エホバの証人といえば「愛」が大きなテーマでした。神は愛であり、神と同じように私たち人間もその愛をあらわしていく。
愛とは、辛抱強く親切と、エホバの組織から教えられました。すべてのことに耐え、忍耐強さを示し、その力強い愛により希望を持つ。愛がなければ、ねたみや誇りやひがみや怒りなどが出てきてしまい、人を許すことができず、自分の感情や主張を押し通してしまう。自己中心的にならないよう愛を示すようにすすめられました。愛の定義を教えられました。
一見、いいことをいっているかもしれません。しかし、感情をおさえることなど人間にはできません。
私も人間関係で嫌な思いをすることはありました。そのたびに、エホバの証人の組織や聖書から教えられた「愛」により、辛抱強く忍耐し、許すことに徹底しました。その結果がうつ病でもあります。
私が嫌な思いをしている段階で、そこに愛はありません。
愛を教えられている組織で宗教2世は苦しんでもいます。私も子どもを苦しめてしまった。
この世に愛はあるのだろうかと思うこともあります。角度を変えれば愛に見えるものは、自分の欲求を満たすだけの「エゴ」でもあり、私が子どもに対して聖書の教育をしてきたことのように、当時は善と思っておこなってきたことは、実は「悪」でもある。
愛はこの世にないのかもしれない。それでも、人恋しくなるのが人間です。誰かの愛を求めるのが人間です。そして、人間に執着心がある限り、愛というテーマから逃れられないと確信しています。ですから、宗教では愛を利用して人をだまし、囲い込んでいるともいえます。