被害者意識が問題を生み出す

被害者意識が問題を生み出す

今、あなたはどういう状態ですか?うつやがんなどの病気や、家庭、夫婦、子どもの問題を抱えておられるでしょうか。

その時に、その問題がなかなか解決されない一つの理由は、「被害者意識」です。

「あの人が悪い」「騙された」「この会社だから」「この家庭だから」「こんな世の中だから」など、被害者の立場になれば必ずこのようなセリフが飛び交います。しかし、本当にあなたは被害者なのでしょうか。本当に騙されたのでしょうか。

人はどうしても自分が可愛いので、自分の立場を守ろうとします。ですから被害者側を選んでしまいます。私もうつの時はそのように被害者側の立場にいました。病気だから、うつだから、弱者だからと、仕事や育児を放棄してしまいました。嫌な人からも距離を保つこともできました。すべては被害者の立場を保ち、自らの立場を守るために。

被害者意識を持っていると、目の前の景色は被害者でいなくてはならない状態になってしまいます。だから目の前の現実は常に問題があるのです。

その問題を解決したいのであれば、もう、被害者の側から出ることです。己が実は加害者であるという認識をし、その状態を作り出していたのは自分自身なのだと自覚することです。そこから問題や何かしらの病気という状態は変化してきます。私もそうすることでうつ病は治っていきました。

しかし、多くの方は被害者意識を手放すことができず、ですからこの日本では様々な病気が増え続け、精神患者も増え続けています。自分が加害者であり、その現実を作り出していると認められた時に、何かしら状況は変わってくるのです。自己卑下することで、底辺から上へと上がってくるのです。闇のような世界から自ら抜け出せるのです。

「誰も助けてくれない」のではなく、助けなどいらないと望んでいた

「誰も助けてくれない」のではなく、助けなどいらないと望んでいた

二つ前の記事で「誰も助けてはくれない」そう最初に書いていますが、助けてはくれないことを望んだのは私です。
人を信じることができず悲しみを抱いている人たちへ

人は望んだ現実、見たい現実しか見ないからです。常に人は被害者ではなく加害者です。自らその世界を作り出しています。

では、どうして「誰も助けてはくれない」ことを自ら望んだのか。

一つは、やはり、自分自身を過酷な状況に置いていたのだと思います。何かしらの罪悪があり、そうしていたのかもしれません。

もう一つは、人を信用したくないという現れでもあります。人を信じるということは、人を頼ってしまうということでもあります。当時の環境で人を頼って生きるということができない状態でした。家庭に親が不在のような状態でしたから、自分でなんとかしなくてはいけない。その強さを保つために、人を頼ること、信用することは、自ら遠ざけていたと思います。

最初にも書きましたが、人は自ら目の前にある現実を作り出しています。もし、人を信じたい、頼りたいと望んでいるのに、目の前の景色は違ったものでしたら、潜在的、深層心理ではそれを望んでいない自分がいます。そのことを認識、自覚するだけでも、見えている世界は変わってきたりもします。

社会や日本をよくしたいと思うのなら・・・

社会や日本をよくしたいと思うのなら・・・

この日本の現状を危機的に思っておられる方は多いのではないでしょうか。そして、地域社会の問題や、日本という国を、今より少しでも良くしたいと思われているのではないでしょうか。

その時に、目の前にある問題に対して対処なり解決しようと行動される方が殆どだと思います。実はそれよりもやるべきことがあるのです。

それは家庭内の問題に向き合ったり、問題がなくても夫婦、親子、家族関係を良好にする、もしくは、毒親だってこの世には存在するのですから、しっかりとした立場を保っておく。そして一番重要な事柄は、自分自身の「闇」に向き合うことです。己に向き合い、生き方や考え方に向き合うことです。

今の日本の現状は紛れもなく私たちが作り出した社会です。

社会の極小単位である個人、家庭が定まっていないのに、どうしてその集合体である社会や日本がよくなるのでしょうか。小さなところが整っていないのにどうして世の中がよくなるのでしょうか。私たち一人ひとりの生き方や考え方により、今の社会となっています。

自分自身の「闇」とは現実に向き合い、過去問題に向き合い、家族問題にしっかりと向き合うことです。問題があったり病気があるのならそれは今までの生き方考え方が必ず影響しています。生き方考え方によりすべては作られているのだから。そしてその生き方や考え方は、生まれ育った環境から身についたものではないでしょうか。そこに向き合う必要があります。

しかし、多くの方は、一番それをしたくない。「闇」が深ければ深いほど、問題が根深く長く続いていればいるほど、「闇」に向き合う恐怖があるのだと思います。それでもその「闇」に向き合って欲しい。問題に向き合って欲しい。向き合う強さを身に着けて欲しいのです。その強さがあれば、少しはこの日本の現状はよくなっていくのではないかと思います。

そして、「闇」に向き合う精神の強さを、七世代先の子どもたちに伝えていきたいと思いませんか。子どもたちがどんな環境に置かれても、強い精神性があれば様々な問題に対処していけると思います。そして、またその思想は、次の世代に引き継がれていくのです。

人を信じることができず悲しみを抱いている人たちへ

人を信じることができず悲しみを抱いている人たちへ

誰も助けてはくれない。

私の人生の中でこのように感じることはよくありました。

「誰も信じられない。」

そう感じている方はおられるのではないでしょうか。人を信じることができず悲しみや不安や絶望の世界におられるのではないでしょうか。

私は、人を信じなくてもいいと思います。むしろ、人間すべてが実は人など信用していない。そう思えるのです。

もし、人が人を信じているのなら、契約書、誓約書など必要ではないですし、様々な紙による書類などもいらないと思います。人は人を信じていないから、現代では録音機器なども開発されているのです。

人を信じることができないと感じておられる方は、その「自覚」ができているだけです。受け入れているだけであり、ですから苦しさや悲しさも得てしまっています。人を信じることができないという「認識」や「自覚」ができているということは、私はいいことだと思っています。

その「認識」や「自覚」がないからこの世の中は悪くなっているからです。

良いことをしているようで良いことではないことばかりしているのが今の社会です。子どもに精神薬を飲ませて、親は病気の子を抱えていると被害者を装う社会です。精神薬で子どもを傷つけているという「認識」と「自覚」があれば行動は変わってきますが、それができない方のほうが多いから今の現状となっています。日本では精神薬の消費大国であり、精神疾患の患者が増え続けているのが現状です。

「認識」や「自覚」をすることは、現実を受け入れ、現実に向き合えている証拠でもあります。私は人が信じられないと素直にその感情が出せていることで、それだけでいいのだと思いますし、現実直視できる強さも持っているので、嘆く必要もないのだと思います。

そして、すべての人があらゆる問題に現実直視できた時にだけ、互いに人を信じることができる社会になっているのだと思います。