病を「治したい」と、病を「やめたい」の違い

病を「治したい」と、病を「やめたい」の違い

さまざまな病気がありますが、病気を治したいと思って行動すると、治らない方角に向かってしまうかもしれません。私の場合がそうでした。治したいと思っていました。薬で治したいと思って、いろいろな薬を処方され、私も求めてしまい、今度こそはこの薬で治る!と思って飲んでいました。10年間、その繰り返しでした。うつ病を、躁うつ病、自律神経失調症を治そうと、本気で思っていましたが、きっと本気ではなかったのだと、今ならそう言えます。

では、「治そう」ではなく病気を「やめよう」という思いに切り替えるとどうなるでしょうか。それほど薬や治療法に執着しないのかもしれません。実際、私は、「もう、うつ病はやめよう、本当にやめたい!」と思ったら、薬をまず手放していくことが徐々にできて、3ヶ月で完全に手放して、甘えもあまり出さなくなりました。自立していたいと強く思うようになりました。意識が変わったんだと思います。

「病気を治したい」と「病気をやめる」という思いは、目指しているものが違うのかもしれません。きっと違うのでしょう。病気から卒業する時、まず最初の壁となるのは、この「治したい」から「やめたい」という思考になるかが鍵なのです。

他者の欲求を満たしてしまう人

他者の欲求を満たしてしまう人

私のように親から十分な愛を受け取れず、様々な場面で自分の欲求を満たしてもらえなかったアダルトチルドレンは、自分の思いは横に置いてしまい、どうしても他者の欲求を満たすことを先にしてしまいます。他者の思いを満たしてあげることで、自分の承認欲求が満たされるからです。相手を喜ばす事が使命のようになっているのです。他者の喜ぶ顔を見て満足しているのです。

でも、自分の思いはどうなんでしょうか。

自分の思いを多くの方は先に満たします。食べたい物があれば自分の食べたいものを1番に選びますし、見たいテレビがあれば1番に自分の見たい番組を選びます。でも、私のようなアダルトチルドレンで、人の意見に流されてしまう、人の思いを1番にする人は、全て他者の1番が自分の1番になってしまっているのです。自分の思いは横に置いたままで、選択力がほとんどありません。

そうするとどうなるでしょうか?自分で何も選べなくなります。人の意見に流されます。人の意見と違った時、相手の意見に同調するでしょう。かなり危険な状態です。全く自立できておらず、誰かの意見がないと不安にさえなるかもしれません。

私は自分がこういう人間なんだと気づきました。そして自分の思いを1番に選んでいいのだと気づきました。周りの人はみんなそうしてます。でも、本当はなんでもいいのかもしれません。自分が選んだ物が1番なのですから。私は人の意見を大事にし過ぎていました。自分の意見は持ってはいけないと思っていました。自分の思いよりも、他者の思いを先に満たしてあげないといけないと思っていました。だからそれはもうやめようと決意したのです。

私のことを真似なくてもいいのです。自分の意見をまずは大事に、大切にしてください。自分の感情を心の奥底にしまうことなく、出してあげてください。表現してください。自分の感情がなんなのか気づいてあげてください。誰でもない、自分が自分の感情を満たすのです。

あなたが自分の心を強くしたいと願うなら、人に理解されたいという願望を強くうち消そうとすることである。

あなたが自分の心を強くしたいと願うなら、人に理解されたいという願望を強くうち消そうとすることである。

私は本当に弱い人間なので、人に理解されたいという願望が強かったと思います。一言で言えば「かまってちゃん」でした。自分のことは自分が理解して、自分で満たしてあげて、自分で自分を大切に、自ら癒しとなれば、それほど理解を他者に求めなくてもいいのかもしれません。きっと理解を求めてもそれほど理解はされませんし、逆も然り。

内海氏のFBの投稿文から

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キチ○イ医が申すに最も人を精神的に病気たらしめる思想の一つは、「人に理解してほしい」という願望であるといえる。
またまた、と仰るなかれ。
これは患者と呼ばれる人々を観察する限り最も多い傾向なのである。
 
世界中どこの医療機関、医療施設であってもそれを満たそうとし、家族はそれを医療者たちに任せようとし、患者はそれを執拗に人々に求める。
この永遠に得られない解を求めようとするがゆえに、人々は精神的苦痛を深めていく。
はっきりいってこんなものは医療機関であったり、人が人に与える代物ではない。
誰かが誰かを理解するなどということはあり得ない。
要するに医療化思想の権化であり、後の権化であるがゆえに喰われる。
 
子供は何かあった時必ず親に聞いてほしいと思い発言する。
人に理解してほしいと願う人間ほどに、人を理解しようと試みることはない。
単純に言ってこの願望は幼児期に伴うものであって、真にいい意味での大人になっていない証拠である。
精神年齢というのは死語に近いがそれが低いということである。
そして理解してほしいと考える人々は、事実ではなく自己の都合を元に理解を深めさせようとする。
それは人をコントロールしようという統制概念が、根底にあるからに他ならない。
 
逆に言えば、幼少期にその願望が達せられていないから、大人になってその願望が強くなるとも言える。
ただこれはすべて真なりではない。
常に達せられてきたから、いつも達せられないと不満であるという成長の仕方も存在する。
本当に子育てというのは難しいものである。

 
あなたが自分の心を強くしたいと願うなら、人に理解されたいという願望を強くうち消そうとすることである。

それは主張するなということではない。
理解しあえる人は多くの説明がなくても理解できるのである。
私は私を理解した人を今までの中で一人も知らない。
それを無理に求めようとも思わないし、私の主張を相手が理解するかどうかは、その人が事実に忠実であるかどうかで決まるとしか思っていない。

やや宗教的だが執着や煩悩を生むということであろうか。

内海聡講演会〜毒舌医師が斬る!クスリに頼らない健康法

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2月4日月曜日午後から、内海聡医師の講演会が名古屋で開催されます。
日本母親連盟愛知県支部主催

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残席わずかだそうです。

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