自分自身に問題が何かしらあることを探してください。

すべては被害者意識からは何も答えも対策も生まれてはきません。つらいことですが、加害者(自分自身が出来事を起こしていた)という立場で物事を考察していただければと思います。私もそうして性被害者ではなく、加害者という立場から物事を考察し、納得し、前に進めていますので。

宗教人生から抜け出すことができたのはなぜか

宗教人生から抜け出すことができたのはなぜか

創価学会員の家に生まれ、21歳からエホバの証人だった、宗教どっぷり人生46年間。

なんとなく始まってしまった宗教から離れることができた一番の理由は、自分自身がそれを望んでいたということを自覚することができたからです。

創価学会二世。そして、エホバの証人も初めは義母だけ信者でしたが、ほぼ二世の子どもと結婚した状態なので、私も立場的には二世のような感覚でした。

では、どうして宗教を望んでいたのか。

自分自身のトラウマ(性被害者)のため、エホバの証人の教えをお守りのようにしていたと思います。エホバの証人は結婚するまでは性関係を持ってはいけなかったので、その教えで子どもを被害から守っていたといえるのです。しかし、裏を返せば、決まりごとで拘束していました。守っているようで傷つけている状態でした。まさにすべては表裏一体。恋愛をすることも教理が邪魔をしていたと思います。

その他にも都合がいいことは幾つかありました。

教えがあることで自分自身が何も考えなくていいという奴隷思考。面倒な社会の関わりや人間関係も、宗教を理由に断ることができました。集会や奉仕活動が毎日のようにあったので、家族が一緒にいることができました。

都合がよくて宗教を自ら選択していたのです。

誰かのせいにしてしまうと考え方や生き方は変化しません。自分の人生なので、最後は自分自身でいろいろと選択してきたと思います。断ろうと思えばいつでも断ることも、宗教をやめることもできた。でも、そうする勇気が持てなかったのです。

もう宗教をやめようと強く思えたのは、子どもの家出がきっかけでした。強い覚悟ととてもつらい思いを持っての家出だったと思います。どこまでも子どもを苦しめてしまった。

子どもが家出をしてから数年後、子どもに謝り、夫婦でエホバの証人を脱退しました。

私たち夫婦に問題があったことを自覚したから、周りではなく、内側に問題があると認識して向き合ったから、宗教の問題や家族の問題が解決していったと思います。

人は被害者意識が強く、被害者のほうが楽なので、自分自身に問題があるという視点は持ちづらいと思いますが、宗教をやめたいと思った時は、周りの問題よりも、自分自身に向き合って欲しいと思います。宗教をやめさせたいというのも同じく。それができた時、人は誰かのせいにすることはしなくなるので、必然と強さが得られ、生き方も変化していきます。

内海式精神構造分析で幸せになれるのか

内海式精神構造分析で幸せになれるのか

内海式精神構造分析を初めて知ってからもう4年ほど経ちます。初めて知った時は興味本位で学んでいきました。わからないものがわかってくる楽しさもありました。

その後、整体くららでも内海式精神構造分析を使っていくうちに、こんなに苦しい作業をする必要があるのか、クライアントは自己に向き合いたくないから病気や問題を作り出しているというのに、それ以上苦しむ作業をするべきかなど、この精神分析を使うことで悩んでしまいました。実際、私自身の「闇」を自己分析していっても苦しくてつらくて、こんなにつらいのなら被害者のままでいいのではないかと、悩んだ時期もあります。

内海式精神構造分析は、現実を作り出しているのは自分自身という視点で分析していきます。ですから、私のように、性被害者も被害者ではなく加害者という解釈になってしまいます。性被害、性暴力という現実を自分自身が作り出したということです。それを知った時はとてもショックでした。今まで以上に人間が嫌いになったのかもしれません。

しかし、もし生まれ変わりのようなものがあり、同じように性被害者となった時、何かしら自分に伝える力があるとしたら「内海式精神構造分析」を自分自身に教えてあげたい。この精神分析で生きづらさや見えていなかったもの、理解できなかった事柄を見せてあげたいと思う自分もいます。

内海式精神構造分析で幸せになれる保証はどこにもありませんが、私は来世のようなものがあるのなら、また出会いたい精神分析法です。被害者意識に囚われず、現実を作り出しているのは常に己であり、何が起きても、どんな選択をしていっても、人生、自分が取った行動に責任を持って生きていたいです。

そして、何よりも、「内海式精神構造分析」で現実直視できる人が増えていって欲しい。現実や過去問題、社会問題から逃げない国民性になっていけば、この国がもし滅亡したとしても、復活できると思います。

こころの重い荷物

こころの重い荷物

隠しておきたいことをずっと心の奥底に置いておくことが重くて、性被害のことを開示してきたのも理由の一つでしたが、綴っていくのも苦しくなる時もあります。隠しておいたほうがいいのか、その重荷を軽くするためにオープンにしたほうがいいのか。苦しく感じる思いは今だけかもしれないので、こういう心の空模様のようなものも、隠さずに書いておこうと思います。

私が被害を開示した一番の理由は、相談者と対等で話したかったから。

トラウマなどつらい経験を吐き出して欲しいし、被害者意識が全面に出るのではなく、自己に向き合い前に進んで欲しかったから、私も同じ立ち位置ですよという意味で開示しました。そういう想いを伝えたかった。

そして、主軸で使用している「内海式精神構造分析法」による精神分析を、より解釈を高めるために、情報を隠して欲しくなかった。

パズルのような感じなのかな。パズルのピースを一つでも隠してしまうと、いつまでも完成はされず、どこかすっきりとしない感覚。虚しい感じ。

私もいろいろとトラウマや宗教や生い立ちなど隠してきたから、人生、どこかぽっかりとブラックゾーンのようなものができて、それが生きづらさを生み出していたように思えます。そしてそこから負のエネルギーが発生しているような感じです。これでは、罪悪感は深まるばかりです。

隠していたほうがいいのか、開示したほうがいいのか。人それぞれその人にあった答えがあるので、その時にどうしたいかと考えることがいいのかなと思います。こうして綴ってみると、性被害というトラウマを開示したことには後悔はしていない。そして、この記事が被害にあった方の目にとまればいいなと思います。