一年前にメタトロンを受けた時の記事。
罪悪感を持っていたことが顕著にメタトロンでわかりました。父親、父方に対する罪悪感。
父親が早くに亡くなったことに対する、生きている罪悪感にも気づくことも自覚することもできました。生きづらさの理解が深まりました。そして、もっと根深いものもあるのだと思います。
うつになった時も、突然の悲しみも涙も、いろいろな理由がずっとわかりませんでした。今、わかって、自覚して、何が変わったのか。
相変わらず「罪悪感」は手放せていないと思います。それは、自分自身で手放してはいけないと判断したんだと思います。それでいいんだと、少しくらい「重荷」を背負って生きていたほうがいい。そう思っています。それほど不幸せでもないし。
罪悪感は持ち続けてはいるけれど、自由にはなった。わからないものからの自由。人に合わせてしまうばかりの人生だった、その状態からの自由。自分自身が何者なのか。闇の中を歩いていた状態からの自由。向精神薬や病気でこころもからだも痛めつけていた状態からの自由。他にもあげたらたくさん出てきます。
私の人生はとても不自由だった。
その状態から脱出できただけで、それだけでいいかなと思えます。
残りの人生は自由に自分自身を自分で大事にしてあげたい。そう思えるようになりました。それさえもできていなかったから、メタトロンも精神分析も受けて、自分自身の闇や悩みや何者かというような、いろいろなものに対する解釈が進んでよかったと思います。これらは自分自身で前に進まない限り何ひとつ得られないものです。人は生きていくためには誰かに助けられるのではなく、自ら自分自身を助け、なんとかしていくしかないのです。生きていくとはそういうことです。