二元思考(二元論)による宗教脱会後の罪悪感と空虚感

二元思考(二元論)による宗教脱会後の罪悪感と空虚感

最近、ある宗教の二世の子の書籍を読みました。その中には、「集会にはもういかない」と親に伝えたことや、その組織から離れ、親に嫌われることをしてしまう様子が描かれていました。教えに反することや親に嫌われる行動を取ることで、宗教から完全に離れようとしていました。

しかし、最後の一文には「虚しい」と、そう書かれていました。

小さな頃から宗教の教えに触れ、受容していたので、裏切ることは少なからず罪悪感を持つのかもしれません。そして反発して、教えに反する行動を取ったものの、現状は変わらず、教えが全身にインプットされているので、罪悪感はもっと募っていくのでしょう。

これは二元思考(二元論)が関係しています。

教理が「善」
自分自身、不完全な人間が「悪」

こう教えられるのが宗教です。ですから、常に自分自身が「悪」になっているため、罪悪感はいつも抱えており、それは、人によって強弱があるように思えます。

私も0歳から創価学会でしたので、何かしらの教理を教えられてきたと思います。でも、ほとんど覚えていません。覚えているのは平和が掲げられていたことくらいです。だから、その平和から少しでも逸脱すると「罪悪感」が出てきてしまうのだと思います。

そして、宗教二世の子どもたちもそうなのだと思います。個人差はあると思いますが、罪悪感を持っている二世の子たちは多いと聞いています。自分自身が「悪」ととらえているのです。

私もいつの頃からか幸せになってはいけないなど「罪悪感」を強く持つようになりました。一つの理由は、父親が亡くなったことによるものだと精神分析をして認識できましたが、宗教による「二元思考」が影響していることには最近、自覚できました。

きっとこの著者も私と同じような感覚なのではないかと思います。そして、私の場合は、同じことを実の子どもにもしてきてしまったと、後悔の毎日です。子どもが苦しんでいなければと思いますが、人の心は表面には出ないので、見えないところで苦しんでいるのかもしれません。親として謝り、こうして綴って思いなど残しておくことしかできません。

宗教二世の子どもたちがもし、このブログにたどり着いたのなら、自分自身を「悪」にしていないか考えてもらえたらと思います。そして、「悪」にしている根本の理由を探し出していってほしいなと思います。

私も学生の頃から罪悪感を持って生きていました。結婚してそれは強く出るようになり、うつ病、自殺未遂など経験してきました。常に傷つけている状態でした。

その理由が、宗教の教え、幼少の環境、生き方考え方、アダルトチルドレン像、そして、自分自身では認識も自覚もできていない、家の伝承でした。もっと理由はあるのかもしれません。

自己に向き合うことはとても苦しい作業ですが、一番、重要視していただきたいのが、「周りのせいにしない」ということです。被害者意識を持ってしまうと、善と悪でしか考えることができず、自分自身を善とし、正しくしてしまいます。(悪にする必要もありません。)すべては自分で選択してきたのに。私もエホバの証人の家に嫁ぎ、うつ病になり、精神科に行き、精神薬を服用し、ひきこもり、人との関係を遮断し、自殺未遂に至った事柄は、どれも誰かにそうされたのではなく、自分自身で選んできたことです。誰にも文句はいえない。

ぜひ、被害者意識を持たずに自己に向き合っていただけましたら、このブログ記事にも意味があるのだと思います。

参考書籍

善と悪は表裏一体

善と悪は表裏一体

ある兄弟がいて、兄が下の兄弟をいじめていたとします。そのいじめの主な原因は、いつもそばにいた大好きなおばあちゃんを、下の兄弟に取られてしまったことでした。

ある日、兄はおばあちゃんと大げんかをして、それからはおばあちゃんとはほとんど口を聞かなくなり、兄弟、家族にも距離を取るようになりました。

これだけの情報では、いじめた兄が「悪い」ととらえられてしまいますが、裏を返すと、下の兄弟に大好きなおばあちゃんという存在をあげたことにもなります。そうするためにけんかをしたと、とらえることもできます。

実は下の兄弟を思っての行動だったとも解釈ができるのです。素直な行動が取れなかったのだと思います。そして、おばあちゃんを取られてしまったから、その悲しさが強く出て、いじめに発展してしまったと思います。本当は自らの行動だったのに。優しさも隠れているのに。

子どもは両親がけんかをしていると、なんとか平和を保とうとして異常な行動をしてしまうこともあります。外で友だちとけんかをして騒ぎを起こしたり、物を盗んだり、病気になって家庭内を忙しくさせたりなど。普通のとらえ方でしたら「困らせている子」といわれてしまいますが、実は両親の不仲を良くするためにあえて自分自身を「悪」にしてしまいます。子どもは大人や親よりもとても賢く、周りをよくみています。そして一生懸命、自分の持っている100%の力を発揮して、全力でその不仲に対処しようとしています。問題を解決しようとしているのです。

善と悪は表裏一体。

まさに、これらの例はそういえるのではないでしょうか。

もしかしたら、しかし、もしかしたらではなく確実に、子どもの異常と思える行動には、意味があってそうなっています。それを、「症状」「病気」ととらえ、精神の異常ととらえ、発達障害や精神の障害と病名のようなものをつけ、向精神薬を飲ませているのが現代です。本当に悲しいことだと思います。子どもたちのこころを読み取れない大人ばかりになってしまいました。そして、私もそうでした。この内海式精神分析を学んで、以前よりは、子どもの本当の声のようなものがわかるようになりましたが、まだ、親としても大人としても、人間としても未熟です。

どうか、これ以上、子どもたちが薬や無駄な医療で苦しまない社会になればと思います。そうしなければ、この国は本当に、確実に、復活のない亡国となります。

人は見たり聞いたりしたものだけで選択してはいない

人は見たり聞いたりしたものだけで選択してはいない

人は、見たり聞いたりしたものだけで選択してはいません。むしろ認識自覚していないものから、様々なものを選択しているといえます。

どうしてそういえるのか。

私は性被害者であり、子どもには絶対に性被害者になってほしくないと思うのが親です。いくら毒親だとしても、親ならそう願うと思います。そしてなるべくリスクを伴わない状況を作り出しました。

エホバの証人の家に嫁いだ時、エホバの証人の教理はほとんど知りませんでした。クリスマスと誕生日を祝わないことくらいでした。

エホバの証人の教えには、結婚するまで性関係を持ってはいけないというものがありました。親としても子どもとしても、被害を受けない受けさせない抑止力になったと思います。

内海式精神構造分析法を学んでわかったことは、自分自身が認識も自覚もしていないものが要因となって、いろいろな選択をしているということです。そして、エホバの証人という宗教を選択したのも、偶然ではなく必然であり、絶対に子どもを守るというミッションのようなものを持ちながら、この家に嫁いだのだと思います。うつという病気を作り出して、なるべく子どものそばにいたと思います。

すべて目の前で起きていることは、自分自身が作り出している世界であり、現実であり、だからこそ、それを変えることは自分自身でしか変えることはできません。病気でもあらゆる問題でも、治したり変化させたりするのは、あなた自身です。

女性性を否定してしまう理由

女性性を否定してしまう理由

現代では、多くの方が「性」に関する問題や悩みを持っています。男性は女性になりたい、女性は男性になりたい。そうではなくてもほんの少し自分自身の持って生まれた「性」を否定するのではないでしょうか。

私もいつの頃からか、スカートをはくことに拒絶はありました。性被害を受ける前だったような気がします。

私のホロスコープや数秘をみると男性(陽)がとても多いので、このことからも女性性を否定してしまう理由だと思います。

あとは、家の伝承のようなものも関係してきます。ブログでは綴ることはしませんが、確実に女性性を否定してしまう家系だと精神分析をしてわかりました。ここからも私の生きづらさの原因はあったんだと思いました。

これはただ単純に占い屋にいったり、病院にいったり、カウンセラーに話を聞いてもらったり、チャネリングなどしてもわかることはないです。

結局は「現実を見る」ことでしか、認識も自覚もできないのだと思います。女性性の否定に限らず、虐待でも薬漬けでも難病でも長い鬱病でもなんでもすべて。

現実を見ることを避けていました。受け入れる覚悟も自覚も拒否していました。だから、効いてもいない治ってもいない抗うつ剤を10年も飲み続けていました。頭が働かないように自らそうしていました。向精神薬とはそういう薬です。薬は毒として作用しているだけです。

自分自身の女性性を否定するのはつらい部分もあると思います。

本当はスカートをはきたいと思っているのにそうできない、恋愛をしたいけどブレーキがかかってしまうなど、自分自身の中で葛藤が常にあります。そしてそのジレンマにより苦しくもなる。

どうして性を否定してしまうのか理由がわかるだけでも、私は楽になりました。人にもよるのかもしれませんが、私は自分自身の否定の理由を知ることができてよかったです。