他国の子どもたちのほうが可哀想と思っている日本国民

他国の子どもたちのほうが可哀想と思っている日本国民

発展途上国や戦争、紛争地域で、泣いている子どもたちを、テレビなどの映像で見ることがあると思います。その状況から、多くの方は「日本は平和だ」「子どもたちは日本で生まれ育ってよかった」と、他国の子どもたちのほうが可哀想だと思うのが一般的です。でも、本当に日本の子どもたちは幸せなのでしょうか。守られているのでしょうか。この日本は平和で安全で、涙を流す子どもたちは少ないのでしょうか。

この国の若者(15~39歳)の死因第一位は「自殺」です。2020年は、小〜高校生の自殺者は499人と過去最多でした。(これは氷山の一角です。)
若年層の自殺をめぐる状況 – 厚生労働省
コロナ禍における児童生徒の自殺等に関する現状について 文部科学省
PRESIDENT Online「なぜ子どもの自殺が「過去最悪」となっているのか」

実際、私は、大人から守られることはなく、性被害者となりました。あまり守られたという感覚は持っていません。

そして、現代では、児童相談所(または児童養護施設)の問題もあります。ここでも、性被害や虐待などの問題があり、守られるべき場所で子どもたちは守られていない現実があります。
児童相談所の怖い話/内海聡
児童養護施設「わいせつ職員」5年で47人、被害に遭った子供は69人…読売調査 読売新聞オンライン

この日本は、子どもたちにとっては戦場のような場所になってしまいました。生き抜くために子どもたちは今まで以上に必死にならなければいけません。

そして、本来、子どもたちは信用したい大人を信用できないほど狂った国になっているのです。涙を流している子どもたちは今もどこかでいるでしょう。

子どもたちの病気も多く、今まで聞いたことのない疾患も増え、精神疾患も増え、食べていくことも難しい子どもたちもいます。

家庭不和も増えてきているのではないでしょうか。どこか冷えきった家庭になってしまい、感情を隠す子どもたちは増えています。そして、大人や親の顔色を伺いながら、繊細に生きている子どもたちは増えています。

しっかりこの国の現実を直視してみると、悲しんでいる子どもたちは、思っている数よりもとても多いのです。

その悲しみや涙を喜びや笑顔にしていくには、大人たちがまず、この国が沈みかかっている状態だと自覚することが大事です。子どもたちの見えない、聞こえない声や感情に気づいてあげることで、ほんのわずかかもしれませんが、変化が訪れます。

そして、一番重要なのは、子どもたちを苦しめているのが、私たち大人だということを自覚することです。目先の利益にとらわれて、楽なほうへ流されて、子どもたちの育っていく環境を破壊しているのは大人だということを、まずは認識するべきです。

「生きていてごめんなさい」って思う方へ

「生きていてごめんなさい」って思う方へ

生きている罪悪感を持たれている方は、結構おられるのではないでしょうか。私も時々そういう感情に押しつぶされてしまいます。

しかし、それがどこからそうなっているのか理解できただけで、心が楽になっている自分もいます。

一つの理由は父親の死です。小学2年生に亡くなっているので、その時、初めての人の死に直面しました。何が起きたのか理解できていませんでしたが、少しずつ日が経っていくにつれ、悲しみが強くなりました。「どこに行ったの?」ってよく泣きながら考えていました。

家系図を作っていく内海式精神分析をしてみると、理由は他にもあり、親族の不慮の事故や自殺も生きている罪悪感を持ってしまう理由の一つであり、そして他にも理由はいろいろとあるのだと思います。

宗教の教理からの影響も罪悪感を持つ原因でもあります。宗教の教えが「善」で、人間は不完全な生き物なので「悪」と捉え、その考え方を植え付けてしまいます。幼ければ幼いほど、強く影響されてしまいます。二元思考(二元論)による宗教脱会後の罪悪感と空虚感

見えていない理由は他にも必ずあり、いろいろな理由が複合的に重なり合い、生きている罪悪感の塊になったのだと思います。

この感情はどうにもならないのですが、どこからのものかわかるだけで、思い詰める時間も減ってきました。

人間はみな不完全であり、完全な「善」をおこなうことは不可能であり、何かしらの罪を背負っています。生きているだけでこの地球も汚していますし。

ですから、「生きていてごめんなさい」と思っていても、自分には生きている価値がないと感じていても、それでも生きていて欲しいなと思います。もう自ら苦しめず、自分の感情を優先して欲しい。生きる権利はすべての人にあり、人は本来、生きていくために生まれ出たのだから。