音を楽しむことをやめた理由

音を楽しむことをやめた理由

小学生からマーチングバンドに参加して、気づくといつも私の日常は、音を楽しむことをしていました。社会人になってからは数年ですが、バンドメンバーとして参加していました。特に歌を歌うことが好きだった。

音楽が好きな理由は、父親が歌をよく歌っていたから。でも、私の記憶には歌っている姿は全くありません。しかし、親戚の方に会うといつも、「あなたのお父さんは歌がとても上手だった」とよく聞かされていました。

父親が大好きだった音楽を自分自身がやめてしまったのは、エホバの証人になってからです。この宗教(私の所属していた会衆)では、何故かカラオケには行ってはいけないという決まりがありました。聖書では明確にカラオケが駄目ということは書かれていませんでしたが、「世の人」と交流を深める場所には行かないようにということでした。

私にとって音を楽しむことをやめるということは、父親から引き継いだものを断ち切るという意味だったと思います。もしかしたらそれは、罪悪感からくるものだったかもしれません。父親が亡くなっているのに私は生きていていいのかという罪悪感。

内海式精神構造分析法やメタトロンで、その罪悪感が明確に理解、自覚できましたが、なかなか手放せていない自分もいます。しかし、もうその罪悪感を手放したい。

ずっと音を楽しむことをやめていましたが、最近は少しずつ楽しんでいこうと思えるようになりました。

人生の最期は音楽を楽しみながら終わらせたいなと思っています。

人生、悔いのないように、今、できることを、やりたいと思ったことをやっていこうと思います。精神分析をして意識を変えることができたことが何よりも嬉しいことでした。ほんの少しですが、罪悪感から開放してあげられそうです。

宗教にのめり込むのは誰のため?

宗教にのめり込むのは誰のため?

ある宗教では、その組織に参加することが、「自分や家族が救われる唯一の方法」だと主張し、それを聞いた方は宗教にのめり込んでいきます。

もし、自分自身の悩みを抱えていたり、家庭の不和があった時は、その言葉は魅力的に感じると思います。本当に救われたい、家族を助けたいと思い、必死に信奉するでしょう。そして、周りがその宗教をやめたほうがいいと言っても、その言葉は当人に届くことはありません。自分と家族を助けるために、その目的を果たそうと必死だからです。

もし、大切な家族が宗教にのめり込んでしまった時は、病気と同じですが、その人の問題だけと捉えないことです。その状態を偶然と捉えず、現実に起きていることは必然であると考え、宗教にのめり込む理由は必ずあるので、その理由を自分視点で考えることがいいでしょう。そして、宗教にのめり込ませているのは自分自身だという自覚と認識が持てると、選択するものや行動が変わってきます。

私も、すべて現実を作り出してきたという視点で考え、解釈を進めてきたことで、うつ病も、宗教や家族問題、トラウマによる問題も自己解決してきましたので、参考になりましたら幸いです。

内海式精神構造分析で幸せになれるのか

内海式精神構造分析で幸せになれるのか

内海式精神構造分析を初めて知ってからもう4年ほど経ちます。初めて知った時は興味本位で学んでいきました。わからないものがわかってくる楽しさもありました。

その後、整体くららでも内海式精神構造分析を使っていくうちに、こんなに苦しい作業をする必要があるのか、クライアントは自己に向き合いたくないから病気や問題を作り出しているというのに、それ以上苦しむ作業をするべきかなど、この精神分析を使うことで悩んでしまいました。実際、私自身の「闇」を自己分析していっても苦しくてつらくて、こんなにつらいのなら被害者のままでいいのではないかと、悩んだ時期もあります。

内海式精神構造分析は、現実を作り出しているのは自分自身という視点で分析していきます。ですから、私のように、性被害者も被害者ではなく加害者という解釈になってしまいます。性被害、性暴力という現実を自分自身が作り出したということです。それを知った時はとてもショックでした。今まで以上に人間が嫌いになったのかもしれません。

しかし、もし生まれ変わりのようなものがあり、同じように性被害者となった時、何かしら自分に伝える力があるとしたら「内海式精神構造分析」を自分自身に教えてあげたい。この精神分析で生きづらさや見えていなかったもの、理解できなかった事柄を見せてあげたいと思う自分もいます。

内海式精神構造分析で幸せになれる保証はどこにもありませんが、私は来世のようなものがあるのなら、また出会いたい精神分析法です。被害者意識に囚われず、現実を作り出しているのは常に己であり、何が起きても、どんな選択をしていっても、人生、自分が取った行動に責任を持って生きていたいです。

そして、何よりも、「内海式精神構造分析」で現実直視できる人が増えていって欲しい。現実や過去問題、社会問題から逃げない国民性になっていけば、この国がもし滅亡したとしても、復活できると思います。

こころの重い荷物

こころの重い荷物

隠しておきたいことをずっと心の奥底に置いておくことが重くて、性被害のことを開示してきたのも理由の一つでしたが、綴っていくのも苦しくなる時もあります。隠しておいたほうがいいのか、その重荷を軽くするためにオープンにしたほうがいいのか。苦しく感じる思いは今だけかもしれないので、こういう心の空模様のようなものも、隠さずに書いておこうと思います。

私が被害を開示した一番の理由は、相談者と対等で話したかったから。

トラウマなどつらい経験を吐き出して欲しいし、被害者意識が全面に出るのではなく、自己に向き合い前に進んで欲しかったから、私も同じ立ち位置ですよという意味で開示しました。そういう想いを伝えたかった。

そして、主軸で使用している「内海式精神構造分析法」による精神分析を、より解釈を高めるために、情報を隠して欲しくなかった。

パズルのような感じなのかな。パズルのピースを一つでも隠してしまうと、いつまでも完成はされず、どこかすっきりとしない感覚。虚しい感じ。

私もいろいろとトラウマや宗教や生い立ちなど隠してきたから、人生、どこかぽっかりとブラックゾーンのようなものができて、それが生きづらさを生み出していたように思えます。そしてそこから負のエネルギーが発生しているような感じです。これでは、罪悪感は深まるばかりです。

隠していたほうがいいのか、開示したほうがいいのか。人それぞれその人にあった答えがあるので、その時にどうしたいかと考えることがいいのかなと思います。こうして綴ってみると、性被害というトラウマを開示したことには後悔はしていない。そして、この記事が被害にあった方の目にとまればいいなと思います。