内海聡社会学と生き残り講座、全課程を修了しました!

内海聡社会学と生き残り講座、全課程を修了しました!

内海聡医師による開講された
内海聡社会学と生き残り講座。
2024年1月から始まり12月に無事、全課程を修了いたしました。

2020年に受講した内海式根本療法認定セラピスト講座とは違い、内容は社会的なものが多く、コミュニケーションの向上やビジネスにも役立つ内容もあり、特にグループワークが多かった講座でした。

今回の講座では自分自身に課題を与えた講座。それは、懇親会にすべて参加。

懇親会は以前からとても苦手でした。楽しめない、話せない、話せばすぐにかたい話しになってしまうなど。簡単にいえば、コミュニケーション能力が低いともいえます。そして、人との壁をどうしても作ってしまいます。楽しみたくないし話したくなかった。その理由もよくわかっています。読者のほうがよくわかっているかも。

こんな私ですが、それでも変わりたかった。人は嫌いだけど、でも人を相手にした仕事をしています。自己に向き合い始めてから10年間。私の中で人間が好きでもあり嫌いでもあるということもよくわかりました。

人を避けていても私自身なにもいいことがありません。人は人の集合体の中で生きてしますし、私の目の前にあるすべてのものは、人が必ず関係しています。

人に対して、もうそういう感覚すら捨てたい。執着していることも、こうして綴ることもバカらしいと思えるようにもなりました。ですから、あらゆるものを開示したんだと思います。

自分に自信がなかったことも人を避けてしまうひとつの理由でした。トラウマもひとつの理由でした。さまざまな罪悪感ゆえに、社会と人から離れてしまうこともひとつの理由でした。もっと理由はあると思います。

あなたは人を避けて生きていませんか。冷めた感覚を持って、人はどうせ裏切るし、醜いし、立派でもないと、ふてくされて生きていませんか。拗ねたりいじけたりとできないことを簡単にできている人をうらやんでしまうかもしれません。ねたんでしまうかもしれません。

それでいいと思います。私もそうでした。

そういう自分を見つけることがまず大事だと思います。自分の本当の感情に気づくことが大事だと思います。そして、演じてきた自分をやめたいと思えば、人は一瞬で変われるんだと思える1年間の講座でした。

目の前の景色はあなたが変えたいと思えば一瞬で変わる。

ですから、今の日本も変化が訪れることを期待したいです。私のうつ病が一瞬で変化が訪れ、病が病ではなくなったように、社会の病も一瞬で変わることはできます。変わらないのなら変わらない理由は必ずあります。ですから根本の原因、根本の問題、根本の理由に向き合うことは重要です。

変えることにはエネルギーが必要かもしれません。うつ病をやめるときは、とてもエネルギーを使いました。社会の構図、医療の構図、薬とは何か、医学とは何か、私のうつ病の原因はどこにあるのかなど。肉体的にも精神的にも必死に対処してきたと思います。

そして、断薬から10年。

多くの自分の姿に向き合いました。本当の自分の姿を見つけることもできました。生まれ持った特質を知り、その特質をどういかしていきたいか考えたいと思えるようになりました。自分を大事にできるようになってきました。

私の命はあと何年続くかはわかりません。明日、命が終わるかもしれない。そういう感覚を持ちながら、次はないという感覚を持ちながら、一瞬一瞬を大事にし、自分の生き方考え方を大事にし行動していきたいと思います。

今年は10月29日の開業日を忘れてしまうほど、あっという間の1年でした。

整体くららは7年目突入しました。

みなさまのお役に立てるようなスタンスでこれからも活動していきたいと思います。今後ともよろしくお願いいたします。

罪悪感はどうして生まれるのか

罪悪感はどうして生まれるのか

幼少時からよく感じていたことは、親に心配されていない、気にかけてもらえていないというものでした。

いろいろなエピソードがありますが、社会人になった時に、車を直ぐに購入し、嬉しくて遠くに出かけることがありましたが、親に伝えることもなく出かけてしまったので、心配させてしまったと思っていましたが、親は全く心配していませんでした。自由で拘束がなかったので、私が望んだ現実でもありました。それでも、贅沢ですが、気にかけて欲しかった。

私のように、親から気にかけてもらえていない、心配されていない、振り向いてもらえていない、愛されていないなど、そう感じておられるかたは多いのではないでしょうか。自分は無価値だと、自身の存在自体に無価値感を持っておられるのではないでしょうか。

内海式精神構造分析による家系図を作成すると、無価値感の根本原因や愛されていない理由がわかってきます。理由の一つは、私が長女として生まれ、二番目の子として生まれ、女として生まれてきたという立ち位置的な部分に意味があります。潜在的にどうしても愛することができない立ち位置だったんだと理解できてきます。

愛されていない子どもたちは、生きている間に何を思うのでしょうか。

私は、生きている罪悪感、幸せになる罪悪感が育ってきたと思います。

私の人生の中で、いろいろな箇所で罪悪感は生まれました。父親が助けれなかった罪悪感。兄弟と仲良くできなかった罪悪感。祖母を助けれなかった罪悪感。母を喜ばすことができなかった罪悪感。宗教で子どもを苦しめてしまった罪悪感など。

親からの承認は子どもにとって重要です。だからこそ、幼少の子育てでは、親は子どもから物理的に離れず、精神的にもそばにいてあげなければいけないと思います。故・緒方甫氏の「子育て四訓」は今の時代、特に重要な教えとなります。

1.乳児はしっかり肌を離すな
2.幼児は肌を離せ、手を離すな
3.少年は手を離せ、目を離すな
4.青年は目を離せ、心を離すな

今の時代、便利なものが増えてきました。少しでも気を緩めてしまうと、子どもから距離を取るものばかりではないでしょうか。ベビーカー、紙おむつ、レトルト食品、テレビ、スマホ、インターネット、ゲームなど、親が楽になるものが増え、一人で遊べるものが増え、コミュニケーションを取らなくても済むような環境が増えてきました。

この「子育て四訓」は特に意識して、どの子どもとも接していきたいと思います。大人、親たちがそうしていけば、罪悪感を持つ子どもたちは居なくなり、自分というものを持つ子どもが増え、自分が何者なのか、自分のアイデンティティをしっかりと確立できる子どもたちが増え、逞しく生きていけると思います。迷った時も、何を考え、どうしたらよいかと、自信を持って選択していける子どもたちが増えると思います。

私のように罪悪感で押しつぶされそうな人もおられるでしょう。生きていていいのかと考えてしまうこともあるでしょう。それでも、どうして今の自分になっているのかと自覚するだけで、私は楽になりました。そして、その罪悪感を手放すのではなく、共に生きていこうと思える強さが持てるようになりました。

人の心のメカニズムのようなものを理解することで、以前よりは心は楽になりました。

人はそもそも罪深い生き物だと思います。生きているだけで自然を破壊しています。日本の現状を見ればそう思われるのではないでしょうか。そして、罪深い人間だと自覚すると、地球も日本も日本の自然もこれ以上は破壊せずに、破壊されずに済むかもしれません。

自分の状態を知ること、楽なほうに逃げないこと、罪悪感を手放さないことは、自分の罪悪感を今より小さくできるのではないかと思っています。これが2014年の断薬から自己に向き合った8年間の私の答えです。罪悪感も自分の一部として生きていこうと決意できた8年間の答えです。そして、罪悪感やこれまでの罪深さや後悔の対応は、人それぞれの答えがあっていいと思います。私に罪などあるわけがないと罪悪感を打ち消すほどの楽しさなどに浸るか、罪悪感を受容するか、究極的にはこの2択になると思います。

宗教二世と表面化しない生きづらさ

宗教二世と表面化しない生きづらさ

今回、プロライター橋本絢子さんとの宗教二世三世の生きづらさというテーマについての対談で、改めて自分自身の特に幼少期の感情に向き合うことができました。まだまだ、自分自身に向き合えていない部分もあり、多くのもの、重たい荷物のようなものを、奥のほうに追いやり、見えないように閉じ込め、感情も封じてきたことが理解できました。

宗教2世の人が生きやすくなるために必要なこと(橋本絢子Ayako Hashimoto YouTubeチャンネル)

動画内では、0歳〜21歳までは、自分らしく生きてきたんじゃないかなと思い、それほど強く生きづらさを感じてはいなかったことを話しました。

しかし、時々、無気力になることもあり、幸せになる罪悪感もあったり、だからこそ自分優先ではなかったり、時には突然涙が出たり、悲しみを隠そうと笑っていることも多かったりと、学生の頃から生きづらさを感じていたことがわかりました。日常で人形を演じたり、思っている感情を封じていたりする自分がいました。本来の自分を表現できず我慢の連続だったと思います。

表面化されない生きづらさを抱えている宗教二世三世の人たちは多いのかもしれません。宗教家庭に限らず、今では、家庭や社会や経済の状態も悪くなり、つらい状況の中で生きている子どもたちは沢山います。

でも、そういう子どもたちに限って本当の気持ちを隠して、よく笑っているようにも見えます。

その状態を認めたくない、不幸な自分を認めたくない、自分が哀れな人になる、そして一番は親が悲しむから。そう感じて自分自身を隠してしまう子どもたちは必ずいます。

そのため、私自身も一番思っていることは表面には出てきていませんでした。生きづらさは表面化しませんでした。生きづらさを感じないよう、必死に日常を過ごしていました。

その後、21歳で結婚し、数年後うつ病になり、やっと感情を症状で表現できたのかもしれません。

病気は必ず心が影響していますし、奥底にある隠した思いが病気を作り出していますので、そうできたことはよかったのかもしれません。表面化しない生きづらさからほんの僅かですが、症状が出ることで表面化してきたと思います。

以前は悲しみや苦しみの感情を押し殺して、無感覚になって、笑っていました。宗教家庭で育ったということをはじめ、性被害や父親の死や母子家庭など、つらい出来事を、その出来事からくる悲しみや寂しさや憤りや苦しみなどの感情を、出さないようにしてきました。感じないようにしてきました。結婚後、出さないようにしてきた感情を少しだけ感じることができ、うつ病という病気を作り出したのではないかと思います。

症状はお知らせのようなもので、自分自身に向けたメッセージでもあります。本当は有り難いものだと思います。しかし、現代の対応では症状は「消す」というのが主流になっています。薬で抑えるというのが現代医学の対策です。せっかくのメッセージを抑え、消してしまうのは愚かな対応です。私も同じことをしてきてしまいました。そして、症状も抑えて封じて消してしまうから、生きづらさをより一層深めてきました。症状をはじめ生きづらさの原因も複雑になりややこしくなっていました。

今回の対談で表面化しない生きづらさも存在することに気づくこともできました。言葉にも想いにもならないような生きづらさは存在します。

あなたの生きづらさはどのような感じでしょうか。

「私は生きづらさなど感じたこともなく、毎日、穏やかに過ごしている。」そう思うかたもいると思います。しかし、すべての人間は必ずアダルトチルドレンであり、何かを演じながら、何かを封じながら生きています。すべての人が少なからず生きづらさを感じているのではないでしょうか。

もし、目の前に問題があるとしたら、表面化されない生きづらさというものが存在するということを、知っていただけたらいいなと思います。そういう視点で生きづらさについて何か考察していただけましたら幸いです。

この社会がよくなるために必要なこと

この社会がよくなるために必要なこと

それは、「現実直視」ができる人が増えること。

4年近く施術と相談業と並行して対応してきて思ったことは、施術目的で来られるかたの多くは現実から逃げていました。自己に向き合おうと努力していましたが、結果、施術して終わり、向き合いかたが浅いような感じでした。

目の前と過去や幼少に問題はあるのに、見ようとしない。または見ているフリをする。問題があるのに、施術で症状がよくなるわけがありません。問題を横や見えないところに置いて、施術で麻痺させているようなものです。むしろ、問題に向き合いたくなくて、施術に来ているのではないかともとれてしまいます。ですから、整体くららでは、施術を主軸として対応するのはやめました。しっかりと問題や自己に向き合うメニュー設定となっています。

まずは、現実問題や幼少や過去問題に向き合う姿勢を持っていただきたい。そして、自分を知ることをして欲しい。そこから、何かしらの変化はおきます。

私のうつ状態も、自分自身の状態を把握できたときに変化してきました。無意味で有害な向精神薬を10年間も飲んでいた自分を知って、愚かだと自覚しました。自分の愚かさや醜さを知ったときに、からだもこころも変化してきました。生き方や考え方が、依存の道から自立の道に変わっていったのです。

何かしらの問題を抱えていましたら、まずは、自分自身がどういう状態なのかを知ってください。現実に向き合ってください。そういう姿を目の前の子どもたちや、次世代七世代先につながる子どもたちに見せてあげてください。そのようにして、この社会も国も、自立していくことになり、その思想が後世に引き継がれるようになり、結果、現在の状態は変化してきます。