人のせいにしてまで得となるもの(疾病利益)

人のせいにしてまで得となるもの(疾病利益)

会話をしていると話し方や内容には、自分は正しい、相手が間違っている、というものはよくあります。私自身も自分の話す言葉にさえそうあるのが現実です。人は自分の正しさを守りたいというプライドを持っていることは確かであり、その正しさを破壊されないようにしているのが心の絶対法則でもあり、人間心理でもあります。必ず被害者意識と正当化はセットになっています。

私がうつ病のときもそうでした。うつ病という病気の状態を維持するために悪者をつくっていました。だから自分はうつ病になっているんだと、正当化もできました。今振り返ってみると、おろかで醜い状態でした。

人のせいにすることは簡単です。そして楽です。動かなくて済むからです。自分が変わらなくて済むからです。病気を治さなくて済むからです。誰かを悪にして自分を否定せず高めておけるからです。そのようにして醜い自分の姿を直視しなくて済むからです。

変わりたくない強い意志のあらわれでしかない。ですから言い訳ばかりの連続です。

人は変わりたいと思えば、一瞬で考え方も生き方も変わります。私のうつ病も一瞬でその道から別の道へと変化しました。私がうつ病はもう嫌だと、薬はもう嫌だとそう望み、決定し、別の道、うつ病はやめようと病気の状態を手放す道に進みました。当時はその行動はつらかった。いくら他の患者と比べたらまだ楽なほうだといわれても、断薬も社会復帰もつらかったです。それでも変わりたかった。

言い訳ばかりや人のせいにしているときは、変わりたくないあらわれでしかない。疾病利益、得があるからです。しかし、裏を返すと損をしている状態でもあります。得と損もセットです。表裏一体です。そういうところを直視していくことで、何かしらの現状の変化は訪れます。

そして、変化がないときの1番の理由は、まだあなたは人のせいにしているという「楽」を選んでいるだけで「変わりたくない」ただそれだけです。

反発心と正義心と数秘術(6と7と8の関係性)

反発心と正義心と数秘術(6と7と8の関係性)

占星術では、ひとつ前の星座を否定するということを学んだことがあります。例えばいて座の人からみたとき、さそり座を否定する。さそり座のエレメントは水なので、いて座の火の要素からみても相反する物質でもあります。否定といわれたらそうとらえることにもなります。

数秘術でも同じような雰囲気はあります。例えば「7」の性質は革命や改革です。新しいものを作り上げることを得意としますが、そのとき、常識や通説を大事にするよりも、独自の考えを重要視します。ある意味、常識を破壊しているともいえます。常識の意味合いを持つナンバーは「6」です。「7」は破壊と改革が両方セットなのかもしれません。

しかし、「8」の意味合いは、新旧共存の意味合いがあります。多様な価値観を持ち合わせているので、「7」のように破壊要素はありません。「8」は「7」を否定している状態でもあります。

精神の話をしたとき、わかりやすいものが、反発心と正義心です。

その要素が数秘術の数の意味にも含まれているとは、この世に存在するすべてのものは、もしかしたら同じようなシステム上に存在するのかもしれません。神がいるとはエホバの証人を脱退した今、信じ難いですが、高尚な何かにより私たち人間は造られたのかもしれません。

数字の関係性からこの世のシステムを感じ取り、数秘術の奥深さと楽しさを知ることができ、まだまだ相性数秘術から、数や精神やこの世のシステムの考察など探究していきたいと思う日々です。

そして、相手と自分の価値観の違いを受容すれば、完全に相殺されはしませんが、他者への否定は薄く静かになるのかもしれません。

偽善なる愛の組織

偽善なる愛の組織

エホバの証人といえば「愛」が大きなテーマでした。神は愛であり、神と同じように私たち人間もその愛をあらわしていく。

愛とは、辛抱強く親切と、エホバの組織から教えられました。すべてのことに耐え、忍耐強さを示し、その力強い愛により希望を持つ。愛がなければ、ねたみや誇りやひがみや怒りなどが出てきてしまい、人を許すことができず、自分の感情や主張を押し通してしまう。自己中心的にならないよう愛を示すようにすすめられました。愛の定義を教えられました。

一見、いいことをいっているかもしれません。しかし、感情をおさえることなど人間にはできません。

私も人間関係で嫌な思いをすることはありました。そのたびに、エホバの証人の組織や聖書から教えられた「愛」により、辛抱強く忍耐し、許すことに徹底しました。その結果がうつ病でもあります。

私が嫌な思いをしている段階で、そこに愛はありません。

愛を教えられている組織で宗教2世は苦しんでもいます。私も子どもを苦しめてしまった。

この世に愛はあるのだろうかと思うこともあります。角度を変えれば愛に見えるものは、自分の欲求を満たすだけの「エゴ」でもあり、私が子どもに対して聖書の教育をしてきたことのように、当時は善と思っておこなってきたことは、実は「悪」でもある。

愛はこの世にないのかもしれない。それでも、人恋しくなるのが人間です。誰かの愛を求めるのが人間です。そして、人間に執着心がある限り、愛というテーマから逃れられないと確信しています。ですから、宗教では愛を利用して人をだまし、囲い込んでいるともいえます。

Winner

Winner

何かとたたかっている。

いつも私の中ではよくわからない何かとたたかっている感覚はあります。それは、私自身だと思います。止まってしまうと負けてしまう。死んでいる状態なのかもしれません。

私の二面性がそうさせているのかもしれません。実際に相性数秘術で出した私の5コアナンバーズは、自分をあらわす3つのナンバーがどれもぞろ目(マスターナンバー)です。私の中にもうひとりの自分がいる。そのひとりが「それでいいのか」といつも問いかけています。単純にほっといておいたら、怠けてしまうからでもあります。そういえば、覚えてはいないのですが父親も怠け者でした。笑

ですから、たたかうレベルのものを意識していないと、生命力が維持できないのかもしれません。本当はとても生命力が弱いのだと思います。早世の父親の投影かもしれない。

そんな私の生命力に影響を与えてもらえたのが、相性数秘術です。内海式精神構造分析からも力を得られました。

結果を出すことだけが「winner」ではないと思います。

自分を鏡に映し出したとき、もしも、変わりたい、今よりきれいになりたい、あんな人になりたいなど、願望が出たときは、自分とたたかう力を生み出す勇気を持っていただければと思います。

もっと素敵な人物になる可能性は、人間誰しも与えられていると思いますので。

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