病気という執着を手放す

病気という執着を手放す

病気とは何か。あなたはその問いにどのように答えるでしょうか。

もしもあなたがうつ状態だとしましょう。あなたの病気とは何かという問いに、出ている状態や症状を答えると思います。

うつの症状としては、

気分の浮き沈み
悲しくて涙が出る
気力が出ない
無力感や無価値観
疎外感や孤独感
仕事や勉学への意欲がない
イライラが止まらない
食欲低下や食欲過多
人が鬱陶しくて避けてしまう
感染症にかかりやすい
微熱や疼痛
不眠や睡眠過多
頭が重い
耳鳴り
リストカットなど自罰、または他罰
など

あらゆる状態や症状のため、自分はもしかしたらうつ病ではないかと思う人のほうが多いと思います。しかし、他の病気による症状かもしれない。100%うつ病だと診断することは不可能ではないでしょうか。医師は患者の状態を観察して主観的に経験から診断しているにすぎません。そして重要なのは困っているつらい症状は状態だけであり、本当に病気なのかさえ疑問の余地はある。

私のうつ病は病気ではなく「状態」でした。初期症状は、無気力と免疫低下によるいくつかの疾患と食欲低下でした。問題は人間関係であり、よくそれは理解していたのに、病名をもらい、うつ病という姿を自ら選択し、病者という立場に逃げてしまいました。

苦痛や症状が病気そのものと考えますが、出ている症状が病気そのものなのでしょうか。そもそもあなたの苦痛や状態はどこから発生しているのでしょうか。不眠という苦痛が生じてうつ病と診断されていたとしたら、眠れないその症状の根源は何なのかということを考えたことがありますか。

人には必ず病気になった「きっかけ」があります。症状が出はじめたきっかけがあります。

私のうつ病は、宗教や嫁姑の人間関係というきっかけによるものでした。しかし、原因はそこではない。私の内に原因はありました。幼少期や親子関係やトラウマや家伝要因やコミュニケーション能力など。向き合うところは外的要因ではなく内的要因というところに方向転換することで、生き方考え方は変わりました。ですから人のせいになどできません。

病気を治すとは一瞬なのかもしれません。しかしその一瞬の気づきを邪魔しているのが自我でもあります。深層心理にある無数に重なりあった精神でもあります。

苦痛や状態という症状で病名をつけることによる1番の問題点は、医原病を作り出すということです。そこから西洋医学による対症療法がはじまり、精神科の病名においては、向精神薬という薬物療法がはじまり、治らない患者が続出し、私のように死さえも導く可能性があるのが現実です。

病気とは何かと考え、病気という執着から離れられたときにだけ、病気は病気ではなくなると実感しています。そしてこの考え方は、日本全体の病にも適用できます。

精神分析で重要な認知の転換

精神分析で重要な認知の転換

内海式精神構造分析という精神分析法、精神療法をご存知でしょうか。

「内海式精神構造分析法」とは、自分が一体何者で何をしでかしているのか、自分にどんな嘘をついているのか、どんな仮面をかぶり人形を演じているのか、いかに自分が嘘をついていることを自覚していないか、いかに過去のトラウマを封じ込めながらそれに縛られて生きているかということを知るための技法であり、「心の絶対法則」が自分にどう働いているかを観察する方法である。(心の絶対法則から引用)
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精神分析では家系図を作成して、さまざまな視点から潜在意識、表面化していない意識である、「深層心理」を探していきます。今まで自覚できていなかった感情を表面化させていきます。深層心理に問題の根源があるからです。根源的、本質的、摂理的、生存欲求的な意味合いがそこにはあり、その周波数が病気や状態の周波数を作り出しています。認知の歪みにより問題は起きています。

性被害者にとって、自分が悪いことをしたのではないかと思うかたはいるのではないでしょうか。私もそうでした。ですから相手を恨むことは一度もなかった。他にも理由はあると思います。しかし、本来なら憎むことが人としての感情の反応です。

宗教2世の子どもたちも同様です。親を憎めないから苦しんでいる。組織から離れることができず、親から離れることができず、嫌々ながらもずるずるとその状態から離れない。そしてそれは周波数となり病という形を作り出していく。

憎んでいたり、恨んでいたり、怒りを持つことは何も悪くはありません。深層心理の何かしらの理由によりそれを封じてしまうから、問題は問題のままであり、その問題は心の奥底に沈み隠され、目を向けず、新たな道を進む力さえ生み出せない。

宗教2世も虐待された人たちも、感情を出さないようにしている人のほうが多いと思います。一番は親が悲しむからではないでしょうか。周囲に迷惑をかけてはいけないと思っているからではないでしょうか。自分を低めるなど他にも理由はあります。そして、その連続により、本来の自分の感情がよくわからなくなる。自分の姿がよくわからなくなり、人生は誰かの人生の道となり迷路のようになってしまうのかもしれません。

感情をおさえている自分の姿を知ることができ、また、恨んでも憎んでもいいという認知の転換により、以前よりは楽に生きられるようになりました。喜怒哀楽を持っているのが人間なのですから。

愛犬ちょこはセラピスト

愛犬ちょこはセラピスト

名前と誕生日がわかれば、数秘は出せる。

14年間一緒に過ごした愛犬ちょこの数秘を出してみました。

LP(ライフパスナンバー) 8
P (パーソナリティーナンバー)33
D (ディスティニーナンバー) 6
S (ソウルナンバー) 9
M (マチュリティーナンバー) 5

本質や価値観は、ソウルナンバーから読み解きます。ちょこのソウルナンバーは、「9」

人類愛、慈愛、ボランティア(奉仕)精神という性質が9にはあります。全体のことを把握し、考えて行動するタイプです。周囲のことを気遣う優しさがあります。動物は基本、人を癒す存在なのですが、ちょこはまさに9の性質を持っていたわんちゃんでした。小さな子どものように自己主張ももちろんありましたが、私よりも大人で優しいわんちゃんでした。周囲からも優しいといわれていました。

そして、使命や適職、社会的役割をみるナンバーは、ディスティニーナンバーです。ちょこは、「6」です。6にも、奉仕という性質があります。いわゆるセラピストタイプです。誰かのために働き、お世話をする。

ちょこは、私にとっても、家族にとっても「セラピスト」でした。

うつ病と診断されてから4年後に、我が家に来てくれました。一番調子が悪かった時期です。いつも心身ともに不調な私のそばにいてくれました。ひとりぼっちのような感覚の私に寄り添ってくれました。そして、エホバの証人という宗教問題がある家庭内で、ちょこを通して家族は家族として成り立っていたのかもしれません。

そして、ちょこの姿となる3つのナンバーはすべて3の倍数の数です。

3というのは私自身、執着している数でもあります。私も夫も3兄弟であり、親族も3の倍数による家族構成が目立ちます。

内海式精神構造分析で家系図をみていくとき、家系図の「構造」をみて分析していくのも1つの着眼点です。そして、この「3」という数字にも意味がある。私の場合に関してはその意味合いは「自由」というものではないかと考察しています。ちょこのナンバーの解釈には、自由という性質が多いからです。

自由、愛情深さ、奉仕というキーワードが目立つ、愛犬ちょこのナンバー。

亡くなって1年半、寂しい思いもしていますが、ちょこのことが数秘からよく知ることができてよかったなと思います。

ソウルナンバー9というのは、私の兄弟2人も同じなので、兄弟の投影でもあったと思います。亡くなった父の命日に近い12月の後半あたりに我が家に来てくれました。ちょこは父親でもあり兄弟でもあった。今では相性数秘術からそのように解釈しています。

ヤク中ジャンキー

ヤク中ジャンキー

2004年。免疫が下がり細菌感染をはじめさまざまな症状が出てきたため、内科や婦人科など精密検査をしましたが、異常なし。出ている症状に対して理由が知りたくて、病名(原因)がほしかったので、最終的に心療内科へ行きました。

結果は「うつ病」

早い段階で抗うつ薬の処方が始まりました。

当時の私に、何をいったら通院も向精神薬もやめれたのか考えることはあります。

病名が与えられたことでホッとしていた自分がいますが、不快な症状の原因がうつ病ではなかったですし、人間関係の問題があったことは確かです。でも、現実をみなかった。

もしかしたら何をいっても無駄だったかもしれない。

精神分析の観点からいえば、闇の計画がすでに働いているので、無駄なことはわかっています。人は見たい現実を自ら作り出す。

でも、もしも、あなたの状態は「ヤク中ジャンキーです」といえば、何か気づきはあったかもしれない。心の病といわれているうつ病。本当に向精神薬を飲み、ヤク中にまでなって、心は治るものなのかと考えたのではないか。

精神の問題は自己の精神でしか治せない。生き方や考え方により人間関係の問題が起き、その問題により苦しんでいるからである。向精神薬で治すという選択は本当に正しいことなのかと、考えるきっかけはいくらでもあったのに、そのきっかけとなったのは、優しい言葉などではない。癒す言葉でもない。

ヤク中ジャンキーに近い言葉だった。

「精神医学とは何か」という答えが私の生き方考え方を変え、私の状態は私が作っていた現実であり、誰のせいでもない。すべては因果応報であり、根本の問題は私の内(内的要因)にあるという現実を突きつけられたことで、ヤク中ジャンキーという現実を直視することができました。

何も言い返す言葉はなかった。愚かとしかいいようがありませんでした。

つらい現実と問題とトラウマなど、今まで避けて見ないようにしてきた自己の精神に直面しなければならないが、命が消えゆく前に、目が覚めてよかった。私にとって向精神薬とは、廃人となり、思考を眠らせる薬でした。