エホバの証人の精神的強さと生命力

エホバの証人の精神的強さと生命力

私が所属していたエホバの証人の会衆では、がんや精神疾患など病人はいましたが、比較的みな長寿でした。長寿の理由のひとつは、永遠の命と楽園という希望を持っていたからだと思っています。何かしらの希望や目標を持っている人の生命力は、持っていない人よりも強いことは確かです。しかし、これは表面的な理由です。では、深層心理では何を思っているのか。

ひとつ考えられることは、死への恐れがあるのではないかと思います。

一度、事故に合い、死を身近に感じた人もいることでしょう。家族の苦しい闘病生活を現実で体験し、そこから死への恐れを経験した人もいるでしょう。または、この世に出ることができなかった人の命、その子の死を無駄にしないために、頑張って生き続けているのかもしれません。

何にしろ、死ということに執着があるからこそ、この世から離れないといえます。私も父親や祖母など、いろいろな人の死をみてきました。私は自殺未遂者で死んでいたかもしれませんが、今、生きているのは、私自身も死への恐れや執着があるのだと思います。ですから、永遠に生き続けられる楽園がテーマとなっている宗教団体である、エホバの証人に属していました。家族の復活もどこかで期待していたことでしょう。家族に会いたいと思ったことでしょう。

生きる力や行動力はどこからでも生み出すことはできます。エホバの証人や宗教組織に属することはもうないですが、精神的な強さの維持や学ぶ姿勢、人々へと伝えようとする努力と行動力は、エホバの証人時に得たものなので、そういう姿勢は大事にしていきたいと思います。

発したことばは自分に返ってくる

発したことばは自分に返ってくる

友人に「好き嫌いがはっきりしている」といわれたことがあります。

人はどうしても相性というものがあり、合う合わないがありますが、自分ではそれほどはっきりしていないのではないかと思っていました。

そして、私よりも友人のほうが「好き嫌いがはっきりしている」と、そのとき思いました。きっとそばにいるので、似たもの同士なのでしょう。笑

どちらにしても、発したことばは自分に返ってくる。そう思うことはよくあります。

その使うことばは、自分の感じているものから作られたことばなので、当然といえば当然です。「好き嫌いがはっきりしている」というものを意識していない人にとっては、あまり思いにもあがらず、ことばにもならないことでしょう。

私は「ぐだぐだといわずさっさとやればいい」と思うことがありますが、一番ぐだぐだいうのは自分です。

あなたにもきっと癖になっていることばやフレーズがあると思います。それはあなたの深層心理の感情にふれるからこそ、ことばになっている。

結局は、ことばより行動になるんですよね。誰かのことをあれこれいうよりも、家族や友人のことの欠点ばかりをぐだぐだいうよりも、自分の考え方や生き方に変化が起きれば、問題は解決したりもするし、相手の言動にもいちいち反応しなくなります。

人間関係の原因の根源は、自分の内にある。

楽しさに逃げ込むと人間力である魂は落ちていく

楽しさに逃げ込むと人間力である魂は落ちていく

うつ病のとき、楽しいか楽しくないかのどちらかといえば、楽しくはなかった。嫁姑問題があり、宗教問題もあり、あらゆる場面で楽しさに欠けていた毎日でした。そして、身近に得られる娯楽や楽しさに逃避し、妥協し、生活していました。

うつ患者は私と同じような思考パターンではないでしょうか。食べるなどさまざまな欲求を満たし、現実問題をうやむやにする。うつ患者に限らず、現代ではすぐに欲求を満たせる環境にあるので誰しも同じなのかもしれません。

日本は今や衰退途上国です。国民の多くは、強弱はあるかもしれませんが苦しい生活を強いられています。人間関係がきっかけとなり、病んでいる人もいます。病気大国であり、薬消費大国です。どこをどうみても問題だらけの国。人の体で例えるとしたら、がんの末期状態です。

病気になったとき、それを治したいと思うときは、自分自身に向き合うしか方法はありません。病気は自ら作り出したものであり、環境などの外的要因と同様に内的要因にも原因はあるからです。自分自身に問題の根源がある。国のなおしかたも同様で、立て直しのためには問題の根源は何かというところをみていくしか方法はありません。

楽しさに逃げるとは、対症療法にもならず、余計に問題から逃げることになります。逃避癖があり、問題や現実に直視できないほど、精神が弱っているから、また楽しさに逃げ込みます。

娯楽があまりにも多い現代社会。楽しむことはもちろん必要ですが、現実直視能力をはじめ、人間力が落ちた原因のひとつが、娯楽やサービスに逃げ込みたくなる精神性ではないでしょうか。日本の病と人の病の原因ではないでしょうか。

エホバの証人と儒教精神

エホバの証人と儒教精神

エホバの証人のとき、つらく感じていたひとつは、夫に服従しなくてはならなかったことです。同じ人間なのに対等ではなかった。聖書の教えでは、エフェソス5章にあるように、「妻は自分の夫に服しなさい」とあり、夫と妻の関係性をみたとき、夫が妻よりも上の立場にありました。

違う意見があったとしても、最終的には家庭の頭である夫の意見を尊重し、服さなければならない。私が意見をいうことはあまりなくなっていました。

しかし、その考え方は私が望んでいた現実でした。自分自身のルーツに韓国や儒教精神が影響していたからです。当時は儒教の教えさえしらなかった。しかし、親や目上の人を大事にするなど、私の内に根強く儒教精神がありました。

夫に服するとはある意味、楽だったのかもしれません。意見を持たず発言しないのは、責任が課されることもなくなるからです。それだけではなく、自分を低めていることで夫を高めることもできます。どこか自分の父親を夫に重ね合わせていたと思います。子どもからみればいい迷惑であり、情けない母親でした。

自分がなくなるほどの親を大事にして、親や夫に服従するばかりなのは嫌ですが、儒教思想にはよい考え方もあります。

儒教の創始者である孔子は、「武力によって他者を支配しようとするのではなく、君子の徳によって天下を治めるべきだ」といわれ、国のリーダーが他人を思いやる気持ちを持つほうが、政治がうまく成り立つと主張しました。

理想論かもしれませんが、義を思い、立派な人間になろうと努力する国民の徳や利益を考える政治家が増え、孔子の考え方が日本の政治に反映されれば、今よりはよい国の状態になるかもしれません。

今ではエホバの証人から脱退し、対等に意見をいい合い、議論できていますが、以前では考えられないことでした。意見を持つこと、自分の考え方や生き方をしっかりと持つこと、そして発した言葉と行動に責任を持つことは、自分という人間が何者なのかという答えが見つかるのだと思います。アイデンティティが確立されてきます。

儒教思想やさまざまな思想から、いろいろと歴史から学び、独自の思想を持てるようにこれからも成長できたらと思う日々です。

そして、自分のルーツを深めることはアイデンティティの確立にもつながるので、ルーツに関係がある、儒教、儒学や孔子についてもう少し学んでみたいと思います。