ぞんざいな扱いをされる理由

大切に接して欲しいと思う気持ちは誰でも持っています。私も雑な対応ではなく、優しく接して欲しいと思っていますが、どこかで雑に扱って欲しい、大切にされると逆に悪く感じる、ぞんざいな扱いのほうが楽、というような感覚も持っています。そういうことを話した時に、「なにか悪いことでもしたんじゃない?」といわれたことがあります。過去を振り返っても、あまり良いおこないをしていた人間でもなかったので、そうなのかなとも思います。そして、それ以上に、自分自身を「悪」にしていることがわかりました。

子どもは、親や親族や大切な誰かを失った時、または、家庭内が平和ではない時など、自分が何か悪いことをしてしまったからそうなってしまったのではないかと考えてしまいます。私も過去を振り返ってみると、同じように感じていたと思います。生きている罪悪感を常に持っていました。

そうすると、自分の存在価値を低めてしまいますので、それが周りに波動として伝わり、結果、ぞんざいに扱われるようになります。

ぞんざいに扱われるのは、あなた自身がそれを望んでいるからです。

私は、ずっと、周りのぞんざいに扱う人にそうしてしまう原因があると思っていました。雑に扱う癖のようなものがあると思っていました。しかし、それは全くの逆でした。私こそが雑に扱われることを望んでいたのです。

そして、ぞんざいに扱われる理由は、誰かを失ったことや家庭不和だけの問題ではありません。もっと根深い「家の伝承」が関係してきます。もっと過去にさかのぼって、何か家庭にいびつな形があれば、それが原因となって、生きている罪悪感やその罪悪により、ぞんざいに扱われる理由は見つかってきます。家の宗教やトラウマなども理由の一つです。
二元思考(二元論)による宗教脱会後の罪悪感と空虚感
罪悪感は相変わらず持ち続けてはいるけれど・・・

人はすぐに誰かのせいにしてしまいますが、ぜひ、自分がその現実を作り出しているという視点を持って考えて欲しいです。目の前で起きている現実は常に自分発信なので。

そして、自分で自分を大切にして欲しい。私も最近はそう思えるようになりました。からだやこころや衣食住や身の回りで、大切に扱ってあげられるようになりました。二番目ではなく一番に大切にしてもいいんだと思えるようになりました。