エホバの証人をやめたあとの私の生き方

この春、エホバの証人をやめて7年になります。

エホバの証人をやめたのは、子どもが親と宗教に嫌気がさして家出をしたのがきっかけでした。

家出をする前に子どもが恋愛をしました。相手が未信者のため、聖書のきまりで支配し、ふたりが付き合うことに対して条件をつけました。今では私たち夫婦がしてきたことに対して謝罪をし和解していますが、愚かな行動でした。人間の根底には「人を支配したい」という欲求が存在するということが、痛いほどよく理解できました。人間とは、悲しく虚しく醜い生き物です。人間の本質を自覚できたことで、これ以上、子どもを傷つけないようにと思えます。

エホバの証人をやめるきっかけは、人それぞれです。やめたいのにやめれない理由は、誰かの反応を意識しているからではないでしょうか。私も、子どもの家出と、夫がエホバの証人をやめたいといわなければ、やめていなかったと思います。家族にエホバの証人がいて、家族が悲しむ、家族が怒るなど、家族の反応がどのように出てくるかと想像すると、宗教をやめる勇気は持てなかった。子どもの自由性を奪っていました。犠牲にしてしまった。

宗教二世や宗教をやめたいと思っている人は、自分ひとりのことならやめたいと思えば、すぐにでもやめれると思います。それができないのは誰かの意見を重要視しているからではないでしょうか。誰かの感情を優先しているからではないでしょうか。その選択により、そもそも誰の人生を生きているのでしょうか。

私は私の人生を生きたい。

自分の人生を生きていなかったから、自分という確固とした意見や意思を持っていなかったから、宗教の教えにすがり、思想にすがり、宗教生活に子どもを巻き込んでしまいました。

そして、自分がどうして創価学会二世からエホバの証人一世になったのか、その理由を知ることにより、エホバの証人に戻ることはないという強い決断もできています。

今でも、記念式や大会の招待は家族や知人から連絡がきます。もしかしたらそのような連絡に対して、心が反応してしまう人もおられるでしょう。やっぱり戻ったほうがいいと、戻ったほうがざわついた心が楽になると、自分の想いを一番大事にせずに、他者の言葉を優先して、組織に戻られてしまう方もおられるでしょう。

そのときに重要な事柄は、「どうしてそのように反応してしまうのか」です。表面的な心の反応ではなく、無自覚の領域に存在する深層心理の何が反応しているか。その理解と自覚により、私は2度とエホバの証人の組織に戻ることはない。

エホバの証人の組織に属していたときは、現実逃避と反発心と防衛などさまざまな要素が影響して、エホバの証人という宗教を選択していました。そこには得と損もありました。エホバの証人の組織にいたということには明確な理由があり、それは宗教に属しているすべての人にも必ず理由があります。その理由がわかればあとは、自分自身がどう生きていくか、何を選択するか、それのみです。

そして、被害者意識をどれだけ捨てることができるか。そうすることで、宗教団体や宗教教理、親や家族など、それらの執着から逃れられる道へと歩んでいけます。

二元思考(二元論)による宗教脱会後の罪悪感と空虚感
https://seitai-kurara.com/archives/3715