怖くないわけない

怖くないわけない

最近は音楽をよく聴いています。

「怖くないわけない」

そんなフレーズが音とともに入ってきました。
RADWIMPS – グランドエスケープ

いつだって「人が怖い」って思っているんじゃないかな、性被害者や何かしらのトラウマがあれば。記憶は消せないし、過去も変えれない。もし消えたとしても潜在的には残っていると思います。

いつも震えている感覚はあります。でも仕方がない。生きていくには仕方ないと思っています。被害者意識に偏らず、囚われず、自分の意識を別のほうへ向けるようにしています。今は自分がやりたいと思ったことを一生懸命力を注いで取り組んでいくだけ。

私も相変わらず強くもないし、落ち込むこともあるし、うつっぽくなることもあります。人を避けてしまうところも変わらずです。それでも、それさえも消し去るくらいの何かに対して必死になることが、私にはよい対処方法だと思います。トラウマに対する対処方法は人それぞれあると思いますし、この私の方法が一番よいとも思わないので、参考くらいにしていただければいいなと思います。

そして、自分自身を責めず、傷つけず、大事にしていって欲しいなと思います。

ズルいひと

ズルいひと

2004年にうつ病、その後、躁うつ病と診断されて向精神薬を飲み始め、2009年にはODやベランダから脱走、自殺未遂もあったため閉鎖病棟に入りました。そして、2014年に薬の危険性や効いていないことを認識し、断薬していこうと決意しました。3ヶ月で向精神薬を完全断薬しました。

精神薬をやめて、閉鎖病棟からも抜け出せたことは、ある意味、ずるい人間になってしまったのかもしれません。体裁主義の世の中に適合し、周りに合わせることが多い人間になってしまいました。この世界で生きていくために、ずるい人間になってしまった。

精神薬をずっと飲み続けている人は、周りの空気も感じ取って、過去の罪悪、自覚できていない罪悪も感じ取って、周りの都合のために今も飲み続けているんだと思います。いくら疾病利益があったとしても飲み続けています。

素直さや裏を読まない子どもらしさがある人が、この世界では生贄になっていくのだと思います。そして、永遠と精神薬などで自ら傷つけていくのだと思います。

ある病院のあり方 〜増える10代の若者〜
https://youtu.be/BxvvNijF2Ws

宗教の勧誘に大学生が狙われる理由

宗教の勧誘に大学生が狙われる理由

宗教問題に関して調べてみると、近年では、大学生が標的となっている「キャンパスカルト」により、大学内外で宗教の勧誘が増えているそうです。

社会問題化した宗教団体「摂理」がコロナ禍で有名大学で勧誘を活発化 SNSを駆使した巧妙な手口 AERA dot.
若者を餌食にする「キャンパスカルト」の正体(2) 偽装サークルで勧誘 Asagei Biz
【学生の皆さんへ】カルト的宗教団体の勧誘に注意してください 新潟大学
「キリスト教」を名乗る団体について 青山学院大学

どうして若者たちが狙われるのか。

その理由の一つは、若さゆえに人を信用しやすく、断ることができないからではないでしょうか。守られ過ぎた環境のため社会性も低く、少し仲がよくなると疑うことなく、人を信用してしまうのかもしれません。悩みを持っていたら、ほんの僅かな心の隙間に入り込みやすくなり、その対応が心地よくもなります。または、プライドが高いために、まさか自分が騙されるはずはないと思っているのかもしれませんし、向上心や承認欲求も関係してくると思います。

そして、重要な点は、勧誘されることを本人が望んでいるという視点を持つことです。もし、お子さんが宗教の勧誘を受け、家を出ていくなり、家から離れて宗教にハマっていくのなら、それさえも望んでいるのはあなたなのです。受け入れがたいことですが、双方、その状態を望んでいるという視点をぜひ持って欲しい。

では、なぜ、勧誘されることを若者たちが望んでしまうのか。宗教にハマるのは一種の「逃避」です。現実問題からの逃避であったり、家庭内の居心地の悪さからの逃避であったり、親の支配からの逃避だったりもします。ぜひ、子どもたちが何から逃げたいのか考えてみてください。

そして、もし、宗教の勧誘により苦しんでいたり、つらい思いをされているのなら、「罪悪」も関係してきます。現在の罪悪というよりも、過去や全く認識のできていない罪悪です。罪悪に限らず、どうしてそういう行動を取っているのか、その理由は、内海式精神構造分析法により見つけ出すことができます。

ほんの少しの視点の違いで、宗教の勧誘の原因が違ったものになりますので、本当に解決させたいのなら、自分のどこに問題があるのかと、外側ではなく内側に問うて考えてくださればと思います。私もそうしてうつ病も、人間関係の問題も、トラウマ問題、宗教問題も、自分なりに向き合い自己解決してきましたので、この考え方がご参考になればと思います。

ぞんざいな扱いをされる理由

ぞんざいな扱いをされる理由

大切に接して欲しいと思う気持ちは誰でも持っています。私も雑な対応ではなく、優しく接して欲しいと思っていますが、どこかで雑に扱って欲しい、大切にされると逆に悪く感じる、ぞんざいな扱いのほうが楽、というような感覚も持っています。そういうことを話した時に、「なにか悪いことでもしたんじゃない?」といわれたことがあります。過去を振り返っても、あまり良いおこないをしていた人間でもなかったので、そうなのかなとも思います。そして、それ以上に、自分自身を「悪」にしていることがわかりました。

子どもは、親や親族や大切な誰かを失った時、または、家庭内が平和ではない時など、自分が何か悪いことをしてしまったからそうなってしまったのではないかと考えてしまいます。私も過去を振り返ってみると、同じように感じていたと思います。生きている罪悪感を常に持っていました。

そうすると、自分の存在価値を低めてしまいますので、それが周りに波動として伝わり、結果、ぞんざいに扱われるようになります。

ぞんざいに扱われるのは、あなた自身がそれを望んでいるからです。

私は、ずっと、周りのぞんざいに扱う人にそうしてしまう原因があると思っていました。雑に扱う癖のようなものがあると思っていました。しかし、それは全くの逆でした。私こそが雑に扱われることを望んでいたのです。

そして、ぞんざいに扱われる理由は、誰かを失ったことや家庭不和だけの問題ではありません。もっと根深い「家の伝承」が関係してきます。もっと過去にさかのぼって、何か家庭にいびつな形があれば、それが原因となって、生きている罪悪感やその罪悪により、ぞんざいに扱われる理由は見つかってきます。家の宗教やトラウマなども理由の一つです。
二元思考(二元論)による宗教脱会後の罪悪感と空虚感
罪悪感は相変わらず持ち続けてはいるけれど・・・

人はすぐに誰かのせいにしてしまいますが、ぜひ、自分がその現実を作り出しているという視点を持って考えて欲しいです。目の前で起きている現実は常に自分発信なので。

そして、自分で自分を大切にして欲しい。私も最近はそう思えるようになりました。からだやこころや衣食住や身の回りで、大切に扱ってあげられるようになりました。二番目ではなく一番に大切にしてもいいんだと思えるようになりました。