宗教人生から抜け出すことができたのはなぜか

宗教人生から抜け出すことができたのはなぜか

創価学会員の家に生まれ、21歳からエホバの証人だった、宗教どっぷり人生46年間。

なんとなく始まってしまった宗教から離れることができた一番の理由は、自分自身がそれを望んでいたということを自覚することができたからです。

創価学会二世。そして、エホバの証人も初めは義母だけ信者でしたが、ほぼ二世の子どもと結婚した状態なので、私も立場的には二世のような感覚でした。

では、どうして宗教を望んでいたのか。

自分自身のトラウマ(性被害者)のため、エホバの証人の教えをお守りのようにしていたと思います。エホバの証人は結婚するまでは性関係を持ってはいけなかったので、その教えで子どもを被害から守っていたといえるのです。しかし、裏を返せば、決まりごとで拘束していました。守っているようで傷つけている状態でした。まさにすべては表裏一体。恋愛をすることも教理が邪魔をしていたと思います。

その他にも都合がいいことは幾つかありました。

教えがあることで自分自身が何も考えなくていいという奴隷思考。面倒な社会の関わりや人間関係も、宗教を理由に断ることができました。集会や奉仕活動が毎日のようにあったので、家族が一緒にいることができました。

都合がよくて宗教を自ら選択していたのです。

誰かのせいにしてしまうと考え方や生き方は変化しません。自分の人生なので、最後は自分自身でいろいろと選択してきたと思います。断ろうと思えばいつでも断ることも、宗教をやめることもできた。でも、そうする勇気が持てなかったのです。

もう宗教をやめようと強く思えたのは、子どもの家出がきっかけでした。強い覚悟ととてもつらい思いを持っての家出だったと思います。どこまでも子どもを苦しめてしまった。

子どもが家出をしてから数年後、子どもに謝り、夫婦でエホバの証人を脱退しました。

私たち夫婦に問題があったことを自覚したから、周りではなく、内側に問題があると認識して向き合ったから、宗教の問題や家族の問題が解決していったと思います。

人は被害者意識が強く、被害者のほうが楽なので、自分自身に問題があるという視点は持ちづらいと思いますが、宗教をやめたいと思った時は、周りの問題よりも、自分自身に向き合って欲しいと思います。宗教をやめさせたいというのも同じく。それができた時、人は誰かのせいにすることはしなくなるので、必然と強さが得られ、生き方も変化していきます。

宗教で病気は治るのか

宗教で病気は治るのか

難病をはじめ、がんなど命が脅かされている場合、必死に治療法を探すと思います。西洋医学では解決されず現代医療や医師から見放されてしまった時は、特に宗教やスピリチュアルにハマってしまうのかもしれません。では、本当に病は宗教で治るのでしょうか。

私は10年間、うつ病、その後躁うつ病を経験しましたが、宗教で治ったということはありませんでした。周りの信者も病気を持っておられた方はいましたが、宗教で治っているという方はいませんでした。

宗教の歴史を振り返ると、聖書でもイエス・キリストは、病気を癒やされた記述がありますが、現代では、そのような奇跡的なことは、宗教組織に46年間属してきて目の当たりにしたことは一度もありません。

もし仮に、宗教で治ったという方がおられるのでしたら、それは、生き方や考え方に変化があり、生活習慣にも影響され、食べている物の見直しもされたから治っていったのかもしれません。宗教を始めたことにより、人間関係で何かしら変化があったのかもしれません。

宗教が直接的に病を治したというよりも、間接的に生き方考え方に影響を与えたのではないでしょうか。

ですから、何かしら困った症状がある時は、精神的なものや物質的な事柄に目を向けるのがよいと思います。何か必ず目の前に問題を抱えていますので、その問題に向き合い、社会毒が関係しているという視点から観察し、生活環境を整えることも大切です。

病気の問題は、西洋医学や宗教に頼り過ぎず、自分自身が作り出しているという視点を持つことで変化が訪れるのだと思います。私も宗教にすがることも、医療にすがることもせず、うつ病は治っていきました。

家族が宗教をはじめたときに考えること

家族が宗教をはじめたときに考えること

家族が宗教を始めた時、多くの方は動揺されるのではないでしょうか。カルトではないか、金銭的なトラブルや身体的トラブル、その他、様々な問題が起きるのではないかと不安になると思います。

その時に、早くその宗教組織から離さなくてはと、家族に宗教をやめるよう説得されると思います。しかし、その宗教を始めたきっかけは些細な事柄だったかもしれませんが、必ず大きな理由があります。根深い問題が絡んでいます。ですから、まず、「宗教」とは何なのかと考えてみてください。

宗教は、教理で支配、コントロールすることもできますし、宗教をやる時点で何か苦しい作業のような気もします。荷を課していくようにも思えます。家族や人間関係の問題などから現実逃避として宗教にハマってしまうかもしれません。何か教えを強く求めているのかもしれません。家族を困らせるため、または逆で家族を一致団結させるためにあえて問題を作り出しているのかもしれません。

「宗教とは何か」と、宗教にのめり込んでいく家族や大切な人の視点で考えていくと、何かしらの解決方法が見つかってきますので、宗教が何に置き換えられているのか考えてみることをおすすめします。

宗教にのめり込むのは誰のため?

宗教にのめり込むのは誰のため?

ある宗教では、その組織に参加することが、「自分や家族が救われる唯一の方法」だと主張し、それを聞いた方は宗教にのめり込んでいきます。

もし、自分自身の悩みを抱えていたり、家庭の不和があった時は、その言葉は魅力的に感じると思います。本当に救われたい、家族を助けたいと思い、必死に信奉するでしょう。そして、周りがその宗教をやめたほうがいいと言っても、その言葉は当人に届くことはありません。自分と家族を助けるために、その目的を果たそうと必死だからです。

もし、大切な家族が宗教にのめり込んでしまった時は、病気と同じですが、その人の問題だけと捉えないことです。その状態を偶然と捉えず、現実に起きていることは必然であると考え、宗教にのめり込む理由は必ずあるので、その理由を自分視点で考えることがいいでしょう。そして、宗教にのめり込ませているのは自分自身だという自覚と認識が持てると、選択するものや行動が変わってきます。

私も、すべて現実を作り出してきたという視点で考え、解釈を進めてきたことで、うつ病も、宗教や家族問題、トラウマによる問題も自己解決してきましたので、参考になりましたら幸いです。