精神分析で重要な認知の転換

精神分析で重要な認知の転換

内海式精神構造分析という精神分析法、精神療法をご存知でしょうか。

「内海式精神構造分析法」とは、自分が一体何者で何をしでかしているのか、自分にどんな嘘をついているのか、どんな仮面をかぶり人形を演じているのか、いかに自分が嘘をついていることを自覚していないか、いかに過去のトラウマを封じ込めながらそれに縛られて生きているかということを知るための技法であり、「心の絶対法則」が自分にどう働いているかを観察する方法である。(心の絶対法則から引用)
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精神分析では家系図を作成して、さまざまな視点から潜在意識、表面化していない意識である、「深層心理」を探していきます。今まで自覚できていなかった感情を表面化させていきます。深層心理に問題の根源があるからです。根源的、本質的、摂理的、生存欲求的な意味合いがそこにはあり、その周波数が病気や状態の周波数を作り出しています。認知の歪みにより問題は起きています。

性被害者にとって、自分が悪いことをしたのではないかと思うかたはいるのではないでしょうか。私もそうでした。ですから相手を恨むことは一度もなかった。他にも理由はあると思います。しかし、本来なら憎むことが人としての感情の反応です。

宗教2世の子どもたちも同様です。親を憎めないから苦しんでいる。組織から離れることができず、親から離れることができず、嫌々ながらもずるずるとその状態から離れない。そしてそれは周波数となり病という形を作り出していく。

憎んでいたり、恨んでいたり、怒りを持つことは何も悪くはありません。深層心理の何かしらの理由によりそれを封じてしまうから、問題は問題のままであり、その問題は心の奥底に沈み隠され、目を向けず、新たな道を進む力さえ生み出せない。

宗教2世も虐待された人たちも、感情を出さないようにしている人のほうが多いと思います。一番は親が悲しむからではないでしょうか。周囲に迷惑をかけてはいけないと思っているからではないでしょうか。自分を低めるなど他にも理由はあります。そして、その連続により、本来の自分の感情がよくわからなくなる。自分の姿がよくわからなくなり、人生は誰かの人生の道となり迷路のようになってしまうのかもしれません。

感情をおさえている自分の姿を知ることができ、また、恨んでも憎んでもいいという認知の転換により、以前よりは楽に生きられるようになりました。喜怒哀楽を持っているのが人間なのですから。

闇が満ちれば光は生まれる

闇が満ちれば光は生まれる

あなたは闇をみたことがあるか。自分の生き方考え方や、日本の悲惨な現状、地球上で起きている事柄など、闇深さはどこにでも存在する。いじめ、DV、性虐待など、またそれ以上にこの世には目を背けたくなるような闇深い状態は存在します。

人は自分の生き方考え方であらゆる選択を日々しています。何を食べるか、誰と会うか、どの組織で仕事をするかなど。選択の連続で今の現状は生まれており、それが息苦しく、何かしらの症状が出ているのなら、その背後にはあなたの「闇の事象」『闇の歴史』があるのは確かです。

しかし、人は治したいといいながら、変わりたいといいながら、その闇をみようとしない。

自分の闇をみないから、社会全体の闇さえもみようとしない。闇という感覚さえないかもしれません。

「もろい人の心は深淵の前に砕けてしまう。闇を見る者を闇もまたひとしく見るからだ」

このセリフはナウシカに出てくる言葉です。ナウシカは絶望から闇堕ちしたかもしれない。しかし、人間界すべての汚れきった闇の状態を受け入れ、意識を取り戻しました。闇を受け入れ、また自分の罪深さも受け入れ、その強さと生命力で、ともに生きようと決意したのだと思います。

精神分析で自分と向き合うことは「闇」に向き合う作業でもあります。どこまでもどこまでもその闇は続いていきます。煩悩まみれで欲深く被害者意識が強い人間社会で生きているのですから当然です。何ひとつ地球に対してよいことをおこなっていないのが、人間という生き物です。

人の罪深さ、人類の歴史の闇深さに向き合う生命力があれば、向上心が生まれてくるのではないでしょうか。

闇が満ちたとき、はじめて光は生まれるのだと思います。

私もそうしてうつ病や性被害というトラウマや生きづらさという闇から、這い上がる力が生まれました。完全な人間にはなれませんが、今よりまともな人間になりたい。

病を治すとは自分の闇に向き合うことであり、現実に直面することであり、この世の闇深さをみようとすることです。そうしたら、病んでいる日本の状態はなおることができると私は信じています。

心身ともに病をなおすとき、問題の根源となる「自己」に向き合うことはとても重要なのですが、どうして人は自分をみなくなってしまったのですかね。同様に日本の病をなおすとき、日本の闇をみることは重要ですが、言葉にすることさえもうできない時代がやってくるというのが今の日本の現状です。精神的な話や哲学的な話ができなくなるのは、それもまた悲しい現実です。今では思想を持った人は変人扱いの時代になりました。

愛犬ちょこはセラピスト

愛犬ちょこはセラピスト

名前と誕生日がわかれば、数秘は出せる。

14年間一緒に過ごした愛犬ちょこの数秘を出してみました。

LP(ライフパスナンバー) 8
P (パーソナリティーナンバー)33
D (ディスティニーナンバー) 6
S (ソウルナンバー) 9
M (マチュリティーナンバー) 5

本質や価値観は、ソウルナンバーから読み解きます。ちょこのソウルナンバーは、「9」

人類愛、慈愛、ボランティア(奉仕)精神という性質が9にはあります。全体のことを把握し、考えて行動するタイプです。周囲のことを気遣う優しさがあります。動物は基本、人を癒す存在なのですが、ちょこはまさに9の性質を持っていたわんちゃんでした。小さな子どものように自己主張ももちろんありましたが、私よりも大人で優しいわんちゃんでした。周囲からも優しいといわれていました。

そして、使命や適職、社会的役割をみるナンバーは、ディスティニーナンバーです。ちょこは、「6」です。6にも、奉仕という性質があります。いわゆるセラピストタイプです。誰かのために働き、お世話をする。

ちょこは、私にとっても、家族にとっても「セラピスト」でした。

うつ病と診断されてから4年後に、我が家に来てくれました。一番調子が悪かった時期です。いつも心身ともに不調な私のそばにいてくれました。ひとりぼっちのような感覚の私に寄り添ってくれました。そして、エホバの証人という宗教問題がある家庭内で、ちょこを通して家族は家族として成り立っていたのかもしれません。

そして、ちょこの姿となる3つのナンバーはすべて3の倍数の数です。

3というのは私自身、執着している数でもあります。私も夫も3兄弟であり、親族も3の倍数による家族構成が目立ちます。

内海式精神構造分析で家系図をみていくとき、家系図の「構造」をみて分析していくのも1つの着眼点です。そして、この「3」という数字にも意味がある。私の場合に関してはその意味合いは「自由」というものではないかと考察しています。ちょこのナンバーの解釈には、自由という性質が多いからです。

自由、愛情深さ、奉仕というキーワードが目立つ、愛犬ちょこのナンバー。

亡くなって1年半、寂しい思いもしていますが、ちょこのことが数秘からよく知ることができてよかったなと思います。

ソウルナンバー9というのは、私の兄弟2人も同じなので、兄弟の投影でもあったと思います。亡くなった父の命日に近い12月の後半あたりに我が家に来てくれました。ちょこは父親でもあり兄弟でもあった。今では相性数秘術からそのように解釈しています。

エホバの証人と権利欲

エホバの証人と権利欲

終わりの日であるハルマゲドンまで、エホバの証人として神の僕としてエホバ神から離れなければ救われる。永遠の命が約束されていたからこそ、家族や社会から迫害されても忍耐できるのが、エホバの証人です。

神から選べれた民であり、特別な存在であり、救われて当然と思う。いわゆる選民思想のような感覚が構築されていました。これだけ社会から疎外され、迫害され、忍耐してきたのだから、エホバ神のご意志である、神の王国、楽園について日々、宣べ伝えてきたのだから、救われて当然という意識は、日に日に強まっていたのではないかと思います。

迫害という環境にいると、ムチを打たれたような状態でもあるので、人の「生」というものは強化され、永遠に生きたい、永遠に生きて当たり前の存在と思ってしまうのかもしれません。これだけ耐えてきたのだから、永遠の命という徳があってもいいのではないかと思っていたと思います。子どもを宗教で支配して傷つけていたというのに。

人というのは権利欲の塊です。権利を享受して当たり前と考え、子どもや先の世代のことよりも自分のことしか考えていません。どうやって簡単、お手軽に自己の欲望を叶えられるかと考え、自分がおこなうべきことはせず、義務みたいなものを果たそうとせず、挙げ句の果てには、自分の思うようにならなければ文句ばかりです。

そのような人間がはたして本当に選ばれた民なのでしょうか。

全世界の人の命をきづかい、救いたいと思っているのなら、ノアの箱船の扉が閉まる時に、箱船に乗る権利を譲ると思いますが、それができないのが人間です。どこまでも自分のことばかりであり、自分の権利の主張ばかりです。

宗教とは、自己に向きあるツールです。しかし、エホバの証人時はまったく自己に向き合っていませんでした。自分の醜い部分はみようとはしなかった。組織と聖書と神のことばをおこない、独自性がなく、みな同じがいいとロボットのように生き、その道からはみ出さないように生きていました。

エホバの証人だけではない。組織から離れてもやはり、受けて当たり前というのが人のこころには強く存在します。依存心からそうさせていると思います。調べない、考えない、すぐに答えを欲しいから、依存心が働く。

そして、日本ではすでに生きる権利は奪われはじめています。出生数減少、人口減少からもわかるように、生存権が脅かされているのです。