怖くないわけない

怖くないわけない

最近は音楽をよく聴いています。

「怖くないわけない」

そんなフレーズが音とともに入ってきました。
RADWIMPS – グランドエスケープ

いつだって「人が怖い」って思っているんじゃないかな、性被害者や何かしらのトラウマがあれば。記憶は消せないし、過去も変えれない。もし消えたとしても潜在的には残っていると思います。

いつも震えている感覚はあります。でも仕方がない。生きていくには仕方ないと思っています。被害者意識に偏らず、囚われず、自分の意識を別のほうへ向けるようにしています。今は自分がやりたいと思ったことを一生懸命力を注いで取り組んでいくだけ。

私も相変わらず強くもないし、落ち込むこともあるし、うつっぽくなることもあります。人を避けてしまうところも変わらずです。それでも、それさえも消し去るくらいの何かに対して必死になることが、私にはよい対処方法だと思います。トラウマに対する対処方法は人それぞれあると思いますし、この私の方法が一番よいとも思わないので、参考くらいにしていただければいいなと思います。

そして、自分自身を責めず、傷つけず、大事にしていって欲しいなと思います。

燃えよ

燃えよ

今更ながら、シンガーソングライターの藤井風さんを最近知りました。
藤井 風 ( Fujii Kaze )オフィシャルサイト

二年前のデビューですが、YouTubeではかなり前から発信されています。

特に気になった歌は、「燃えよ」
藤井 風 – “燃えよ” Official Video

「明日なんか来ると思わずに燃えよ」っていうフレーズが、突然家族を失った自分の経験や、生き方や考え方に近いなと思い、よく聴いています。そして、フリとか強がりとかも「もうええよ」っていうフレーズが、自分に言われているようでした。

藤井風さんは双子座で、エレメントでは「風」の人です。そして、名前も「風」。

風からイメージできるのは、「自由」かなと思います。何にも縛られることがない、風のように自由気ままに行動する人。
【世界一嫌われ医者】星座ごとに細かく解説します♪今回は風のエレメント双子座です。

私はいて座で「火」の人ですから、藤井風さんから影響を大きく受け、「火」の要素を大きくしていきたいなと思います。過去とかフリとかいろいろ「もうええよ」って、思えるような、思い出すこともないような日常を生きていきたい。そして、「二度目はない」という感覚で、悔いのない生き方をしていきたい。

周囲を気にかけてしまう性被害者

周囲を気にかけてしまう性被害者

「性暴力被害は、子供の心に深いトラウマを残す。『心配をかけたくない』という子供なりの優しさや気遣いから、大丈夫そうに振る舞っていても、本人は苦しみ続けているケースは多い。」引用元 読売新聞 教員からわいせつ行為、命絶った女子生徒の母「慕う気持ち利用…許せぬ」

被害者の立場なのに、自分が悪いと罪悪感も持ってしまう性被害者の方もいます。私もそうでしたし、この記事の女子生徒さんも、私と同じ感覚だったと思います。

人はつらい出来事が起きて、それが100%被害者の立場でも、人を完全に恨むことはできない。だからその葛藤で苦しむのだと思います。他者を悪にするよりも自分自身を悪にしてしまいます。

そして、子どもが一番に考えていることは、親のことです。親が平和で平穏であるよう願っています。それが崩れるくらいなら、自己犠牲を払ってでも親を守り続けます。

ですから、子どもの表面的な言葉や行動だけではなく、裏に隠れている感情に気づける大人が増えて欲しい。そうしたら、必然と性被害、性暴力は減ってきます。気にかけてもらえている存在、大切にされている存在だと認識できるだけで、それだけで、子どもは自分を傷つけることはしなくなるからです。そうすることで、この国の子どもたちを大事にしていることになり、それは、国を存続させることにもなります。

人生の迷子になって悲鳴をあげている方へ

人生の迷子になって悲鳴をあげている方へ

「私はここにいるよ。」と誰かに自分という存在を知って欲しくて、認めて欲しくて、理解を求め叫んでいる方は、この問題の多い現代では沢山おられるのではないでしょうか。

私もうつ病だった時は、人との距離を取りながらも、どこか寂しく、ほんのわずかな人にだけでも、苦しんでいる状態を理解して欲しいと、悲鳴をあげていたと思います。同じ心を病んでいるネット上のグループに参加して、数ヶ月、ネット内で家族のようにいろいろと話していた時期がありました。

でも、日が経つにつれて、それは傷の舐め合いのように感じるようになりました。自分たちは「可哀想な人」「優しくされて当然の人」として会話をしていました。どこかそれではいけない、現実から逃げているだけだという自分がいて、そこから距離を取り、離れていきました。

自分の状態に理解を求めてしまうと、その状態を維持するようになってしまうのかもしれません。そして、現実にも幼少、過去にも問題があるのに、その問題には向き合わず、逃げてしまいます。楽なほうへ逃げてしまいます。

私はずっと、うつ病も人生の苦しさも、周りが悪いとどこかで思っていました。自分の内側に問題があることに全く気づいていなかったのです。外的要因という外側の問題ばかりを見ていて、内的要因である、自分の考え方や生き方、コミュニケーション能力などに目を向けようとはしていませんでした。被害者のほうが都合がよかったからです。誰かのせいにしておけば、ずっと自分自身を悪者にすることもなく、傷つくこともなかったのだと思います。ずっとうつ病でいることができ、うつ病という名札を利用して、周りから優しくされるという利益(疾病利益)を得るために。

優しくされることは悪いことではないです。しかし、そのために病気を利用し、被害者や弱者の立場を保っているのなら、その今の状態は、自分自身が作り出している現実です。私はそれが嫌になって、うつ病という名札を捨てました。もううつ病はやめたのです。病気をやめて、精神薬も断薬して、うつ病は治っていきました。

人生の迷子になっていたり、誰かに理解して欲しいと思ったり、弱者だから優しくしてもらうのは当たり前と思っていたりと、その状態から抜け出すのは、自分自身です。その状態、自ら弱者の側を選んび、病気を使って優しくしてもらい、こんな状態になっているのは周りが悪いと思っていることが「愚かだった」と自覚できた時に、私は、一歩前に踏み出せました。

病気や弱者の状態を保つのか、違う道に進むのか、それは自由です。

私はうつ病という「名札」を捨てて、自分らしく生きたいと現実、過去問題、内的要因など、自分の問題に向き合い、人生の迷子から抜け出せました。もう、「ここにいるよ。」と悲鳴をあげなくても生きることができるようになりました。

助けてくれるのも、認めてくれるのも、結局は誰でもない、自分自身です。