宗教二世が組織から離れることができない理由

宗教二世が組織から離れることができない理由

私はエホバの証人としては、宗教二世ではないのですが、21歳から46歳まで25年間エホバの証人として生きてきたので、組織から離れることは不安でもありました。夫が「もうエホバの証人をやめたい」といってくれて、その時はホッとした反面、いろいろなことがとても不安でした。

その不安の一つは、人間関係を最初から構築していくことでした。

エホバの証人の時は、組織以外の人は「世の人」として、深く関わらずに距離を取るのが教理でした。あらゆる世の影響を受けないために。ですから、友人がほとんど周りにいない状態でした。

エホバの証人の組織から離れ、すぐに整体塾が始まり、そこから人間関係を新たに構築していきました。もともと人が苦手だったことなどもあり、大人からの友だち作りは難しさを感じましたが、それでも宗教をやっていたことなど関係もなく、気にもされず、仲良くしていただきました。

宗教二世の方が、組織の教理などにうんざりして、離れたいと感じているのに、ずるずると組織に残っている方は多いと思います。その理由は、「居場所がない」「居場所作りの構築の大変さ」があげられます。あとは、親や家族を悲しませたくないから。その状態が呪縛のように感じるのなら、もっと深い理由はあると思います。

そして、若い子どもたちであればあるほど、親の悲しむ姿は見たくないと思い、なかなか宗教をやめたいと言い出せず、惰性で宗教を続けていると思います。

私のような50代に近い大人が、人間関係を構築していくことができたので、何かのコミュニティに参加したらすぐに友人はできると思います。居場所は作っていけます。

親が悲しむということも、乗り越えなければいけないのですが、私はその時に、「他者より自分を大切にしたい」という思いが強く持てるようになりました。もう十分、宗教を学んで一緒に活動もして喜んでもらえたと思うので、「もういい子ちゃんはやめよう」とそう思えるようになりました。私はその選択と決定を間違ってはいない、これでよかったと思っています。今、組織を脱会して、私も夫も子どもも自分らしく生きているから。誰かの人生を背負って、誰かの人生の道を生きることは、もううんざりです。

今、殻を破ろうと必死なんだ

今、殻を破ろうと必死なんだ

性被害者として、人との距離を取ってきたので、人に近づくことには、時には恐怖を感じることもあります。今日は、橋本絢子さんのプロライター養成塾に参加して、私が書いているブログやホームページを観ていただいて、絢子さんから感想を聞いて、まだ私には硬い殻があるんだということがわかり、まだ剥がれていない殻があることを自覚して、ショックでした。まだまだ、人にも社会にもブロックしている自分がいました。

橋本絢子オフィシャルサイト(株式会社ジュビリー代表取締役)

しかし、もし、これが日本ではなく、他国の戦争状態や大変な社会情勢の中で、「人や社会にブロックがある」などといっていられるでしょうか。過酷な状況下でブロックがあるなどいっていたら、命の危険性は高まるばかりです。

人は完全でもなく、常に強いわけでもないので、時には弱くなることはあり、そういう時には、人から優しさや温かみを感じることは必要です。そして、そこから力を得て、強く逞しく生きていけるのだと思います。

でも、私は弱者のままでは嫌です。弱さは生きる力を失ってしまうからです。生きる力が低下してしまうと、自分らしさを出すことができず、自信もなくなり、人との距離もできてしまいます。弱者という権利を主張してその利益を得ようともしてしまうし、弱くなると誰かに支配されやすくもなります。

自由に生きるため、自分らしく生きるため、トラウマに負けないため、そして、生まれ持った力を発揮したいために、人や社会に対してもうブロックがあるなどといいたくも思いたくもない。

私の言葉がトラウマを抱えている人の後押しになるよう、トラウマに負けないぐらいに生きている人間がここにいるということが、誰かに伝わればいいなと思います。

エホバの証人と政治と秩序

エホバの証人と政治と秩序

エホバの証人は政治には消極的であり、世の政治には一切関与してはいけませんでした。なぜなら、天の王国に政府があると教えられていたからです。

世の政治には消極的で、距離を取っていましたが、政治に関心がないわけでもなく、むしろ政治を求めていたのだと思います。

どうして自分自身がエホバの証人の家に嫁いだのか。そう考えた時、イエスが王となる神の王国政府には「秩序」があり、私は正しさの中で生きていける「秩序」を求めていたのかもしれません。「しかし,私たちが神の約束によって待ち望んでいる,新しい天と新しい地があります。そこには正しいことが行き渡ります。(ペテロ後 3:13)」

秩序があれば、性被害もなくなり、ケンカもなくなり、傷つけあうこともなくなります。そういう秩序正しい社会を求めていました。しかし、それは無理ということもよく理解できました。人は絶対に完全な人間にはなれないし、必ずどこかで何かを傷つけて生きているからです。

この世は陰陽の世界であり、喜びの裏側には悲しみがあり、平和があれば、裏側には争いがあります。そういう世界で平和で秩序正しい完全な社会ができることは、私は不可能だと思いました。このような答えも出せたので、エホバの証人から脱会しました。

それでも、少しでも秩序正しい社会になればと思い、現在、政治活動に参加しています。今の子どもたちとそのまた次の子どもたちと、七世代先の子どもたちが少しでも苦しむような社会にならないように、今、やれることを精一杯、行動していきたいです。

市民がつくる政治の会(私が参加活動している政治団体)

人を信じることは一生ない

人を信じることは一生ない

性被害に限らず、誰でも強いトラウマがあれば、人を信じることはなかなかできないと思います。しかし、そもそも人を信用している人はいるのでしょうか。信用していないからこそ、様々な書類や契約書などは存在しているのだと思います。ビジネスなど駆け引きは存在します。

信じるということは私には難しいことですが、それでも孤立するのも苦しいです。人は人の温かみや空気など感じて生きていくのだと思います。もし、人に近づいて信用できない事柄が起きたとしたら、それは誰のせいでもない、自分自身が他者を信じきれなかったから。

生物として人間は特別でもないので、何かを信じるよりも、自分自身を信じることができればそれだけでいいのかなと思います。信じることも救うことができるのも、自分自身。直感を信じて生きていたい。