闇が満ちれば光は生まれる

闇が満ちれば光は生まれる

あなたは闇をみたことがあるか。自分の生き方考え方や、日本の悲惨な現状、地球上で起きている事柄など、闇深さはどこにでも存在する。いじめ、DV、性虐待など、またそれ以上にこの世には目を背けたくなるような闇深い状態は存在します。

人は自分の生き方考え方であらゆる選択を日々しています。何を食べるか、誰と会うか、どの組織で仕事をするかなど。選択の連続で今の現状は生まれており、それが息苦しく、何かしらの症状が出ているのなら、その背後にはあなたの「闇の事象」『闇の歴史』があるのは確かです。

しかし、人は治したいといいながら、変わりたいといいながら、その闇をみようとしない。

自分の闇をみないから、社会全体の闇さえもみようとしない。闇という感覚さえないかもしれません。

「もろい人の心は深淵の前に砕けてしまう。闇を見る者を闇もまたひとしく見るからだ」

このセリフはナウシカに出てくる言葉です。ナウシカは絶望から闇堕ちしたかもしれない。しかし、人間界すべての汚れきった闇の状態を受け入れ、意識を取り戻しました。闇を受け入れ、また自分の罪深さも受け入れ、その強さと生命力で、ともに生きようと決意したのだと思います。

精神分析で自分と向き合うことは「闇」に向き合う作業でもあります。どこまでもどこまでもその闇は続いていきます。煩悩まみれで欲深く被害者意識が強い人間社会で生きているのですから当然です。何ひとつ地球に対してよいことをおこなっていないのが、人間という生き物です。

人の罪深さ、人類の歴史の闇深さに向き合う生命力があれば、向上心が生まれてくるのではないでしょうか。

闇が満ちたとき、はじめて光は生まれるのだと思います。

私もそうしてうつ病や性被害というトラウマや生きづらさという闇から、這い上がる力が生まれました。完全な人間にはなれませんが、今よりまともな人間になりたい。

病を治すとは自分の闇に向き合うことであり、現実に直面することであり、この世の闇深さをみようとすることです。そうしたら、病んでいる日本の状態はなおることができると私は信じています。

心身ともに病をなおすとき、問題の根源となる「自己」に向き合うことはとても重要なのですが、どうして人は自分をみなくなってしまったのですかね。同様に日本の病をなおすとき、日本の闇をみることは重要ですが、言葉にすることさえもうできない時代がやってくるというのが今の日本の現状です。精神的な話や哲学的な話ができなくなるのは、それもまた悲しい現実です。今では思想を持った人は変人扱いの時代になりました。

エホバの証人と権利欲

エホバの証人と権利欲

終わりの日であるハルマゲドンまで、エホバの証人として神の僕としてエホバ神から離れなければ救われる。永遠の命が約束されていたからこそ、家族や社会から迫害されても忍耐できるのが、エホバの証人です。

神から選べれた民であり、特別な存在であり、救われて当然と思う。いわゆる選民思想のような感覚が構築されていました。これだけ社会から疎外され、迫害され、忍耐してきたのだから、エホバ神のご意志である、神の王国、楽園について日々、宣べ伝えてきたのだから、救われて当然という意識は、日に日に強まっていたのではないかと思います。

迫害という環境にいると、ムチを打たれたような状態でもあるので、人の「生」というものは強化され、永遠に生きたい、永遠に生きて当たり前の存在と思ってしまうのかもしれません。これだけ耐えてきたのだから、永遠の命という徳があってもいいのではないかと思っていたと思います。子どもを宗教で支配して傷つけていたというのに。

人というのは権利欲の塊です。権利を享受して当たり前と考え、子どもや先の世代のことよりも自分のことしか考えていません。どうやって簡単、お手軽に自己の欲望を叶えられるかと考え、自分がおこなうべきことはせず、義務みたいなものを果たそうとせず、挙げ句の果てには、自分の思うようにならなければ文句ばかりです。

そのような人間がはたして本当に選ばれた民なのでしょうか。

全世界の人の命をきづかい、救いたいと思っているのなら、ノアの箱船の扉が閉まる時に、箱船に乗る権利を譲ると思いますが、それができないのが人間です。どこまでも自分のことばかりであり、自分の権利の主張ばかりです。

宗教とは、自己に向きあるツールです。しかし、エホバの証人時はまったく自己に向き合っていませんでした。自分の醜い部分はみようとはしなかった。組織と聖書と神のことばをおこない、独自性がなく、みな同じがいいとロボットのように生き、その道からはみ出さないように生きていました。

エホバの証人だけではない。組織から離れてもやはり、受けて当たり前というのが人のこころには強く存在します。依存心からそうさせていると思います。調べない、考えない、すぐに答えを欲しいから、依存心が働く。

そして、日本ではすでに生きる権利は奪われはじめています。出生数減少、人口減少からもわかるように、生存権が脅かされているのです。

飛び降りした人全員が向精神薬服用者

飛び降りした人全員が向精神薬服用者

厚生労働省やこども家庭庁の自殺予防のガイドラインでは、早期発見、早期介入を対策として打ち出しています。生活習慣病でも同様に早期発見のため健診を勧めていますが、患者が減少しないのが日本の現状です。がん患者は増え続けており、精神疾患患者数も増えています。

早期介入が真の意味で子どもや心を病んだ人々への助けになり、支えになり、心理的なケアになるのでしたら問題はないと思います。しかし、早期発見、早期介入は、早期治療につながっているのが現実です。心の病や精神疾患については、早期治療とは向精神薬による薬物療法が主流となります。薬による治療が戦略となっています。

子どもたちへの向精神薬投薬による自殺は多いと、海外では発表されています。日本では隠蔽されているようです。

◆驚愕!必聴!【現役医師が精神科の裏側を大暴露!】向精神薬は麻薬と同じ!『向精神薬をめぐる問題について』内海聡氏
https://www.youtube.com/watch?v=JIDog6eqTXo

全国自死遺族連絡会による遺族への聞き取り調査では、自殺で亡くなった人の7割は精神科を受診し治療中でした。飛び降り自殺を図った場合に関しては、全員が向精神薬を服用していました。
精神科は今日も、やりたい放題 医者が教える、過激ながらも大切な話 (PHP文庫) /内海聡

私は今、生きていますが、自殺未遂者です。精神科にかかる以前に自殺企図や自傷行為はありませんでした。向精神薬による医原病であることが推測できるのではないでしょうか。

人は自ら命を絶つことは、よほどの罪や恥の意識ががない限りできません。それができてしまうきっかけというか、ブレーキが壊れたような行動を取ってしまうのが、向精神薬の恐ろしい部分でもあります。そういう薬の怖さを知ろうとせず、添付文書さえ見ようとせず、医者任せで薬頼りで、10年間飲み続けていました。

命を脅かすような薬を、小さな体の子どもたちに飲ませてしまうことは本当によいのでしょうか。薬は毒として身体に作用しているだけです。問題の本質はどこなのでしょうか。

人間関係による問題があるのなら、それは薬ではどうにもなりません。

親や他者に暴力を振るうのでしたら、理由は必ずあります。言葉を飲み込み、体で表現しているだけです。行動で意思表示しているだけです。親に問題があるから、子どもは余計に本音をいえない。親に嫌われることへの恐れを持っているからです。

子どもの心と精神を壊しているのは子ども本人ではない。私たち親や大人であるということがまず第一歩であり、子どもの精神疾患は病気ではなく、状態であるという周囲の意識と考え方、発想の転換から、何かしらの変化は起きると思います。

ヤク中ジャンキー

ヤク中ジャンキー

2004年。免疫が下がり細菌感染をはじめさまざまな症状が出てきたため、内科や婦人科など精密検査をしましたが、異常なし。出ている症状に対して理由が知りたくて、病名(原因)がほしかったので、最終的に心療内科へ行きました。

結果は「うつ病」

早い段階で抗うつ薬の処方が始まりました。

当時の私に、何をいったら通院も向精神薬もやめれたのか考えることはあります。

病名が与えられたことでホッとしていた自分がいますが、不快な症状の原因がうつ病ではなかったですし、人間関係の問題があったことは確かです。でも、現実をみなかった。

もしかしたら何をいっても無駄だったかもしれない。

精神分析の観点からいえば、闇の計画がすでに働いているので、無駄なことはわかっています。人は見たい現実を自ら作り出す。

でも、もしも、あなたの状態は「ヤク中ジャンキーです」といえば、何か気づきはあったかもしれない。心の病といわれているうつ病。本当に向精神薬を飲み、ヤク中にまでなって、心は治るものなのかと考えたのではないか。

精神の問題は自己の精神でしか治せない。生き方や考え方により人間関係の問題が起き、その問題により苦しんでいるからである。向精神薬で治すという選択は本当に正しいことなのかと、考えるきっかけはいくらでもあったのに、そのきっかけとなったのは、優しい言葉などではない。癒す言葉でもない。

ヤク中ジャンキーに近い言葉だった。

「精神医学とは何か」という答えが私の生き方考え方を変え、私の状態は私が作っていた現実であり、誰のせいでもない。すべては因果応報であり、根本の問題は私の内(内的要因)にあるという現実を突きつけられたことで、ヤク中ジャンキーという現実を直視することができました。

何も言い返す言葉はなかった。愚かとしかいいようがありませんでした。

つらい現実と問題とトラウマなど、今まで避けて見ないようにしてきた自己の精神に直面しなければならないが、命が消えゆく前に、目が覚めてよかった。私にとって向精神薬とは、廃人となり、思考を眠らせる薬でした。