解決しない向精神薬をなぜ飲み続けているのですか

解決しない向精神薬をなぜ飲み続けているのですか

10年間、うつ病と診断され、向精神薬を服用しつづけていました。断薬するまでは治った感覚は一度もありません。やる気が出ず、考える力も落ち、社会からの疎外感と自己の無価値観で消えてしまいたいと考える日々でした。消えることすら叶えられず、眠ることで現実から逃げていた。

過去、うつ病時の私に問いかけたい。

なぜ治していない向精神薬を何年も飲み続けているのか。
なぜ癒されることがない精神医療に通い続けているのか。
心の病は自分の精神や現実問題に向き合わずして薬で本当に治せるのか。

令和2年厚生労働省による発表によると、精神疾患総患者数は、約614.8万人(外来患者:約586.1万人、入院患者:約28.8万人)
https://www.mhlw.go.jp/content/10800000/001256794.pdf

2011年の約320万人からほぼ倍増している状況。

精神医学の歴史は他の医学と比べて浅く、精神医学の発症は約200年前とされています。精神と医学と結びつける考え方は近代まで存在しなかった。他の病気と違って精神の動向が個性や宗教、哲学と結びつけて考えられ、「病気である」という認識が存在しなかったそうです。
精神科は今日も、やりたい放題 医者が教える、過激ながらも大切な話 (PHP文庫) /内海聡

ではなぜ、精神の何かしらの状態を「病気」としてしまうのでしょうか。あなたの症状は、そもそも病気なのでしょうか。人間関係や家庭内で問題が起きているからうつになったり、眠れなくなったのではないのでしょうか。与えられた病名は本当に正しいのでしょうか?

本質的なところ、そもそもの問題に向き合うことが重要であり、問題に対処しない限り、その状態は薬ではどうにもなりません。向精神薬は根本の問題に作用するものではないですし、薬はただ毒として身体に作用しているだけです。

また、精神疾患の状態は、自分が「変、異常」ではなく、患者が「変、異常」ととらえますので、そこから優劣の関係性が生まれ、優生学の思想が精神医学の背後にあります。

精神医学の真の目的である、監禁、拘束、差別、虐待、廃人化、金儲け、殺人という優生思想に基づく、支配、コントロールについて考察していただければ、今すぐにでもそこから離れたいと思い、心の病は精神医学で治すものではなく、自分で治していかなければと思えるようになるのではないでしょうか。

向精神薬を10年間服用しつづけ、社会からも家庭からも疎外感を持ち、自殺未遂に至った経緯からすると、精神医学、医療は、私にとっては「殺人」でした。無意味有害でした。

もしもこの先、何かに悩み苦しみ、精神が弱ったとしても、心の病に薬はもういらない。そして、薬や医療で解決しようとするのではなく、自己の精神に向き合い答えを出したい。

精神医学や向精神薬では解を得られないからこそ、精神疾患の患者は増え続けています。

その同じ口で愛を語る

その同じ口で愛を語る

命を粗末に語る人間が、その同じ口で娘への愛を語るのですか。(薔薇のない花屋より引用)

人には一貫性のない言動はよくあります。

まさにエホバの証人もそうでした。きれいごとばかりでした。家族の生き方考え方を抑圧しながら、表面的で体裁主義で、見た目が良ければよしという感じでした。家の中では問題が起きているのに、奉仕では人々に愛と平和を語っていました。家と外で語る言葉と思いには一貫性がなく、子どもは、サタンが悪魔というよりも、目の前の親が本物の悪魔だと思っていたことは明確です。

挙げ句の果てに、言い訳の言葉は、「人間は不完全だから」です。アダムとエバの犯した罪を持ち出し、被害者づらをし、この世はサタンが支配しているとまでいい、一貫性がなくても、問題や間違いが起きても、「仕方ない」という。愛を学び、愛を宣べ伝える人々がそういうのです。なんと素晴らしい愛ある人なのでしょう。笑

エホバの証人に限ったことではない。
人間とは、愚かな生き物でしかない。

ですから、その愚かさで子どもや他者を傷つけないようにしたい。愚かさから逃れることができなくても、今よりまともな人間になれるよう、向上心を持って生きていたい。

私も以前は命を粗末にしていました。自殺未遂の経験があるからです。日々、死にたいと思い、口にしていたにも関わらず、エホバの証人として奉仕をし、愛と平和な楽園、永遠の命という希望を宣べ伝えていました。命を粗末に語るその口で愛を宣べ伝えていました。当時、一貫性がないことに気づいていなかった。嘘つきで一貫性のない自分のことがわかっていなかった。

せめて残りの人生は、自分の内面、精神もよく理解し、自覚し、生きていたい。その積み重ねが、人と人との関係性や、社会や日本が元気を取り戻せるのではないかと思っています。

くらげと言葉とコミュニケーション

くらげと言葉とコミュニケーション

クラゲは、刺胞動物門に属する動物のうち、淡水または海水中に生息し浮遊生活をする種の総称。
ウィキペディアより

そしてクラゲには、心臓や脳がない。そのような状態でどのようにしてコミュニケーションをとっているのでしょうか。光や波を起こしてコミュニケーションを図っているという説がありましたが、はっきりとはわかっていないそうです。音を発しているともありました。

水分量が95%とほぼ水で体ができていることから、何かしら、例えば光の周波数や、神経からの周波数により、ほぼ水分でできている体全体で外部へ波動伝達しているのではないかと、私は推察しています。

心臓も脳もないのに生きていることが不思議ですが、それでも生物である限り、コミュニケーションは図っているのではないかと思います。

人も生命が続く限り、コミュニケーションを図って生きています。一番のコミュニケーションツールは、言葉です。しかし、言葉には嘘が多い。

意識した嘘と無意識下の嘘が存在します。

うつ病を治したいといっても、無意識下の深層心理では治したくない自分がいます。薬をやめたいといっている自分とは反して、薬をやめたくない自分が存在します。家族のうつ病を気遣っていても、子どもの将来を気にかけても同じく、それとは真逆の精神が存在します。

それが嘘かどうかを明確に判断するには、言葉ではなく行動で判断するしか方法はありません。行動と結果で判断するしか本当のことはわからない。

クラゲなど生き物には言葉がないぶん、その世界には嘘がなく、言葉を持つ人間には嘘がある。一体、言葉とはなぜ存在するのかと疑問の毎日です。古い時代には言葉はあまり使われていなかったようなので、そこには嘘はなく、騙し合いもなく、言葉の意図を推察することもなく、ただ生きるということを意識し、純粋なコミュニケーションだったのではないでしょうか。

現代のコミュニケーション能力の低下には、回数が多い少ないではなく、嘘が多く、語彙も多く、素直さや純粋さを抑えてしまうことが考えられる原因だと思っています。そして、大きな問題点は、アイデンティティの確立ができていないことと、確固とした目標を持っていないことです。支配、コントロール下で生きるという選択をしているからです。

エホバの証人をやめたあとの私の生き方

エホバの証人をやめたあとの私の生き方

この春、エホバの証人をやめて7年になります。

エホバの証人をやめたのは、子どもが親と宗教に嫌気がさして家出をしたのがきっかけでした。

家出をする前に子どもが恋愛をしました。相手が未信者のため、聖書のきまりで支配し、ふたりが付き合うことに対して条件をつけました。今では私たち夫婦がしてきたことに対して謝罪をし和解していますが、愚かな行動でした。人間の根底には「人を支配したい」という欲求が存在するということが、痛いほどよく理解できました。人間とは、悲しく虚しく醜い生き物です。人間の本質を自覚できたことで、これ以上、子どもを傷つけないようにと思えます。

エホバの証人をやめるきっかけは、人それぞれです。やめたいのにやめれない理由は、誰かの反応を意識しているからではないでしょうか。私も、子どもの家出と、夫がエホバの証人をやめたいといわなければ、やめていなかったと思います。家族にエホバの証人がいて、家族が悲しむ、家族が怒るなど、家族の反応がどのように出てくるかと想像すると、宗教をやめる勇気は持てなかった。子どもの自由性を奪っていました。犠牲にしてしまった。

宗教二世や宗教をやめたいと思っている人は、自分ひとりのことならやめたいと思えば、すぐにでもやめれると思います。それができないのは誰かの意見を重要視しているからではないでしょうか。誰かの感情を優先しているからではないでしょうか。その選択により、そもそも誰の人生を生きているのでしょうか。

私は私の人生を生きたい。

自分の人生を生きていなかったから、自分という確固とした意見や意思を持っていなかったから、宗教の教えにすがり、思想にすがり、宗教生活に子どもを巻き込んでしまいました。

そして、自分がどうして創価学会二世からエホバの証人一世になったのか、その理由を知ることにより、エホバの証人に戻ることはないという強い決断もできています。

今でも、記念式や大会の招待は家族や知人から連絡がきます。もしかしたらそのような連絡に対して、心が反応してしまう人もおられるでしょう。やっぱり戻ったほうがいいと、戻ったほうがざわついた心が楽になると、自分の想いを一番大事にせずに、他者の言葉を優先して、組織に戻られてしまう方もおられるでしょう。

そのときに重要な事柄は、「どうしてそのように反応してしまうのか」です。表面的な心の反応ではなく、無自覚の領域に存在する深層心理の何が反応しているか。その理解と自覚により、私は2度とエホバの証人の組織に戻ることはない。

エホバの証人の組織に属していたときは、現実逃避と反発心と防衛などさまざまな要素が影響して、エホバの証人という宗教を選択していました。そこには得と損もありました。エホバの証人の組織にいたということには明確な理由があり、それは宗教に属しているすべての人にも必ず理由があります。その理由がわかればあとは、自分自身がどう生きていくか、何を選択するか、それのみです。

そして、被害者意識をどれだけ捨てることができるか。そうすることで、宗教団体や宗教教理、親や家族など、それらの執着から逃れられる道へと歩んでいけます。

二元思考(二元論)による宗教脱会後の罪悪感と空虚感
https://seitai-kurara.com/archives/3715