七世代先を考える子育て

七世代先を考える子育て

私が在籍していました政治団体「市民がつくる政治の会」は、今後縮小解散し、HPやSNSは削除されるようなので、提出しましたこちらの記事を掲載して残しておきたいと思います。
https://tsukumin.org/6994/

七世代先を考える子育て

「かつて日本は世界でも有数の子育て上手な国」と聞いて、驚かれる方はどれほどおられるでしょうか。私ももうすぐ50歳になり、一人子どもを育てさせていただきましたが、「日本が世界一子育ての上手な国であっても過言ではない」(ドクター久徳の子育て勉強会より)という言葉をこちらの子育て本から見つけ、とてもびっくりしました。それは、自分自身がとても子育てに苦労し、どう子どもに向き合えばよいのかわからず、何を相談してよいかもわからず、結果、うつになってしまったからです。病気を作り出し、病気を利用して子育てから逃げてしまいました。私と同じ、もしくは育児で悩むお母さんお父さんは現代では多いのかもしれません。

私の子育て下手の一つの理由は、自分が親からどのような子育てを受けてきたのかあまり覚えておらず、家庭の事情で放置が多かったので記憶にないというのがあります。受けていないもの、見ていないものを子どもに注ぐのは難しいのかもしれません。実際にどう対応してよいのか難しさを感じていました。

そして、もっとも大きな理由は、「七世代先を見据えて子育てをする」という生物として当たり前の本能や感覚を持っていなかったからです。

昨年の8月には、市民がつくる政治の会の全国同時ZOOMお茶会が開催されました。テーマは「脱コロナ時代の子育て」でした。内海代表の話された内容の中で、「我々大人は子どもたちに、教祖レベルで何か語れるか」そのようなことを言われていました。自分の生き方やポリシーや死生観などでしょうか、そういう哲学的な考えや、生き方や考え方や、子どもたちに引き継いでほしい価値観を語れるか、そういうことを語ることができるかということではないでしょうか。

私にはとてもできませんでした。七世代先を考えて物事を決めるという視点もなく、ポリシーもなく、周りに合わせる生き方が常であり、自分のことで精一杯でそれゆえ親に合わせてもらうような子育てでした。我が子の命が七世代先の命と結びついているなどという価値観は全くなかったのです。自立した姿を見せることができなかったとても愚かな親でした。弱い人間でした。

内海代表と同じような価値観を持っておられる、小児科医の真弓定夫先生の書籍もいくつか読まさせていただきました。真弓定夫先生も内海代表と同じように、七世代先の子孫にどんな影響を及ぼすか、熟慮し決定している民族ネイティブアメリカン(インディアン)に共感を持っておられます。そして彼らは、自分たちが現在あるのは、七世代前の先祖が、まわりの生活環境全体を自然のままに残しておいてくれたからなのだという考え方が身についているそうです。そういう考え方、生き方を先代が自ら見せてきたので、子孫はその背中を見て同じようにしているのだと思います。命を繋いでいくためには次の世代だけではなく、「七世代先を考えて物事を決める」という視点をまずは持つことが重要なのだと思いました。私はお二方から聞くまでは全く教わったことのない視点でした。

真弓定夫先生の書籍の中で、「私ども子どもの頃には、覚他の精神(自分だけでなく、周囲の万物に対して配慮する気持ち)をしっかりと教えこまれて成長してきました。」と、このように語られていました。この考え方、生き方はまさに「七世代先を考えて物事を決める」ことに繋がるのではないでしょうか。現代では周りを見渡した時、この「覚他の精神」を持っておられる方はどれくらいおられるのでしょうか。七世代先を考えて子育てをされておられる親御さんはどれだけおられるでしょうか。残念ながら、私も含め周りにはいません。考えておられる方がいたとしても、次の世代くらいではないでしょうか。

どうして私たちは七世代先を考えて物事を決めることができなくなってしまったのでしょうか。教えられることもなければ、その後姿を見てこなかったことが大きいと思いますが、別に考えられる要因は、「精神が弱くなってしまった。」そう私は考えています。弱いから何でもかんでも人に質問し、答えを求め、決定してもらい、決定したことにさえ責任を取ってもらう。それがこの日本の国の人たちであり、奴隷民なのだと思います。弱いから奴隷になりやすくなり、安易に薬や医療にすがってしまうのだと思います。簡単にいつでもどこでも薬が買えるようになってしまいました。便利な世の中で得るものも多いかもしれませんが、精神性など失ったものも多いと思います。

七世代先を考えるとともに、私たちはそれぞれが精神を強くしていくべきではないでしょうか。その強さを子どもたちに見せていくべきではないでしょうか。安易に何かに飛びつく前に、考える姿勢を、その背中を見せるべきではないでしょうか。私たち大人が生き方や考え方を変えなければ社会も国も変えることはできませんし、子どもたちが心身ともに強く逞しくなることもありません。

いろいろと精神を強くする方法はあります。神社の石段を登ったり、普段は車や電車の移動を歩いてみたり、また、不自由さを経験するために屋外でキャンプなどするのもいいと思います。そして、そうすることにより、いろいろと考えるようになります。様々な方法があると思いますので精神を強くし心身ともに強さを磨いてみてください。

そして、一番大切なことは、子どもたちが「この血を引き継ぎたい」と思えるくらいの家庭を作ることだと思います。毒親毒家族の血など誰も引き継ぎたくはないと思います。子から尊敬される親であるためには、やはり子どもたちを大切にすることだと思います。自分の命以上に次世代に繋がっていく命を大事にしていくことだと思います。命を大切にし、万物に対して配慮する気持ちがあれば、自ずと親を敬い、その血を引き継ぎたいと思い、その思いが七世代先へと繋がっていくと思います。

ですから常に「七世代先を考えて物事を決める」意識した子育ては重要であり、今、もっとも取り組むべき事柄です。

私は極小単位である家庭が円満であれば、その周波数は社会に大きな影響を及ぼすと確信しています。車を運転中に道を譲った時に、譲られた方の多くは次に道を譲る行動を取っている光景を見かけます。波の伝わる速度はとても早いです。

しかし今現在、社会や地球上は悪い状態であり、その状態ゆえ極小単位である家庭内がボロボロでありコミュニケーションも取れておらず、子どもの心さえも読み取れない親ばかりになってしまいました。言葉や薬で子どもをコントロールする親ばかりになってしまいました。「しなさい」「早くしなさい」「してはいけない」という言葉をよく耳にしませんか。実際に親でしたら誰もが使ってきた言葉ではないでしょうか。

この国の若者の死因第一位は自殺です。子どもたちは苦しんでいます。そして、この国の状況は私たち大人が次世代どころか、目の前の子どもたちの命さえ軽視していることになります。

このような国をそんな簡単には子育て上手だった国に戻すことはとても難しいと思います。それでも、これ以上、若者が死を選択するような国にしないためにも私たち大人が早急に動いていくしか方法がありません。私たち大人から生き方や考え方を変えていくしか方法はないです。

ぜひ、日本や社会を変えていきたい、このコロナやワクチンの問題をなんとかしたいという前に、家庭のあり方、子育てのあり方を考えてみてください。そして、この日本の現実という、目を背けたくなるような「闇」に向き合う強い精神を養い、目の前の子どもたちの命を、自分の子どもだけでなく、すべての子どもたちの命を自分の命以上に大切にしてください。それが本当の意味でできた時、我々大人は「七世代先を考えて物事を決める」という生き方を体現できていることになります。

なぜエホバの証人という宗教を選んでいるのか〜隠れた精神性をみつける〜

なぜエホバの証人という宗教を選んでいるのか〜隠れた精神性をみつける〜

なぜ親はエホバの証人という宗教を選択したのか。

そう思う宗教2世の子どもは必ずいることでしょう。多くの宗教が存在する中で、なぜエホバの証人をしていたのか。

その理由がわかる、隠れた精神性について語りたいと思います。

整体くららが主軸として活用している「内海式精神構造分析」では、家系図作成により、そこからあらゆる精神性をみつけだし、問題に対しての根本原因を探していきます。

病気や問題には環境や食など物質的な原因もありますが、心身一如という名の通り、精神も関係しているからです。その精神性にはこのようなものがあります。

アダルトチルドレン
メタファー
フラクタル
ジレンマ
トラウマ
バーストラウマ
カルマ
深層心理
承認欲求
転写行為
代償行為
苦痛の共有(同情)
共依存
疾病利益
潜在的罪悪感
情緒的近親相姦
疑似虐待
愛着障害
支配欲
反発心
正義心
嫉妬心
復讐心
闇の計画
など

私にとってどうしてもエホバの証人にならなければならない、隠れた精神や、想いや、深層心理や闇の計画がありました。

例えば、実家は創価学会という仏教でした。エホバの証人はキリスト教になるので、親への反発心がそこにはあります。

救済や復活というテーマがある、エホバの証人。早世の父親や交通事故死の祖母、そして性被害者としての自分自身、母や兄や妹と、すべてを救済してほしいという願望も含まれています。

宗教は面倒でマイノリティーでもあります。母親と同じことをしていたいという思いもあり、別の宗教にはなりますが、苦痛の共有もあてはまると思います。家族を助けれなかったという潜在的罪悪感により、苦痛の共有を選んでいたことがわかりました。

人々に宣べ伝えたり聖書を教えたりと、人のお世話をしている状態でもありました。アダルトチルドレンのリトルナースなどにも関係します。

エホバの証人はとにかく決まり事が多かった。創価学会よりも多く、窮屈でした。その教えを使い、子どもを支配していました。同じように苦痛を与えてしまった。ここにも苦痛の共有があり、私と母、私と子という関係性で苦痛の共有があることがわかります。

情緒的近親相姦は自分とは別の性ととらえがちですが、私はとても母親が好きだったと思います。母親のようになりたいとずっと尊敬し、そう思っていたからです。これは、男の子が父親を好きになることもあると考えています。父親と男の子どもの間にも、情緒的近親相姦はあると思います。そして兄弟の間でもあります。

母親という存在を義母に投影することにより、そこには転写行為があります。

性被害者にとっては、これ以上、性的に傷つきたくないという思いは強いと思うので、エホバの証人の教えにより守られていたことは実感しています。社会からも人からもある程度距離が置かれていましたし、私の周りでは道徳的にも基準は高かった。守られたいという深層心理もあり、自ら一番守られるところを探し、エホバの証人の家庭に嫁いだのだと思います。

まだまだあるのですが、エホバの証人という1つのワードからも、これだけの精神が影響を及ぼしています。その精神は深層心理にあるので、ほとんど気づくことなく、潜在的にエホバの証人を選んでいることになります。

あなたの家族にも必ずいくつもの精神が働き、エホバの証人を選んで活動をしています。

ですから、本人がこれらの精神に気づかないかぎり、やめさせることは困難が生じます。潜在的精神が働いているので、本人自身が何に突き動かされて宗教をしているのかわからず、聖書の教えはよい、楽園になればみんな平和で平等な生き方ができる、永遠に生きられるなど、表面的な思いによりエホバの証人をしているということです。

何か大きなきっかけがないかぎり、人が生き方考え方をひっくり返すことは難しい。

そして、もし宗教やエホバの証人をやめさせたいと思った時は、まずは自らのこのような精神性に気づくことが先であり、自分から変わるしか方法はありません。

自分が一番、宗教をやっていてほしいと思っているという精神、深層心理があることに直面することが、何よりも先であり、みえないものにこそ意識を向け、思い巡らし、推測などしていただければと思います。

この世に善も悪もないという視点を持つ

この世に善も悪もないという視点を持つ

人が病気になったとき、多くの人は治るということが「正しい」ととらえます。しかし、本当に治ることが正しいことなのでしょうか。

私のうつ病も治ることなく、10年間の闘病生活でした。その間、治らない状態により利益を得ていました。人間関係にうんざりして人から離れられることができました。エホバの証人の集会も奉仕も学ぶことも飽き飽きしていました。仕事も家事も育児も夫任せでした。幼少期に甘えられなかったため夫に甘えている状態でした。病人という弱者になることで気にかけてもらえました。人権を守っていたかもしれません。他にもいろいろと得となることは出てくると思います。

病気がイコール「悪」ではないことは経験上、よく理解できました。うつ病という病気になったという経験を通して、自己の内面に向き合うことの重要性を学べました。トラウマやコミュニケーションの問題などにも向き合い、納得のいく人生を歩むことができました。

この世に善も悪もないという視点を持つことは難しいかもしれません。病気になればそれを治したいと思うのが人間だからです。しかし、角度を変えるとみえているものの解釈は変わってきます。

人生において、善も悪もないという視点を持って、さまざまな事象を考察することは重要であり、自分の善と悪で人を支配することがないようにしたいと思います。特に自分の善悪の価値観で子どもたちが持っている価値観を変えないようにしたいですね。

親子関係による宗教2世の生きづらさ

親子関係による宗教2世の生きづらさ

親を尊敬している。
親を嫌いになれない。
親を大事にしたい。
親も苦しんだ人間で可哀想。
親が悲しむ、または怒るという反応を見たくない。

宗教2世が宗教から離れず、親から離れられない表面的な理由として、簡単にあげるとこのようなところでしょうか。自分に自信がないことや、組織から離れたときの置かれた状況の変化や孤独感も想像すると、宗教をやめるといった思い切った行動はなかなかできないかもしれません。

私の子どものように、親よりも他のこと、例えば恋愛でも仕事でも、親ではない何かを大事にできればそれが一番いいんですけどね。

親の人生を生きるのではなく、自分の人生を生きる。

そういう感覚は、宗教から離れるときにはとても重要です。

わからない親とのつながりや執着のため、そのような動機が持てない人もおられるでしょう。そのときは、どうして親から離れられないのか、その理由を知ることもひとつの助けになると思います。

客観的に自分と親との関係性を知ることは有効的です。

子どもはいつでも親に認められたくて、または何かの理由により、演じていることは確かです。自分が親に対して演じている姿を探していくことで、本来の自分の姿がみつかってきます。

そのときに活用していただきたいのが、アダルトチルドレン像です。

【ヒーロー】
何かが秀でている子どもがいると、さらなる活躍を期待して熱中し、子どもの方も一層頑張ることになり、ますます一芸に秀でることになる。昔の漫画で恐縮だが、「巨人の星」の飛雄馬のような子どもである。しかし本当の奥の心ではそこまでして頑張りたいとは思っていないのである。

【スケープゴート】
ヒーローの裏側に当たるのがこのタイプの子どもである。一家の負を全部背負うような子どもである。この子さえいなければすべてうまく収まるという幻想を、家族全員に抱かせることで家族の真の崩壊を防いでいるような子どものことである。無意識のうちに家族の批判を集めるように行動する癖があり、だから背負うという言葉を使い生贄という言葉を使う。病気をするといえばこの子、非行をするといえばこの子、問題を起こすのはいつもこの子という役割の子どもだが、もちろん本当の奥の心ではそうやって生贄にはなりたくないのであ
る。このスケープゴートは広い意味にとることができるため、あらゆるアダルトチルドレンのパターンがスケープゴートだといういい方もできなくない。

【ロストワン】
「いない子」としての役割をする子どもである。いつも静かで文字通り「忘れ去られた子」としてふるまう。家族がなにか一緒にやろうとしても最初はいるがいつの間にかいなくなっている。いなくなっても誰も気がつかない存在となる。家族内の人間関係を離れ自分が傷つくことを逃れようとしている。中学生くらいになってくると、「いないという居方」にも磨きがかかってくる。さらにそれが大人になると磨きがかかってきて、いないこと、自分が孤独であること、人に感情移入しないこと、は普通であり必然であると主張するようになる。斜に構えているのに平然としたふりを装うのがロストワンのポイントで、ちょっとゆがんだ漫画の主人公などに多い。もちろん本当は仲間や友人が欲しいのだが、安いプライドのためそれを出すことはできない。

【プラケーター】
慰め役の子どもである。慰める相手は大半が母親であり、父母の仲が悪く男尊女卑の家系が多く、父が母を責めている風景を覚えていたり、記憶に封じていたりする。いつも暗い顔をしてため息をついている母親を慰める。父母が逆転することも当然ありうるし、嫌いなはずなのに好きであると感情移入してしまっていることも多い。末っ子が多いといわれるが、私が観察するにはそうとは限らず、長男長女がこの役割を演じることもある。優しく、感受性が豊かなことが多いのだが、それもまた表面的であり、本当は自分が慰められたり、親に褒められたいのである。

【ピエロ】
道化役の子どもである。親たちの争いが始まり、家族間に緊張感が走り始めると、突然頓珍漢な質問をし始めたり、踊ったり歌ったりし始める子どものことである。子どもなりのやさしさのゆえから場を慰めようとするが、毒親のレベルだとその行動の意味を解釈できず、頭が悪い子とかペット的な扱いを受けている。ピエロもまた代表的なスケープゴートの一種ともいえる。心の中はさみしさにあふれており、いつも家族が仲良くなってほしいと願っている。

【イネイブラー】
支え役・世話役の子どものことである。他人の世話をやいてクルクル動き回っている。この場合の他人は自分ではないという意味で、家族間の他の人の世話を焼いていることが多い。長男や長女がこの役割をすることが多いといわれるが、父母が不和のため子どもの世話がしっかりできず、自分が代わりにやってあげねばならないという感覚を身につけた結果である。一般的には母親に代わって幼い弟や妹の面倒をみたり、父親代わりをしたりする。長女が女ではなく長男のような役割を自らに課している場合も、イネイブラーととらえることが多い。依存的な親とのあいだに情緒的近親相姦が生まれる場合もある。

【リトルナース】
イネイブラーやプラケーターが家族を支えたり慰めたりするのに対して、リトルナースは家族以外、いわゆる血縁関係以外の他人に対しても、自分のことのように一生懸命解決しようとする。しかしこれは真の意味で他人の解決をしたいと願っているわけではなく、自分自身もそれに気づいていないことが多いため、問題の解決に至らず共依存関係に陥ることが多い。これは幼少期に満たされなかった承認欲求や、褒めてもらいたいという欲求を無意識的に引きずっていることが多い。自分のつらい経験を生かして、セラピストやカウンセラーになりたいという人は多いが、そのような人が問題を本質的に解決できることはありえない。専門家を育成教育するときの基本であるが、最近はそのことも教えなくなってしまった。

【ロンリー】
直訳すると一人ぼっちであり、自分の殻に閉じこもり他者をまったく寄せ付けないようなタイプである。ロストワンに似ているようだが、ロンリーは現実的にも一人でいる時間が圧倒的に長く、ロストワンは集団の中にある程度いるのだが、自分の姿を消しているようなイメージであろうか。当然ながら、何重にも心の仮面をかぶり、周りからは非常にめんどくさい人間だと思われている。

【プリンス】
王子といってもあまりよい意味ではない。周囲の期待に応えようとして自分をなくす、八方美人で流されやすい人である。ヒーローに若干近いがヒーローは実世界でもそれなりに活躍するのに対して、プリンスは陰で期待に応えようとするので、裏方だったり頼まれたら断れないようなことが多い。

他にもいろいろなパターンはあるが、おおまかにはこのような役割がある。そしてこれらは単一の形で出ることはまれである。内海聡/心の絶対法則より引用
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自覚できているあなたの役割の姿は、どのアダルトチルドレンにあたるでしょうか。私は複数ありました。ほぼどれにも当てはまります。親に対していろんな姿を演じていたことを認識できました。

ひとつ、エピソードを話すと、父親が亡くなったとき、親族から「あなたがお母さんを守るのよ」といわれました。いて座の私にはその言葉は必然でした。しかし、8歳の子どもには荷が重かったかもしれません。我慢ばかりの連続でした。甘えたかったし、泣きたかったし、怒りたかった。いろいろな感情を抑えていた自分の姿を知ることができました。母親のことを一番に考え、母親の喜ぶ姿がみたくて、必死だったと思います。当時は苦になっていませんでした。しかし無自覚の深層心理では苦痛を感じていたことでしょう。

そういう自分の姿をみつけていくことで、親からも離れられ、宗教をやめる決意が持てる、有効なひとつの手段となると思います。

自分が認識していなかった姿を知ることで、100%完全ではありませんが、親が望む姿になることをやめて、親の人生ではなく自分の人生を歩んでいけるのだと実感しています。

現代では家庭環境による問題は誰もが持っており、全人類アダルトチルドレンとなりますので、親子関係による精神性は永遠のテーマですね。完全に断ち切ることはできませんが、意識的に自分の意見を大事にはできると思います。

こちらの動画もご参考に。
内海聡【公式】 YouTubeチャンネル
【氣と精神】第八回は全人類アダルトチルドレン理論。
https://youtu.be/iWtzWjwtRns?si=NKwHvzq9z1iYb8_G