人生の迷子になって悲鳴をあげている方へ

人生の迷子になって悲鳴をあげている方へ

「私はここにいるよ。」と誰かに自分という存在を知って欲しくて、認めて欲しくて、理解を求め叫んでいる方は、この問題の多い現代では沢山おられるのではないでしょうか。

私もうつ病だった時は、人との距離を取りながらも、どこか寂しく、ほんのわずかな人にだけでも、苦しんでいる状態を理解して欲しいと、悲鳴をあげていたと思います。同じ心を病んでいるネット上のグループに参加して、数ヶ月、ネット内で家族のようにいろいろと話していた時期がありました。

でも、日が経つにつれて、それは傷の舐め合いのように感じるようになりました。自分たちは「可哀想な人」「優しくされて当然の人」として会話をしていました。どこかそれではいけない、現実から逃げているだけだという自分がいて、そこから距離を取り、離れていきました。

自分の状態に理解を求めてしまうと、その状態を維持するようになってしまうのかもしれません。そして、現実にも幼少、過去にも問題があるのに、その問題には向き合わず、逃げてしまいます。楽なほうへ逃げてしまいます。

私はずっと、うつ病も人生の苦しさも、周りが悪いとどこかで思っていました。自分の内側に問題があることに全く気づいていなかったのです。外的要因という外側の問題ばかりを見ていて、内的要因である、自分の考え方や生き方、コミュニケーション能力などに目を向けようとはしていませんでした。被害者のほうが都合がよかったからです。誰かのせいにしておけば、ずっと自分自身を悪者にすることもなく、傷つくこともなかったのだと思います。ずっとうつ病でいることができ、うつ病という名札を利用して、周りから優しくされるという利益(疾病利益)を得るために。

優しくされることは悪いことではないです。しかし、そのために病気を利用し、被害者や弱者の立場を保っているのなら、その今の状態は、自分自身が作り出している現実です。私はそれが嫌になって、うつ病という名札を捨てました。もううつ病はやめたのです。病気をやめて、精神薬も断薬して、うつ病は治っていきました。

人生の迷子になっていたり、誰かに理解して欲しいと思ったり、弱者だから優しくしてもらうのは当たり前と思っていたりと、その状態から抜け出すのは、自分自身です。その状態、自ら弱者の側を選んび、病気を使って優しくしてもらい、こんな状態になっているのは周りが悪いと思っていることが「愚かだった」と自覚できた時に、私は、一歩前に踏み出せました。

病気や弱者の状態を保つのか、違う道に進むのか、それは自由です。

私はうつ病という「名札」を捨てて、自分らしく生きたいと現実、過去問題、内的要因など、自分の問題に向き合い、人生の迷子から抜け出せました。もう、「ここにいるよ。」と悲鳴をあげなくても生きることができるようになりました。

助けてくれるのも、認めてくれるのも、結局は誰でもない、自分自身です。

他国の子どもたちのほうが可哀想と思っている日本国民

他国の子どもたちのほうが可哀想と思っている日本国民

発展途上国や戦争、紛争地域で、泣いている子どもたちを、テレビなどの映像で見ることがあると思います。その状況から、多くの方は「日本は平和だ」「子どもたちは日本で生まれ育ってよかった」と、他国の子どもたちのほうが可哀想だと思うのが一般的です。でも、本当に日本の子どもたちは幸せなのでしょうか。守られているのでしょうか。この日本は平和で安全で、涙を流す子どもたちは少ないのでしょうか。

この国の若者(15~39歳)の死因第一位は「自殺」です。2020年は、小〜高校生の自殺者は499人と過去最多でした。(これは氷山の一角です。)
若年層の自殺をめぐる状況 – 厚生労働省
コロナ禍における児童生徒の自殺等に関する現状について 文部科学省
PRESIDENT Online「なぜ子どもの自殺が「過去最悪」となっているのか」

実際、私は、大人から守られることはなく、性被害者となりました。あまり守られたという感覚は持っていません。

そして、現代では、児童相談所(または児童養護施設)の問題もあります。ここでも、性被害や虐待などの問題があり、守られるべき場所で子どもたちは守られていない現実があります。
児童相談所の怖い話/内海聡
児童養護施設「わいせつ職員」5年で47人、被害に遭った子供は69人…読売調査 読売新聞オンライン

この日本は、子どもたちにとっては戦場のような場所になってしまいました。生き抜くために子どもたちは今まで以上に必死にならなければいけません。

そして、本来、子どもたちは信用したい大人を信用できないほど狂った国になっているのです。涙を流している子どもたちは今もどこかでいるでしょう。

子どもたちの病気も多く、今まで聞いたことのない疾患も増え、精神疾患も増え、食べていくことも難しい子どもたちもいます。

家庭不和も増えてきているのではないでしょうか。どこか冷えきった家庭になってしまい、感情を隠す子どもたちは増えています。そして、大人や親の顔色を伺いながら、繊細に生きている子どもたちは増えています。

しっかりこの国の現実を直視してみると、悲しんでいる子どもたちは、思っている数よりもとても多いのです。

その悲しみや涙を喜びや笑顔にしていくには、大人たちがまず、この国が沈みかかっている状態だと自覚することが大事です。子どもたちの見えない、聞こえない声や感情に気づいてあげることで、ほんのわずかかもしれませんが、変化が訪れます。

そして、一番重要なのは、子どもたちを苦しめているのが、私たち大人だということを自覚することです。目先の利益にとらわれて、楽なほうへ流されて、子どもたちの育っていく環境を破壊しているのは大人だということを、まずは認識するべきです。

「生きていてごめんなさい」って思う方へ

「生きていてごめんなさい」って思う方へ

生きている罪悪感を持たれている方は、結構おられるのではないでしょうか。私も時々そういう感情に押しつぶされてしまいます。

しかし、それがどこからそうなっているのか理解できただけで、心が楽になっている自分もいます。

一つの理由は父親の死です。小学2年生に亡くなっているので、その時、初めての人の死に直面しました。何が起きたのか理解できていませんでしたが、少しずつ日が経っていくにつれ、悲しみが強くなりました。「どこに行ったの?」ってよく泣きながら考えていました。

家系図を作っていく内海式精神分析をしてみると、理由は他にもあり、親族の不慮の事故や自殺も生きている罪悪感を持ってしまう理由の一つであり、そして他にも理由はいろいろとあるのだと思います。

宗教の教理からの影響も罪悪感を持つ原因でもあります。宗教の教えが「善」で、人間は不完全な生き物なので「悪」と捉え、その考え方を植え付けてしまいます。幼ければ幼いほど、強く影響されてしまいます。二元思考(二元論)による宗教脱会後の罪悪感と空虚感

見えていない理由は他にも必ずあり、いろいろな理由が複合的に重なり合い、生きている罪悪感の塊になったのだと思います。

この感情はどうにもならないのですが、どこからのものかわかるだけで、思い詰める時間も減ってきました。

人間はみな不完全であり、完全な「善」をおこなうことは不可能であり、何かしらの罪を背負っています。生きているだけでこの地球も汚していますし。

ですから、「生きていてごめんなさい」と思っていても、自分には生きている価値がないと感じていても、それでも生きていて欲しいなと思います。もう自ら苦しめず、自分の感情を優先して欲しい。生きる権利はすべての人にあり、人は本来、生きていくために生まれ出たのだから。

内海式精神構造分析法により闇に向き合いたい理由

内海式精神構造分析法により闇に向き合いたい理由

内海聡医師が発案した、内海式精神構造分析法に興味を持つ方が増えてきました。あまり上手な動画ではありませんが、YouTube動画を作り、視聴される方が増えているので、やはり、内海式を活用して、自己に向き合いたい方は増えているのではないかと思います。

内海式精神構造分析法が理解できる書籍「心の絶対法則」を読むとわかるのですが、この精神分析法は、自己の闇に向き合う技法となります。どうして多くの方は「闇」に向き合いたいのでしょうか。どうしてつらくて苦しい作業をするのでしょうか。

私の場合は、

もう楽になりたかった
生きづらさの本当の理由を知りたかった
残りの人生、自分を大切にしたかった
自分らしく生きたいと思った
本当のことが知りたかった

このような答えが出ました。

皆さんはどうでしょうか?見えていない部分を掘り起こしていくことは恐怖でもあります。実際にクライアントの方で精神分析をするのが「怖い」とおっしゃっておられた方がいました。本当にそうだと思います。見えていないものを目の前で見て自覚することは、怖いことでもあります。

しかし、その恐怖を乗り越えて欲しい。一度、抱えていた闇を自覚して、そこから這い上がって欲しいです。強さが求められるかもしれませんが、自己の闇に向き合った先には、私は「自由」があると思っています。今まで、いろいろなことを重い蓋で、感情も言葉も封じてきた自分がいましたが、重い蓋を外して、それらを出せるようになった自分もいます。

選択するものも変わってきました。責任が伴いますが、自由に自分らしく生きていけます。私はそうなれたことで、時間はかかってしまいましたが、やっと本当の自分に戻れたと思います。自由を好む、いて座の要素を持った火のような特質を出せることができるようになりました。本来の特性を隠すことなく、誰から何をいわれてもいいというモチベーションで、生きることができるようになりました。本来の自分を生きることで、人は自信が持てるのだと実感しています。