全く矛盾性のない整合性のあるものは生き物ではなくて機械

全く矛盾性のない整合性のあるものは生き物ではなくて機械

最近では、精神分析をある程度深めることができ、人間の心には深層心理と表層心理が存在し、それにより矛盾だらけで葛藤だらけだということが自覚できれば、あとは精神とか心とかあまり意識しなくてもいいのかなって思っています。逆とか今までと違った選択とか、もうそれ、どうでもいいじゃんって。←ある意味、いて座らしいかも。笑

本来の自分を知って、どういう家系図の流れとパターンがあって、カルマがあって、どのあたりが陥りやすいところか、盲点はどこで、自分の裏テーマは一体なんだったのかと自覚できていれば、あとは自分が今、こうしたいって思った道に進めばいいと思っています。もしも困った状況に陥ったとしても、納得して選択してるから責任もしっかりと負えます。

最近、読んだ書籍では、このようなことが書かれていました。

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人間は矛盾しているから生きている。

全く矛盾性のない、整合性のあるものは、生き物ではなくて機械です。

命というのはそもそも矛盾を孕んでいるものであって、その矛盾を生きている存在として、自分はこういうふうに矛盾してるんだとか、なぜ矛盾してるんだということを、意識して生きていくよりしかたないんじゃないかと、この頃思っています。

そして、それをごまかさない。

「生きるとは自分の物語をつくること/著者:小川洋子,河合隼雄」
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矛盾というループからはどうも抜け出せない。矛盾が悪いわけではない。それをしっかりと自覚することに意味がある。

精神分析をおこなうときも、すべてを善悪でとらえないようにしています。病気は決して悪ではない。私のうつ病もそうでした。

矛盾を孕んでいるのだから、やはり人間には問題はつきものです。そのときにどう対処するか。それが人生においての大きなテーマであり、学ばなければならない分野だと思います。

ここで座り込んで世界が滅亡するのをただ黙ってみているつもりですか

ここで座り込んで世界が滅亡するのをただ黙ってみているつもりですか

「ここで座り込んで世界が滅亡するのをただ黙ってみているつもりですか」

そんな言葉が耳に入ってきた。

死を意識するような病気になった時、果たして身も心も無くなってしまう自分自身に対して何もせず、そして何も伝えず、黙っているだろうか。

「死にたくない」と思い、思わずその思いが言葉となって出てきてしまうのが、人間ではないか。大事なことを伝えたいと思うのではないでしょうか。

日本の人口は減少し、出生数は最少の66.5万人。税金は上がる一方で、給料はろくに上がらず、倒産する会社は増え、医療の現場ではがんや難病だらけの日本。精神科患者も増え、若者の死因一位は自殺。子どもが生まれないのだから、このままではいづれ日本は滅亡するでしょう。

あなたは日本が滅亡するのをただ黙ってみているつもりですか?

日本のあらゆる問題の根本原因は、何だと思いますか?

私は病気と同じように、滅亡する日本というその状態を作り出したのが、自分自身だと認めることができないことだと思います。人間はそれほど悪い生物ではない、むしろみんな素晴らしい、価値がある存在だと、自分が善人だと思っていることに問題があると思います。

自然も破壊され、水も汚れ、多くの動物が殺処分されているというのに。

「病気とは何か」と考えたとき、それは、生き方考え方の汚れなのかもしれません。

日本の現状も同様で、生き方考え方の汚れが、自然や動物へ影響されているように思えます。

あなたは自分の飲む水だけ綺麗にする人ですか。それとも、日本と世界の自然を今よりも良くしていきたいと思う人ですか。

一度徹底的に自己を全否定し、卑下し、人の生き方考え方を変えないかぎり、日本は滅亡の一途から抜け出せないのではないでしょうか。陰極まらないから陽に転じないのではないですか。

内海式精神構造分析法とカルマ(業)

内海式精神構造分析法とカルマ(業)

 突然、わけがわからない涙を流すことがありました。あなたにもわけがわからないことが日々の中でありませんか。私が内海式精神構造分析法を深めたいと思ったのは、よくわからない事象や、見えていない、認識できていない事柄を知りたかったからです。知ることは恐怖かもしれませんが、それ以上に自分のこと家族のことが知りたかった。そしてその時に深層心理と同時に直面しなければならないものがカルマでした。

 内海式精神構造分析法で部分的に取り入れているカルマ。カルマとは、日本語では業(ごう)といわれており、一般的には行為やおこないを意味します。カルマはインド哲学の考え方であり、宗教的哲学がそこには含まれています。カルマには種類がありますが基本的な考え方としては、行為や行動という原因が先々に影響を与え結果が生じるという説明になります。因果応報や因果の法則と言い換えることもできます。宗教用語による解釈というよりも、結果があれば必ず原因はあるという意味です。そして行為やおこないが何かしらの結果を生み出すということからも、カルマは実はとても人間に影響を及ぼすものであるといえますが、人々は日常でほとんど意識していません。もちろん私も内海式精神構造分析法に出会うまではカルマの概念すら知りませんでした。

 内海式精神構造分析法の精神用語ではカルマは罪の伝承にあたります。それは、一族の風習や雰囲気の伝承、精神性の伝承、罪悪感の伝承、周波数の伝承ともいえます。過去に一族や当事者のおこなってきた罪や生き方考え方が繰り返されているイメージであり、フラクタルの理論であり、輪廻転生はないという考え方の人でも成立します。

 先祖の祟りや見えない霊の力が影響しているかのように思われるかもしれません。しかしそういう意味ではなく、家系図を作成した時、早世や病気、病死や事故死や堕胎、家族構成や人の数や精神性などフラクタル性が強く、家系図の特徴がとても強くあらわされているという意味になります。そしてその状態を内海式精神構造分析ではカルマ家系ととらえます。

 私の一族もカルマ家系そのものでした。それには戦争や戦時中の出来事も関係してきます。親族から話は聞いていませんが、先祖は何かしらの罪を背負って生きてきたと思われます。わけがわからない涙は、私が8歳の時に亡くなった父親が関係していることもわかりました。その頃から涙を流すことがあったからです。助けることができなかった、またはどこかでいなくなればと思った罪の意識によるものかもしれません。人間というのは、良いこと悪いことを心の奥底で考えています。そして私から始まった涙ではなく、父親もまた悲しみを抱き、そのまま引き継いだとも考えられます。家系図作成により父親自身も絶望の日々だったと思われるからです。そしてカルマの概念からも何十世代も前からの悲しみ、罪悪感を引き継いでいるのだと思います。

 カルマですべてが解決されるわけではありません。しかし根本から問題を解決したいと思った時、見えないところにある自己の精神や深層心理に向き合い、現実過去問題に向き合い、生き方考え方を見つめ直し、すべての問題の原因は自分にこそあるということにどれだけ直面できるかどうかになります。私はそのようにして、トラウマからも宗教2世、1世の苦悩からも脱却できました。人生は一度切りだと私はそう考えていますが、もしも同じように苦しみのある人生が訪れ、何かに悩み、もがき、答えを探し求めているようなら、また出会いたいそのような内海式精神構造分析になりました。続く

人間は矛盾の塊

人間は矛盾の塊

結婚して、嫁いで、姑のことはとても怖かったし、面倒だったし、できることなら距離を取って生きていたかった。

しかし、精神分析をしてみると、とても大好きということがあからさまになってしまった。一番わかりやすいのが、嫌いな存在なのに、今でもそばにいるということ。物理的な距離感は視覚でも認識することができ、とてもわかりやすい。

私の中で姑に対して、好きと嫌いが同時にある。矛盾している状態であり、表裏一体であり、しかしそれが人間という生物だ。

方向性の違うものが同時に自分自身の中にあるのだから、一体、正義や正解はこの世のどこにあるというのだろうか。何かに対して議論すること自体、馬鹿馬鹿しいことになる。

そして、矛盾を意識して生きていくことは、自分を生物らしく生きる助けになるのではないかとも思う。

動物には矛盾はないと思うし、素直であり、裏を読んだり、先を読んだりせずに生きている。

人間はそうではない。

常に欲求的であり煩悩があり、何よりこの世と地球をみても、至る所を汚しまくり罪深い。

せめて自分自身の矛盾を自覚できればいいと思い、精神分析を続けている次第であるが、きっとそこまでつきつめてできる人間はあまりいないのではないかとも思います。

だから他者の闇も中途半端な見方、分析になってしまっているように思う。

私も矛盾人間だからこそ、善悪のない視点で精神分析をするように、そういう生き方考え方を忘れず意識したい。