絶望感を抱いて生きている人は多い

絶望感を抱いて生きている人は多い

相談を受け付けている者として、また、日常で人と接してみて思うことは、絶望感を持って生きている人はかなり多い。SNSなどネットを通じてもそう感じます。

私も小学生の頃には、どこか冷めた感覚で人を見ていました。そういう見方は少し寂しさもあったり、近しい人からは、穿った見方はよくないことも言われてきました。でも、私だけということでもなく、絶望的な感覚を持っている人は、今では珍しくもないほど、社会も家庭も人間関係もボロボロなのだと思います。

絶望感を持っていると苦しさも生まれます。一度、この世の中、社会は、滅んだほうがいいと思いながらも、そうなって欲しくはないという葛藤が生まれるからです。そして、私と同じように感じている方は結構いるのではと思います。

絶望的な状況でも、生きていかなければいけないのが、人間です。自分自身の力で社会も自分も何とかしなくてはいけません。誰も助けてはくれない。

絶望的な状況に陥ったとしても、自分自身で底辺から這い上がって欲しい。それが難しい状況だとしても、苦しさ以上のものを掲げて、それを力にして、生きて欲しいです。

性被害者として「気持ちが悪い」と思われることが一番嫌だった

性被害者として「気持ちが悪い」と思われることが一番嫌だった

自分自身が性被害者だと認識できたのは、社会人になって性を意識してからでした。それまでは何をされたのか理解ができていなかった。子どもの頃に性被害を受けていたのなら、私と同じような感覚を持っている人は少なからずおられるのではないでしょうか。

それからです。人を避けるようになったのは。自分自身が性被害者だと認識してから、ひと目を気にするようになり、少しずつ人から遠ざかっていきました。人が怖かった。今でもそれはありますし、どうにもならないのもわかっています。

そして、一番嫌だと思ったことは、「気持ちが悪い」と思われることでした。経験を話すことで、避けられるのではなく、「気持ちが悪い」と思われることが嫌でした。きっとそんなふうに思う方は少数だと思いますが。

本当は被害を受けたら、周りに話すことが一番大事なことだと思います。話して助けを求め、二度と被害が起きないように。

しかし、被害者はきっと話さない。

だから、この世の中からは性の虐待は無くならないし、苦しむ子どもたちはもっと増えていくでしょう。子どもたちは、NOを言うこともできず、そもそも何をされているのかさえわからない。

それでも、子どもたちが性被害を受けることがない社会にしていきたいと思い、身近なところで性被害があることを、大人や親が認識していて欲しいなと思い、私もこうして経験を開示しています。

もしかしたら、あなたの隣にいる人が性被害者なのかもしれません。そういう認識を持っていただけましたら、私の経験も生きてきます。どうか、苦しむ子どもたちが増えないよう、身近な子どもたちを守ってください。注意深く見守り、気にかけてあげてください。

人はなぜ宗教にハマってしまうのか

人はなぜ宗教にハマってしまうのか

エホバの証人の組織の中にいて、全体的に家族の問題を抱えている方は多かったです。夫婦問題、親子問題、家庭内の不和など。

人が宗教にハマってしまうのは、一つの理由としては、現実から逃げるためだと思います。私も実際そうでした。家庭内の現状に嫌気が差していたのに、いつの頃からかその想いは口にすることはしなくなりました。「もう何を言っても無理だ」そう感じていました。家を出ても行くあてもなかったので、言葉を封じていたほうが都合がよかったのです。自分自身の居場所作りのために、宗教にハマっていたのです。

自分の意志とは反した行動を取っていたので、うつ病になったのだと思います。そして、病気になっている信者は多かった。特に、二世の子どもたちは、自ら聖書や神を信じたわけではないので、親を喜ばすための宗教のために、自分の気持ちに反した行動を取り、病気になっていたと思います。人は感情を隠し、封じてしまうと病気になりやすいです。

宗教にハマってしまう理由、洗脳されやすい理由が、現実逃避というものだけではなく、様々な理由があります。

1.自分がない(生き方考え方、ポリシーや自分軸がない)
2.自信がない
3.選択、責任が取れない
4.自分は悪くない、すべて周りが悪いと人のせいにする(常に被害者意識でものを語る)
5.依存心が強い
6.自分が何者なのかわかっていない
7.楽な道を選ぶ
8.現実逃避(悩みや問題からの逃避)

など

もっとあると思いますが、これらはすべて私がそうでした。その状態だと気づいた時には、とても残念でしたし、愚かな自分を知って自己卑下するしかなかったのです。

人は、信じたいものしか信じませんし、見たい現実しか作り出しません。もしも、現実が酷くてつらいものだとしても、その状況を作り出しているのは、明らかにあなた自身です。その現実を直視できた時にだけ、現状は変化していくのだと思います。私たち家族も自分自身の愚かな現実、現状を直視して、私のうつ病は治っていき、家出をした子どもとは和解でき、宗教も脱退できました。現実直視と自己卑下はあらゆる問題解決において、とても重要といえるのです。

宗教、カルトに騙されやすい人

宗教、カルトに騙されやすい人

幼少から創価学会の集まりに参加していて、宗教はつまらないし、言っていることはわからないし、宗教に使う時間があるのなら、家族にもっと時間を使って欲しいと思っていました。明らかに、宗教に拒絶があったのに、嫁ぎ先はエホバの証人でした。拒否することもできたというのに、断ることを選択しませんでした。宗教にハマってしまい、聖書の教えを受け入れてしまい、聖書の教えは正しいとさえ思うようになりました。早く楽園が来て、平和な世界になることを切望していました。死者の復活を待ち望んでいました。

当時は、「洗脳ではない」と長老(会衆の頭)に言われていましたが、今、振り返ると「洗脳」でした。何も考えず、他者の意見も聞かず、聖書や神の教えの中だけで選択していました。

人はなぜ、宗教やカルトに騙されたり、ハマってしまうのか。

私の場合は、宗教の教えを信じたほうが都合がよかったからです。嫌いだった宗教だったというのに、ハマってしまったり、騙されていたほうが都合がよかったのです。

どうしてそういえるのか。

エホバの証人は特に家族と一緒にいる時間が多いと思います。ですから、子どものそばにいることができました。子どもにはかわいそうなことをしましたが、小学校までは幼稚園などに通わせず、一日一緒にいる日々を過ごしていました。私にとって、子どもと一緒にいることはミッションのような感じでした。幼少に親にそばにいてもらえないことが多かったので、そういう家族の形にはしたくないという想いが、行動に及んだのだと思います。

他にも幾つか、騙されていたほうが都合がよい理由があります。その数が多ければ多いほど、強ければ強いほど、騙されていたほうがいい状況を自ら作り出してしまうのだと思います。宗教に限らず病気でも家族、夫婦、親子問題でもあらゆるものに対して、作り出してしまいます。

ですから、他者が、家族や知人を宗教から離れさせよう、やめさせようとしても無理です。当人はその状態をむしろ望んでいるからです。宗教に騙されていたとしても、都合がいいのです。永遠と騙されていても、理由がある限りやめることはないでしょう。本人が騙されていることに気づき、都合が悪いと思った時でないと何も変化は訪れません。私たち夫婦、親子もそうでした。互いに宗教を続けることに都合が悪くなった時、宗教からの脱退の道に進んでいきました。きっかけは、私の向精神薬断薬と子どもの家出でした。それさえも必然だったと思います。「もういい加減、気づこうよ、人を喜ばすための宗教はやめようよ」と、合言葉のように、互いに考えが一致したのだと思います。そして、2018年の春、1994年から聖書を学び始めたエホバの証人の組織に対して、脱退の意志を伝えました。

過去を振り返ってみると、いろいろなことを考えることを放棄していたように思います。社会のこと、家庭のこと、家族や子どものことなど。視野も広がりましたので、考えることが増え、調べることが増え、いかに考えていなかったのかという現実を直視することになりました。様々な責任も放棄していたと思います。宗教とは現実から逃げるためのツールにもなってしまうのです。

宗教やカルトに騙されてしまう人、ハマってしまう人は、それなりの理由があるので、周りの力では何もできないと思っていたほうがいいと思います。家族や友人はカルトのような宗教はやめさせたいと思いますが、やめさせる行動を取るよりも、どうしてやめさせたいのか考えたほうがいい。そう思う理由も必ずあるので。