大事にしていないから大事にされない

大事にしていないから大事にされない

子どもが親のいうことを聞かないということは、親子の間ではよくある風景ですが、いうことを聞かない理由は必ずあります。そもそもいうことを聞かせようとする支配的な構図から見直す必要があるでしょう。子どものほうが親よりもすべてが若く、素直で、シンプルで、はるかに賢いからです。社会的体裁や忖度などのない感情から言動しています。

いうことを聞かないとしたら、親はすでに信用されていないということです。親子関係に限らず、組織や人間関係でも同様です。

人はひとりでは生きてはいけません。人間が生み出したシステムの中で生きていますし、水や太陽や空気など自然の恩恵にも預かりながら生きています。

自分の思いが相手に伝わっていないとは、あなたが相手を大事にしていないからではないでしょうか。ひとりでは生きていけないからこそ、独りよがりにならず、自己中心的にかたよらず、支配的にならず生きていく必要があります。

いうことを聞かないという相手の姿は、あなた自身でもあります。マイナス要素でもプラス要素のときでも、気になる相手は自分の鏡である。自分の内に火種があるからこそ、相手の言動が気になります。先にいうことを聞いていないのは「自分」という自覚が持てたとき、何かしらの変化は訪れるのではないでしょうか。大事にされていないと思ったとき、先に大事にしていないのはあなたではないでしょうか。

今、悩んでいる問題があり、怒りや悲しみなど出てくる感情があるとしたら、その根源はあなたから始まっている。

そして、大事にされたいのなら、まずは周囲の人々を大事にすることを心がけてみてください。

病気が治るということは本当によいことか

病気が治るということは本当によいことか

病気や症状には必ず原因があります。原因があり、理由があり、本質的な要因を探す必要があります。

私も以前はうつ病と診断されていました。10年間、向精神薬を服用していました。10年後、断薬してうつ病は治りました。

しかし、治ったという現実の幸せは得ることはできましたが、こころのどこかで治ってしまった罪悪感は常に感じています。治ったことで向き合わなければならない現実の問題や、過去の問題や、人間関係、コミュニケーションの問題やトラウマなど、向き合わなければならないことがありました。それらに向き合うことはうつ病のときよりも苦痛でした。

本当に治す覚悟があるか。そして、治療家は自分のエゴで治してはいけない。もし目の前で治っていたとしても、そこから離れれば、また患者は別の病気を作り出すかもしれません。

治療家側も患者やクライアントをなおすとはどういうことか、よく考えなければならないと思います。

こころが動く人生を

こころが動く人生を

私はいて座でエレメントは火の星座ですが、海に行ったりみたりするのが好きです。そして、凪よりも波に動きがあるほうが好きです。風が吹き人が泳ぎ動きのある海の景色がなんとなくですが絵になります。そういう写真のほうがこころも反応します。

人の人生でも、こころが反応する人生のほうが、本当はいいのかもしれません。人間社会ではいろいろと問題がおきますが、何もない人生だとしたら、それはつまらない人生なのかもしれない。挫折したり後悔したり、そこから学習したり成長したりと、苦痛も経験しますが、生きている意味を考えたり、どう生きていこうかと考えることもできます。

人生は海で例えられることはあります。凪のときもあれば、激しい雨風で大荒れのときもありました。泣いたり笑ったり怒ったりと、人は忙しい生き物ですが、それでも何もない人生よりも、静かな毎日よりも、生きている実感は持てるのではないでしょうか。そして、また頑張ろうと思い、心身ともにステップアップする。

こころが反応する人生は面倒だと思い、人との距離を置く人もいますが、そうすることで寂しさを感じているのなら、それもこころが反応している証拠。好き嫌いの感情が交差しており、葛藤であり、さまざまな精神、感情を人は持ち合わせているからこそ、こころが動かない人生より、人生は豊かになると思います。

エホバの証人の精神的強さと生命力

エホバの証人の精神的強さと生命力

私が所属していたエホバの証人の会衆では、がんや精神疾患など病人はいましたが、比較的みな長寿でした。長寿の理由のひとつは、永遠の命と楽園という希望を持っていたからだと思っています。何かしらの希望や目標を持っている人の生命力は、持っていない人よりも強いことは確かです。しかし、これは表面的な理由です。では、深層心理では何を思っているのか。

ひとつ考えられることは、死への恐れがあるのではないかと思います。

一度、事故に合い、死を身近に感じた人もいることでしょう。家族の苦しい闘病生活を現実で体験し、そこから死への恐れを経験した人もいるでしょう。または、この世に出ることができなかった人の命、その子の死を無駄にしないために、頑張って生き続けているのかもしれません。

何にしろ、死ということに執着があるからこそ、この世から離れないといえます。私も父親や祖母など、いろいろな人の死をみてきました。私は自殺未遂者で死んでいたかもしれませんが、今、生きているのは、私自身も死への恐れや執着があるのだと思います。ですから、永遠に生き続けられる楽園がテーマとなっている宗教団体である、エホバの証人に属していました。家族の復活もどこかで期待していたことでしょう。家族に会いたいと思ったことでしょう。

生きる力や行動力はどこからでも生み出すことはできます。エホバの証人や宗教組織に属することはもうないですが、精神的な強さの維持や学ぶ姿勢、人々へと伝えようとする努力と行動力は、エホバの証人時に得たものなので、そういう姿勢は大事にしていきたいと思います。