人を信じることができず悲しみを抱いている人たちへ

人を信じることができず悲しみを抱いている人たちへ

誰も助けてはくれない。

私の人生の中でこのように感じることはよくありました。

「誰も信じられない。」

そう感じている方はおられるのではないでしょうか。人を信じることができず悲しみや不安や絶望の世界におられるのではないでしょうか。

私は、人を信じなくてもいいと思います。むしろ、人間すべてが実は人など信用していない。そう思えるのです。

もし、人が人を信じているのなら、契約書、誓約書など必要ではないですし、様々な紙による書類などもいらないと思います。人は人を信じていないから、現代では録音機器なども開発されているのです。

人を信じることができないと感じておられる方は、その「自覚」ができているだけです。受け入れているだけであり、ですから苦しさや悲しさも得てしまっています。人を信じることができないという「認識」や「自覚」ができているということは、私はいいことだと思っています。

その「認識」や「自覚」がないからこの世の中は悪くなっているからです。

良いことをしているようで良いことではないことばかりしているのが今の社会です。子どもに精神薬を飲ませて、親は病気の子を抱えていると被害者を装う社会です。精神薬で子どもを傷つけているという「認識」と「自覚」があれば行動は変わってきますが、それができない方のほうが多いから今の現状となっています。日本では精神薬の消費大国であり、精神疾患の患者が増え続けているのが現状です。

「認識」や「自覚」をすることは、現実を受け入れ、現実に向き合えている証拠でもあります。私は人が信じられないと素直にその感情が出せていることで、それだけでいいのだと思いますし、現実直視できる強さも持っているので、嘆く必要もないのだと思います。

そして、すべての人があらゆる問題に現実直視できた時にだけ、互いに人を信じることができる社会になっているのだと思います。

応援しているだけでは社会は変わらない

応援しているだけでは社会は変わらない

以前までは行動している人、影響力のある人に世直しを任せている自分がいて、応援しいていることがいいことだと思っていましたが、それでは社会はいつまで経っても良くはならないことを自覚できるようになりました。

社会でも政治でも変えたいと思っているのなら、自分自身が先頭に立ってなんでもやっていくしか何も変わらない。

日本は人任せで応援していればいいという思想を持った人が多いから何も変わっていかないのだと思います。

他力本願では病も社会も直らず、逆に自ら行動した時に初めて病気や症状は治っていくという経験をされた方はおられると思います。自ら調べ、考えはじめた時に新しい道ができてくるのではないでしょうか。

すべての人が何か始めた時にこそ、世界は良くなっていくのだと思います。

社会や日本に限らず、家庭でも家族関係でも人間関係でも能動的に行動した時に、問題は良くなっていくのだと思います。

自立を心がけ、応援する側ではなく自ら行動している団体、ボランティアスタッフによる「市民がつくる政治の会」を知っていただけましたら幸いです。

市民がつくる政治の会

祈りとは、意を宣る

祈りとは、意を宣る

最近、「意宣り」という言葉を知りました。
いのりとは平和を願ったり、病気が治りますようにと願ったり、感謝や悔い改めの「祈り」なのかなと思っていました。

「意を宣る」

意宣りとは、自分の意思を意図を宣言することだそうです。例えば「子どもたちが笑顔で平和に暮らせるよう、自分は〇〇します」と具体的な行動を宣言します。

お願いするだけの他力本願ではなく、自ら行動する態度で意宣り、能動的で力強さを感じますね。祈りと意宣りの2つがあっての「いのり」という方もおられます。

今年も後2週間。あなたはこの世界を見てどんな意宣りをしますか。

自ら行動しようと努力している団体、市民団体を知ってほしいです。
市民がつくる政治の会

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