家族が宗教をはじめたときに考えること

家族が宗教をはじめたときに考えること

家族が宗教を始めた時、多くの方は動揺されるのではないでしょうか。カルトではないか、金銭的なトラブルや身体的トラブル、その他、様々な問題が起きるのではないかと不安になると思います。

その時に、早くその宗教組織から離さなくてはと、家族に宗教をやめるよう説得されると思います。しかし、その宗教を始めたきっかけは些細な事柄だったかもしれませんが、必ず大きな理由があります。根深い問題が絡んでいます。ですから、まず、「宗教」とは何なのかと考えてみてください。

宗教は、教理で支配、コントロールすることもできますし、宗教をやる時点で何か苦しい作業のような気もします。荷を課していくようにも思えます。家族や人間関係の問題などから現実逃避として宗教にハマってしまうかもしれません。何か教えを強く求めているのかもしれません。家族を困らせるため、または逆で家族を一致団結させるためにあえて問題を作り出しているのかもしれません。

「宗教とは何か」と、宗教にのめり込んでいく家族や大切な人の視点で考えていくと、何かしらの解決方法が見つかってきますので、宗教が何に置き換えられているのか考えてみることをおすすめします。

国が滅ぶときの法則

国が滅ぶときの法則

内海聡医師の著書、「 コロナワクチン 今こそ子どもを守れ! 」の書籍では、国が滅ぶときの法則をこのように書かれていました。

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国民が目先の利益に囚われ、
ウソを見抜くことができず、
カネに踊らされ、
売国奴たちを応援し、
真の歴史を教えず学ばず伝えないとき
つまり、
自分たちの価値観を自ら捨て去ったとき、
国は滅ぶのです。
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ここに書かれている事柄は、今まさに、日本の状態ではないでしょうか。日本は沈みかかっているのではなく、すでに滅んでいるのかもしれません。惰性で日本の経済や社会が機能しているようにしか見えないのです。

薬の消費大国、検診をはじめ、無駄な医療も多い。そして、添加物使用の消費大国、農薬や農業の問題、水や漁業や遺伝子組み換え食品の問題、他国には無いほどの人口減少、若者の死因一位が自殺など、もう十分すぎるほど、滅亡するだけの材料が整っています。ほんの僅かな一撃で、今にも倒れてしまうのが、日本という国です。

何が原因だったのでしょうか?

上に挙げているように、目先の利益に囚われ、楽なものを選択していく国民性になったことも大きな理由ですが、一番は、精神が弱くなってしまったことだと私は思います。

何の目的意識も持たず適当になんとなく生き、社会毒など全く気にもせず食べて飲んでまた明日を迎えるという日常で、「生きる」ことに対して必死さが全く無くなってしまいました。自分自身でこころとからだを守れない人間ばかりになってしまいました。そして、精神が弱くなってしまったので、何かに依存することを覚えてしまいました。自立することを手放してしまいました。自立しなくなった人、自立しない国、楽なほうへ流され、目先の利益に飛びつき、あとのことを深く考えないなど、すべては弱さからはじまっていると言えます。

その弱さゆえ、現実問題も家族や人間問題にも向き合わず、いつも誰かのせいにするような被害者意識視点のSNS投稿。

ほんの数十年で日本という国は、とても弱い精神性を持った民族になってしまいました。

精神はいくらでも己自身で強くできます。

楽なもの、医療や薬などを安易に選択しなければ、自分自身で身体を整えることはでき、それにより心身ともに十分強くなれます。

目の前の現実社会は、コンビニ弁当や冷凍食品など、楽なものばかりになってしまいましたが、ぜひ、少し苦を感じながら生活してみてください。そうしたら、今あるものがとても有り難く思えますし、もし、無くなったときにはどうしたらいいのか、例えば電気が無くなったときは、どうしたら火をおこせるかなど、いろいろと考えることもできますので、少し不自由さも経験するよう取り組んでみてください。

平和主義者に平和は訪れるのか

平和主義者に平和は訪れるのか

波風を立てたくない。平和で穏やかな日々を家族や友人と過ごすことができるのなら、自分の想いは誰にも明かさず、言葉を飲み込み続け、平和の状態を維持します。というのが私の今までの人生でした。

嫁ぎ先ではずっとそうしてきました。毎日、言いたい想いはあったけれど、争いや自分や誰かが傷つくことになってしまうため、言いたい言葉は少しずつ封じるようになりました。そして、言わなくなった。

このような状態で本当に平和は訪れるのでしょうか。

今、日本の現状は同じように私には見えます。

本当はワクチンもマスクも無意味なことだと思っているのに、体裁で周りや相手、家族に合わせて接種したりつけたりしています。そうしたために身体が不自由になっている方もいたり、体調が悪くなったり、最悪、亡くなっている方もおられるでしょう。平和を求めた結果、平和ではない状態になった方もおられます。

私はもう自分の思っている言葉を封じて自分自身を傷つけたくはない。

そして、本音で語り合える家族や社会にしたいと思っています。平和や体裁など気にしていたら、本音はいつまでも伝わることはなく、いつか募り募ってその想いは爆発してしまうくらいの威力があると思っています。だったら、今、伝えたほうがいい。後悔のないように伝えたほうがいい。

そもそもこの世の中に平和など一度も訪れたことはないです。常に強者が弱者を支配、コントロールし、弱者には平和などありません。誰かが笑っている裏側では、悲しみの涙を流しているのが現実世界です。

日常や家庭など平和にしたいと思うのなら、せめて、裏心のない本音を言い合い、平和を維持したほうが私はそのほうがいいと思いました。ずっと言葉や感情を封じて平和を求めてきた結果、平和にはならなかったので。

宗教にのめり込むのは誰のため?

宗教にのめり込むのは誰のため?

ある宗教では、その組織に参加することが、「自分や家族が救われる唯一の方法」だと主張し、それを聞いた方は宗教にのめり込んでいきます。

もし、自分自身の悩みを抱えていたり、家庭の不和があった時は、その言葉は魅力的に感じると思います。本当に救われたい、家族を助けたいと思い、必死に信奉するでしょう。そして、周りがその宗教をやめたほうがいいと言っても、その言葉は当人に届くことはありません。自分と家族を助けるために、その目的を果たそうと必死だからです。

もし、大切な家族が宗教にのめり込んでしまった時は、病気と同じですが、その人の問題だけと捉えないことです。その状態を偶然と捉えず、現実に起きていることは必然であると考え、宗教にのめり込む理由は必ずあるので、その理由を自分視点で考えることがいいでしょう。そして、宗教にのめり込ませているのは自分自身だという自覚と認識が持てると、選択するものや行動が変わってきます。

私も、すべて現実を作り出してきたという視点で考え、解釈を進めてきたことで、うつ病も、宗教や家族問題、トラウマによる問題も自己解決してきましたので、参考になりましたら幸いです。