この社会がよくなるために必要なこと

この社会がよくなるために必要なこと

それは、「現実直視」ができる人が増えること。

4年近く施術と相談業と並行して対応してきて思ったことは、施術目的で来られるかたの多くは現実から逃げていました。自己に向き合おうと努力していましたが、結果、施術して終わり、向き合いかたが浅いような感じでした。

目の前と過去や幼少に問題はあるのに、見ようとしない。または見ているフリをする。問題があるのに、施術で症状がよくなるわけがありません。問題を横や見えないところに置いて、施術で麻痺させているようなものです。むしろ、問題に向き合いたくなくて、施術に来ているのではないかともとれてしまいます。ですから、整体くららでは、施術を主軸として対応するのはやめました。しっかりと問題や自己に向き合うメニュー設定となっています。

まずは、現実問題や幼少や過去問題に向き合う姿勢を持っていただきたい。そして、自分を知ることをして欲しい。そこから、何かしらの変化はおきます。

私のうつ状態も、自分自身の状態を把握できたときに変化してきました。無意味で有害な向精神薬を10年間も飲んでいた自分を知って、愚かだと自覚しました。自分の愚かさや醜さを知ったときに、からだもこころも変化してきました。生き方や考え方が、依存の道から自立の道に変わっていったのです。

何かしらの問題を抱えていましたら、まずは、自分自身がどういう状態なのかを知ってください。現実に向き合ってください。そういう姿を目の前の子どもたちや、次世代七世代先につながる子どもたちに見せてあげてください。そのようにして、この社会も国も、自立していくことになり、その思想が後世に引き継がれるようになり、結果、現在の状態は変化してきます。

生きていくうえで大事にしたいこと

生きていくうえで大事にしたいこと

生きていくうえで大事にしたいことは、人それぞれあると思いますが、私としては、自分の意見と選択を大事にしたい。

うつ病のときは特に、人の意見を大事にしてきました。選択するものも、自分が選ぶのではなく、人が選んだものを優先にしてきました。自分がなかったともいえます。選ぶことも考えることも放棄していました。人に合わせることに嫌気が差していましたが、楽なほうを選んでいたと思います。嫌われないように優しい人を演じていただけでした。

今、「誰かのために」とか、「助けよう」とか、それを重要視しなくなって、自分を大切にできるようになりました。

やりたくもないことをやっているいわゆる「いい子ちゃん」は沢山おられます。そして、そのような人たちが、相談にきます。自分がなく、自分のポリシーがなく、断ることもできず、周りに合わせていて演じているのだから、苦しくもなります。病気にもなります。

どれだけその状態を自覚できるか。

周りのせいにせず、自分がその状態を作り出していると自覚できれば、それをやめればいいだけです。いい子ちゃんをやめればいいだけです。

親に合わせていたり、家族や知人に合わせる人生ではなく、自分のポリシーや生き方や考え方を持って、自分らしく生きていける人が増えたらいいなと思います。そうしたら、それは自立していることにもなるので、自ずと病気大国のこの日本は変化してきます。

怒りを隠したこどもたち

怒りを隠したこどもたち

私は、幼少からよく笑っていたり、笑いをとることが好きでした。そして、現代では、私と同じような子どもたちは沢山います。自然の笑いというよりも、自ら作り出している笑いです。その子どもたちの奥底には何が隠れていると思いますか。

私は義憤や怒りが隠れているのではないかと思っています。

自分自身に義憤や怒りが根底にあるということは、最近、自覚できました。ずっとそういう感情を隠すために、笑っていたり、笑いを生み出しだりしていたんだと気づきました。

そして、日常でそういう子どもたちに出会うことはあります。

沢山笑いを作り出そうとしているときは、この子には怒りが隠れているのではないかと考えます。実際に家庭環境などいびつさがあれば、大人や親に対して、社会にも対して、怒り続けているのかもしれません。

そして、そういう子どもたちはとても増えてきているのではないでしょうか。

この日本も社会の状態も悪くなるばかりで、大人たちは何をしているのだろうか、何もしない大人たちを見て、怒りを持っているようにも思えます。

周りの目ばかりを気にする大人たち。迎合ばかりの大人たち。子どもを守ってはくれない大人たち。改善も問題にも向き合わない大人たちを見て、もううんざりしているのではないでしょうか。

社会を変えていくには、政治に関与していかなければいけません。それも面倒だという大人は沢山おられるでしょう。ですから、この日本は滅亡へと進んでいるのです。

少しでも、面倒なことに取り組む大人たちが増えることを期待したいです。そうしたら、子どもたちは、自然と出る笑いになると思います。無理に笑うことも演じることもなくなります。

被害者意識の脱却から自分らしさがうまれる

被害者意識の脱却から自分らしさがうまれる

被害者になることは簡単です。私もいつでも被害者になれます。性被害者として、薬害にあったものとして、陰湿ないじめもありました。人は必ず被害者になれる場面があるはずです。しかし、本当に被害者なのでしょうか。もしかしたら、あなたが望んでいたことかもしれません。

内海式精神構造分析で精神分析をしていくとき、現実は自分自身が作り出しているという視点で分析していきます。そういう視点からではないと、問題の根源にたどりつけないからです。問題は問題のまま、生き方も考え方も変わらないままです。実際、私も被害者意識で生きていたときは、まったく問題は解決されませんでした。生きづらさを抱えたまま、誰かに合わせるだけの人生でした。自分らしさをまったく出せていない人生でした。

しかし、すべては自分が作り出している、被害者とは真逆の加害者であり、確信犯であり、そういう視点で物事をとらえたときに、今までどうして生きづらい人生だったのか、息苦しい人生だったのかという答えを見つけることができました。

それは、とても苦しいことです。つらい作業です。

でも、もう、誰のせいとか言いたくはない。私の人生は私そのものであり、誰にコントロールされているものではないからです。そういうのはもう嫌だからです。残りの人生も、支配もコントロールもされない人生を送りたい。

被害者意識を持つことには利益があります。疾病利益があるのです。自分のアイデンティティを守ることもできます。醜さを見ずにすみます。周りから優しくされます。自分は悪くないといえます。いろいろと都合がいいのです。だからみな、被害者をやめられません。

強さが求められますが、ぜひ、被害者意識から脱却してほしい。そうしたら、この国は、少しは改善の見込みが生まれるのかもしれません。