一人の被害者の声で世の中は変わらないけど・・・

一人の被害者の声で世の中は変わらないけど・・・

薬害や性被害やその他何でも、その実態が明らかにならなければ、こんな無関心な世の中で関心を持つ人は皆無であり、だからこそ、今も昔も声をあげ続けておられるのではないでしょうか。しかし、その声はなかなか一般市民には届かない。私も社会や政治や人にも無関心だったので、誰かの叫び声のような訴えも、どこかで耳に入ってはいましたが、聞き流していたと思います。

どうしたら多くの方に、悲しみや苦痛の声を届けることができるのか。問題に関心を持ってもらえるのか。

一人でも多くの経験者が、声をあげるしかないと思います。その声が増えれば、他人事では済まされない。ですから、私も薬害も性被害も開示してきました。

それでも世の中は変わらない。日本の現状は変わらない。

相変わらず人々は、危険な精神薬を手にして服用される方は多く、性被害も毎日どこかであるでしょう。今もどこかであるでしょう。そして、他人の闇など気にもとめず、現実の闇も日本の闇も見ず、今が良ければそれでいいと、楽なほうへ、楽しいほうへ逃げ込むでしょう。

今という現実は変わらないかもしれませんが、何十年か先の変化のために、今、悔いのない生き方をしていきたい。

今が変わらなければ、先も変わらないと言われるかもしれません。

それでも、人間はクズで、悪の化身であったとしても、残りの人生は自分がこうしていきたいと思った生き方で、人生を終わらせたいと思っています。次世代と七世代先の子どもたちに、少しでもそういう生き方をした人間がいたということが、波動として残せていけらたいいなと思っています。私もきっとそういう思想を何かしらの形で受け取ってきましたので。

あなたのその怒りは本当は誰に向けられるものか

あなたのその怒りは本当は誰に向けられるものか

最近、身近な人が何かに怒っているシーンがありました。その状態は常に自分が作り出していると読み解くのが、内海式精神構造分析法です。

では、なぜ怒りを作り出しているのでしょうか。怒りはエネルギーがいりますし、怒りたくもないと思います。

私はその状態を見て、本当は別の人に怒りたいのではないかと思いました。女性に怒っている状態なら、その女性は身代わりとなっているだけで、本当は別の女性(例えば母親など)に対して怒りたいのではないでしょうか。怒りが根底にあるから、怒りを出せる場面を作り出しているのかもしれません。

人類みな毒親なので、少なからずみな、親に対しての怒りはあると思います。

しかし、本当のことには気づきたくないのが現代人です。都合が悪くなるから、向き合うべき問題から逃げる人はとても多い。だからこそ今という現実が目の前にあります。現実から目を背け、耳をふさぎ、自分自身の目の前の問題も、本当の日本の姿も、見ようとはしません。ですから日本はまもなく滅びるといわれているのです。弱った精神と腐った精神ゆえ、滅びゆくのだと思います。

少しでも目をそむけることのない人が増えて欲しい。弱い自分を自覚して、今よりも強さを求めて欲しい。

そうしたら、本当に向けられるべき人に怒りを出せるのだと思います。実際に怒らなくても、怒っていたんだと認めることができます。

そして、本当の感情に気づいてあげることで、今までのように演じることも封じることもなくなるのだと思います。

一人ひとりが嘘のない生き方をしたら、強さが得られ、軸がしっかりとでき、この日本の姿も変わってきます。

宗教の勧誘に大学生が狙われる理由

宗教の勧誘に大学生が狙われる理由

宗教問題に関して調べてみると、近年では、大学生が標的となっている「キャンパスカルト」により、大学内外で宗教の勧誘が増えているそうです。

社会問題化した宗教団体「摂理」がコロナ禍で有名大学で勧誘を活発化 SNSを駆使した巧妙な手口 AERA dot.
若者を餌食にする「キャンパスカルト」の正体(2) 偽装サークルで勧誘 Asagei Biz
【学生の皆さんへ】カルト的宗教団体の勧誘に注意してください 新潟大学
「キリスト教」を名乗る団体について 青山学院大学

どうして若者たちが狙われるのか。

その理由の一つは、若さゆえに人を信用しやすく、断ることができないからではないでしょうか。守られ過ぎた環境のため社会性も低く、少し仲がよくなると疑うことなく、人を信用してしまうのかもしれません。悩みを持っていたら、ほんの僅かな心の隙間に入り込みやすくなり、その対応が心地よくもなります。または、プライドが高いために、まさか自分が騙されるはずはないと思っているのかもしれませんし、向上心や承認欲求も関係してくると思います。

そして、重要な点は、勧誘されることを本人が望んでいるという視点を持つことです。もし、お子さんが宗教の勧誘を受け、家を出ていくなり、家から離れて宗教にハマっていくのなら、それさえも望んでいるのはあなたなのです。受け入れがたいことですが、双方、その状態を望んでいるという視点をぜひ持って欲しい。

では、なぜ、勧誘されることを若者たちが望んでしまうのか。宗教にハマるのは一種の「逃避」です。現実問題からの逃避であったり、家庭内の居心地の悪さからの逃避であったり、親の支配からの逃避だったりもします。ぜひ、子どもたちが何から逃げたいのか考えてみてください。

そして、もし、宗教の勧誘により苦しんでいたり、つらい思いをされているのなら、「罪悪」も関係してきます。現在の罪悪というよりも、過去や全く認識のできていない罪悪です。罪悪に限らず、どうしてそういう行動を取っているのか、その理由は、内海式精神構造分析法により見つけ出すことができます。

ほんの少しの視点の違いで、宗教の勧誘の原因が違ったものになりますので、本当に解決させたいのなら、自分のどこに問題があるのかと、外側ではなく内側に問うて考えてくださればと思います。私もそうしてうつ病も、人間関係の問題も、トラウマ問題、宗教問題も、自分なりに向き合い自己解決してきましたので、この考え方がご参考になればと思います。

ぞんざいな扱いをされる理由

ぞんざいな扱いをされる理由

大切に接して欲しいと思う気持ちは誰でも持っています。私も雑な対応ではなく、優しく接して欲しいと思っていますが、どこかで雑に扱って欲しい、大切にされると逆に悪く感じる、ぞんざいな扱いのほうが楽、というような感覚も持っています。そういうことを話した時に、「なにか悪いことでもしたんじゃない?」といわれたことがあります。過去を振り返っても、あまり良いおこないをしていた人間でもなかったので、そうなのかなとも思います。そして、それ以上に、自分自身を「悪」にしていることがわかりました。

子どもは、親や親族や大切な誰かを失った時、または、家庭内が平和ではない時など、自分が何か悪いことをしてしまったからそうなってしまったのではないかと考えてしまいます。私も過去を振り返ってみると、同じように感じていたと思います。生きている罪悪感を常に持っていました。

そうすると、自分の存在価値を低めてしまいますので、それが周りに波動として伝わり、結果、ぞんざいに扱われるようになります。

ぞんざいに扱われるのは、あなた自身がそれを望んでいるからです。

私は、ずっと、周りのぞんざいに扱う人にそうしてしまう原因があると思っていました。雑に扱う癖のようなものがあると思っていました。しかし、それは全くの逆でした。私こそが雑に扱われることを望んでいたのです。

そして、ぞんざいに扱われる理由は、誰かを失ったことや家庭不和だけの問題ではありません。もっと根深い「家の伝承」が関係してきます。もっと過去にさかのぼって、何か家庭にいびつな形があれば、それが原因となって、生きている罪悪感やその罪悪により、ぞんざいに扱われる理由は見つかってきます。家の宗教やトラウマなども理由の一つです。
二元思考(二元論)による宗教脱会後の罪悪感と空虚感
罪悪感は相変わらず持ち続けてはいるけれど・・・

人はすぐに誰かのせいにしてしまいますが、ぜひ、自分がその現実を作り出しているという視点を持って考えて欲しいです。目の前で起きている現実は常に自分発信なので。

そして、自分で自分を大切にして欲しい。私も最近はそう思えるようになりました。からだやこころや衣食住や身の回りで、大切に扱ってあげられるようになりました。二番目ではなく一番に大切にしてもいいんだと思えるようになりました。