うつを治す時にやってはいけないこと

それは、

「理解してほしい」というものです。

あなたは、誰かを理解できているでしょうか。自分の病気や感情やつらい思いを理解して欲しいと望みますが、自分自身は他者を理解できているでしょうか。

私はできていませんでした。

理解を求めているのに、自分以外の人間に対しては理解などしていなかったのです。自分自身のことで精一杯でした。

今までの人生や状況やつらかった症状を人に「理解してほしい」と思ってしまうのは誰でもあります。しかし、それが強くなってしまうと病気は治ってはいきません。理解を求めている時点で精神は弱っている状態であり、被害者意識が強い状態です。それではうつに限らず病気もあらゆる問題も解決されません。

その状態は「自分自身」が作り出したものだからです。あなたの生き方考え方で作られた「現実」です。

「は?」

そう思われる方が多いと思います。

私も弱い立場の方には、同情や愛や慰めなどが必要だと思っていました。理解が必要だと思っていました。でも、それはとても「毒」であって、自立していく上では邪魔になります。薬に依存している状態なら尚更です。

そして、私がうつを治していく道のりで、「理解」してもらったことは何一つありませんでした。自分自身ですべてを理解し、選択し、選択した事柄に責任を取る。そうすることができた人が向精神薬を手放し、精神医療から抜け出せた人たちです。そのようにして私のうつは治ったのだと確信しています。

内海聡医師のFacebookから引用

キチ○イ医が申すに最も人を精神的に病気たらしめる思想の一つは、「人に理解してほしい」という願望であるといえる。またまた、と仰るなかれ。これは患者と呼ばれる人々を観察する限り最も多い傾向なのである。世界中どこの医療機関、医療施設であってもそれを満たそうとし、家族はそれを医療者たちに任せようとし、患者はそれを執拗に人々に求める。この永遠に得られない解を求めようとするがゆえに、人々は精神的苦痛を深めていく。はっきりいってこんなものは医療機関であったり、人が人に与える代物ではない。誰かが誰かを理解するなどということはあり得ない。要するに医療化思想の権化であり、後の権化であるがゆえに喰われる。子供は何かあった時必ず親に聞いてほしいと思い発言する。人に理解してほしいと願う人間ほどに、人を理解しようと試みることはない。単純に言ってこの願望は幼児期に伴うものであって、真にいい意味での大人になっていない証拠である。精神年齢というのは死語に近いがそれが低いということである。そして理解してほしいと考える人々は、事実ではなく自己の都合を元に理解を深めさせようとする。それは人をコントロールしようという統制概念が、根底にあるからに他ならない。逆に言えば、幼少期にその願望が達せられていないから、大人になってその願望が強くなるとも言える。ただこれはすべて真なりではない。常に達せられてきたから、いつも達せられないと不満であるという成長の仕方も存在する。本当に子育てというのは難しいものである。あなたが自分の心を強くしたいと願うなら、人に理解されたいという願望を強くうち消そうとすることである。それは主張するなということではない。理解しあえる人は多くの説明がなくても理解できるのである。私は私を理解した人を今までの中で一人も知らない。それを無理に求めようとも思わないし、私の主張を相手が理解するかどうかは、その人が事実に忠実であるかどうかで決まるとしか思っていない。やや宗教的だが執着や煩悩を生むということであろうか。