人間は矛盾の塊

人間は矛盾の塊

結婚して、嫁いで、姑のことはとても怖かったし、面倒だったし、できることなら距離を取って生きていたかった。

しかし、精神分析をしてみると、とても大好きということがあからさまになってしまった。一番わかりやすいのが、嫌いな存在なのに、今でもそばにいるということ。物理的な距離感は視覚でも認識することができ、とてもわかりやすい。

私の中で姑に対して、好きと嫌いが同時にある。矛盾している状態であり、表裏一体であり、しかしそれが人間という生物だ。

方向性の違うものが同時に自分自身の中にあるのだから、一体、正義や正解はこの世のどこにあるというのだろうか。何かに対して議論すること自体、馬鹿馬鹿しいことになる。

そして、矛盾を意識して生きていくことは、自分を生物らしく生きる助けになるのではないかとも思う。

動物には矛盾はないと思うし、素直であり、裏を読んだり、先を読んだりせずに生きている。

人間はそうではない。

常に欲求的であり煩悩があり、何よりこの世と地球をみても、至る所を汚しまくり罪深い。

せめて自分自身の矛盾を自覚できればいいと思い、精神分析を続けている次第であるが、きっとそこまでつきつめてできる人間はあまりいないのではないかとも思います。

だから他者の闇も中途半端な見方、分析になってしまっているように思う。

私も矛盾人間だからこそ、善悪のない視点で精神分析をするように、そういう生き方考え方を忘れず意識したい。

生物として生きる最大の目的とは何か

生物として生きる最大の目的とは何か

生物として生きる最大の目的とは何か。

私は、次の世代に命をつなげていくことだと思います。現代人はその責任と考え方生き方を、前の世代から引き継いでいないと思います。その姿をみず、教えられていないと思います。ですから、命や尊厳がぞんざいにされているのではないでしょうか。ヤク中まみれ、病気まみれ、若者の自殺者も多いのではないでしょうか。犬猫の殺処分も多いのではないでしょうか。

私も次の世代を意識しておらず、食の質も意識しておらず、医療や薬に依存し、精神薬も飲み続けていました。そういう姿を子どもに見せてきてしまった。次世代を意識できるようになったのは、42歳の向精神薬を断薬したあとです。愚かな生き方ばかりで、後悔の連続です。子どもが一番、生き方や考え方を受容する0~3歳に、立派な姿を見せることができませんでした。

それでも、後悔ばかりしてはいられません。遅いかもしれませんが、七世代先の命を意識した生き方をして最後を迎えたい。今はそのように考えています。

現代は方法論が人気で、どうやって楽しく生きれるか、どうやって人生を豊かにできるか、どうやって病気にならず、または病気を治すかなど、手法が重要視されています。しかし、手法は一過性にすぎません。その場しのぎであり、対症療法であり、先の世代の命は二の次三の次になってしまいます。対症療法はときには必要でもありますが、あらゆる手段や手法は、自分さえ良ければそれで良しというものではないでしょうか。

何のために生きているのか、どうして生きているのか、生きる目的や目標は何かということを、今衰退している日本では特に考えなければならない重要なテーマなのかもしれません。

あなたの生きる目的は何ですか?

どうしてあなたはこの世に存在するようになり、今、生きていますか?

時代遅れで面倒臭いような問いになりますが、自分の思想とはどんなものかと思い巡らし、独自の思想を育てるような感じで考えていただければと思います。生きることや命というものに、まじめに向き合う姿勢を子どもたちがみたとき、命は先につながり、価値ある存在になり、自殺者や病者、虐待児など、傷つこうとする国民は減ってくるのだと思います。

フラクタルとカルマ(業)

フラクタルとカルマ(業)

精神分析では問題の本質をみつけだすために、繰り返すものである、フラクタル、相似形をみつけだす作業をします。

内海聡【公式】 YouTubeチャンネル【氣と精神】シリーズ
https://www.youtube.com/watch?v=-MKtAb1QMj8&list=PL6TNiENVDMQgph1rbtkK10T-ZJNgtwdJy

このフラクタルというのは、家系図から書き出していくと、繰り返されている現象が多くみつかります。それが多ければ多いほど、因縁が深く、執着が強く、カルマ家系だと内海式精神構造分析ではそうとらえられています。

カルマ(業)とは、内海式精神構造分析の観点では「罪の伝承」といわれており、家伝的要因が含まれています。例えば、水子や早世、病死や事故死や自殺など、連続した現象が目立ち、繰り返されていると、そこには因縁が深く、罪の伝承が強く、カルマ家系であるといわれています。

仏教ではこの業、カルマを輪廻ととらえられているのかもしれません。繰り返されている行為よる結果が悪いことが多い場合、例えば病気が続く場合などは、悪い事柄が生と死の連続のなかで繰り返される。

私は輪廻はないと思っている人間なので、この輪廻にあたるものが、内海式精神構造分析ではフラクタルの部分ではないかと思っています。これは私個人の今の解釈なので、間違っているかもしれません。

まだ、この文章を書いていても、上手く腑に落とせていませんので、内容も伝わらないかもしれませんが、今は思ったことを書き留めておきたいと思います。

参考になった動画
カルマ=行為=業 中村元(なかむらはじめ)
https://youtu.be/JO-S5RQbl-U?si=pEg9wXLi65C1xAnk

嫁と姑の関係がこじれる理由

嫁と姑の関係がこじれる理由

嫁姑の人間関係の問題は、現代ではよく耳にする光景となりました。公園や買い物などに行くと、嫁のことを話題にして会話をしているところを、みたり聞いたりします。

相性が悪いというのも嫁姑の関係性が壊れる理由です。星座でお互いのエレメントをみると、それだけでも相性の良い悪いはわかります。

自覚できていない仲が悪い理由のひとつは、夫と母の情緒的近親相姦です。情緒的近親相姦は精神分析をしてみると、よくある構図のひとつになります。兄弟同士の情緒的近親相姦もありますし、娘と父の情緒的近親相姦もあります。

夫(子)と母の情緒的近親相姦の場合は、母の夫、つまり夫婦関係でいじめや虐待があると、子と母が同盟を結び、そこからみえない恋愛関係の形を作り出します。悪者を作ると人は同盟を組み、そこから愛着や恋愛に発展します。

そうすると夫(子)と母の間にはみえない固い絆のようなものがあるので、そこに割って入ってしまった妻はふたりにとっては邪魔者になります。

ですから、嫁姑はどうしても仲が悪くなってしまう。そしてその仲の悪さを夫自身も望んでいるという、とても残念で仕方ないような精神性を知ることにもなります。一度、固いつながりを持った同盟は、そう簡単には崩すことはできません。ですから、嫁姑問題は永遠になくならないテーマなのだと思います。

そして実母を姑に投影していることが多いので、妻であり嫁である立場の人も、夫と義母の同盟、情緒的近親相姦を見届けてしまう。

簡単にいえば、全人類、母ちゃんのあんなところこんなところ大嫌い!と毒親認定していても、隠れた精神ではめっちゃ大好きなんですよね。笑

人間ってほんと厄介です。笑