愛と優しさは毒になることもある

自分の優しさは、ただの承認欲求の成れの果てです。捨てられたくなくて、嫌われたくなくて、人の為ではではない。自己満足の優しさでした。

最近、自分の優しさは「毒」になることがよくわかる出来事がありました。優しくすればするほど、相手は弱くなっていく。もっと助けてと、話を聞いて欲しいと、迫ってくる。誰かのせいにする。社会のせいにする。弱くなっていく様子がそばにいなくても伝わってきました。

この社会は、愛や優しさがあればとても素晴らしい社会になるとずっと思ってきました。でも、人間は愛や優しさを与えてしまうと、弱くなっていきます。精神薬を服用の方は特にです。依存体質だからです。私はそうでした。今もそうなのかもしれません。

幼少期にしっかりと親に甘えていれば、大人になって甘えを求めません。子どもの頃に甘えることができなかったから、大人になっても甘えてしまうのです。子どものような大人なのです。

こういう大人に愛や優しさを与えてしまうと、益々、依存体質が強くなります。自分で自分のことが世話をできなくなります。自分から何か調べたり、答えを出したり、その答えに責任を持つとか、そんなことができなくなります。

だから、少しの風邪で病院に行くのではないのでしょうか。自分で何とかしようという思考が持てないのです。医師にすがり、医師に答えを出してもらい、何かおかしなことになったら医師を責める。自ら責任を取らない。最初に医師にすがったのは当人なのに。自分で選択したのにそこは責めない。

今の時代、愛や優しさで、本当によい時代になったと言えるのでしょうか。むしろ、試練やあった時代や、少しだけ不便な時代の方が、人々は、家庭は平和だったのかもしれません。そのほうが精神的に強かったと思います。精神科や心療内科などない時代があったのですから。

人は成長する生き物です。成長することは楽しいことではないでしょうか。どうしたら人間は成長するのでしょうか。優しい、愛ある、平和な状態でどれほど人は成長できるのでしょうか。

こういうことを考えてこなかったから、右も左も病人ばかりではないのでしょうか。こういうことを私たち1人ひとりが考えていかない限り、この社会から病人を減らしていくことはできないと思います。