自分自身の闇を見るのが怖いかたへ

自分自身の闇を見るのが怖いかたへ

内海式精神構造分析法により、現実から過去問題、幼少期や自覚できていないもっと前の事柄まで、その情報や物事やエピソードに向き合うことはつらい作業となります。人類みなアダルトチルドレンなので、何かしらの問題を抱えて生きてきたでしょう。そして、見ないようにしてきたと思います。見ないように封じてきたので、生きづらさや人間関係などに問題が生じてきます。

しかし、一歩前に進み出したら、それは向き合う姿勢ができたということです。向き合う強さがほんの僅かかもしれませんが、持てたということです。向き合って、止まって、休んでもいいと思います。そして、いつかまた何かのきっかけで解釈が進み、また自己に向き合う。そういう感じで闇に向き合うのもいいと思うのです。私も自分自身の闇に向き合い、納得のいく状態になるまでに8年もかかってしまいました。

少しずつ向き合う強さが得られたと思います。突然、今の状態にはとてもなれませんでした。それでは負荷がかかりすぎて、こころが壊れていたと思います。私には8年という歳月が必要でした。それくらい深い闇を抱えていたんだと思います。そして、私以上にもっと深い闇を抱えておられる方はいると思います。

自己に向き合う強さは、一歩進めば身につくと思いますので、向き合い出したら諦めずに、前に進んで欲しい。時間はかかったとしても前に進み、今までの思い荷を下ろしてあげてください。精神分析により自己の根本の問題の解釈が進んだ今と以前とでは、ほんの僅かな違いかもしれませんが、私はそれでも、自分の生きづらさや苦しさの理由がわかったほうが、そのほうが楽になりました。闇に向き合うことで納得のいく人生を歩めています。

精神薬を断薬できてもそれで終わりではない

精神薬を断薬できてもそれで終わりではない

最近では少しずつかもしれませんが、向精神薬の危険性が周知されてきました。抗うつ薬や安定剤、睡眠薬を飲んで大丈夫なのだろうか、本当にこの薬で治るのだろうかと相談にこられる方もいます。

薬の危険性を知ることはとてもよいことです。現代では西洋医学による治療が主流なので、社会や医師は、薬を受け取る側が危険性を訴えない限り薬を処方してきますので、私たちが関心を持って使う薬の情報を得ることが重要です。市民が常に自分の頭で考え、選択することで薬害は減ってくるのではないでしょうか。誰かにいわれたとか、誰かに勧められたとか、そういう選択では薬害はなくなりません。

動画 医薬品をめぐる社会の仕組み・役割
動画 私たちにできること―学習のまとめ
薬害を学ぼう 厚生労働省

そして、薬の危険性を知って、向精神薬をやめていく方もおられます。私もその一人です。

しかし、薬をやめただけでは終わりではなかった。

常にどこか苦しくて、でも、その苦しさや生きづらさの原因が全くわかりませんでした。やりたくないことまでやっていたり、人を避けてしまったり、生きる喜びが持てなかったりなど、精神薬で思考が止まっていた状態からいろいろと考えるようになり、薬をやめてからもつらい毎日でした。

断薬してから8年。やっとそれらの理由がわかり、今、人生の中で納得のいく生き方をしていると思います。今までの自分の特質や性質を封じたり出さなかったりしてきたので、なるべく抑えないようにしようと選択するものも変わってきました。がっかりさせてしまうかもしれませんが、嫌なことにはNOがいえるようにもなりました。

多くの方は精神薬を断薬したらそれで終わりだと思われますが、まだ生きづらさを感じているようでしたら、原因や要因は必ずあります。現実よりも過去や幼少期、または自覚できていない部分に理由があります。どこか生きづらさを感じている方にこそ内海式精神構造分析法を活用していただきたいと思います。

音を楽しむことをやめた理由

音を楽しむことをやめた理由

小学生からマーチングバンドに参加して、気づくといつも私の日常は、音を楽しむことをしていました。社会人になってからは数年ですが、バンドメンバーとして参加していました。特に歌を歌うことが好きだった。

音楽が好きな理由は、父親が歌をよく歌っていたから。でも、私の記憶には歌っている姿は全くありません。しかし、親戚の方に会うといつも、「あなたのお父さんは歌がとても上手だった」とよく聞かされていました。

父親が大好きだった音楽を自分自身がやめてしまったのは、エホバの証人になってからです。この宗教(私の所属していた会衆)では、何故かカラオケには行ってはいけないという決まりがありました。聖書では明確にカラオケが駄目ということは書かれていませんでしたが、「世の人」と交流を深める場所には行かないようにということでした。

私にとって音を楽しむことをやめるということは、父親から引き継いだものを断ち切るという意味だったと思います。もしかしたらそれは、罪悪感からくるものだったかもしれません。父親が亡くなっているのに私は生きていていいのかという罪悪感。

内海式精神構造分析法やメタトロンで、その罪悪感が明確に理解、自覚できましたが、なかなか手放せていない自分もいます。しかし、もうその罪悪感を手放したい。

ずっと音を楽しむことをやめていましたが、最近は少しずつ楽しんでいこうと思えるようになりました。

人生の最期は音楽を楽しみながら終わらせたいなと思っています。

人生、悔いのないように、今、できることを、やりたいと思ったことをやっていこうと思います。精神分析をして意識を変えることができたことが何よりも嬉しいことでした。ほんの少しですが、罪悪感から開放してあげられそうです。

宗教にのめり込むのは誰のため?

宗教にのめり込むのは誰のため?

ある宗教では、その組織に参加することが、「自分や家族が救われる唯一の方法」だと主張し、それを聞いた方は宗教にのめり込んでいきます。

もし、自分自身の悩みを抱えていたり、家庭の不和があった時は、その言葉は魅力的に感じると思います。本当に救われたい、家族を助けたいと思い、必死に信奉するでしょう。そして、周りがその宗教をやめたほうがいいと言っても、その言葉は当人に届くことはありません。自分と家族を助けるために、その目的を果たそうと必死だからです。

もし、大切な家族が宗教にのめり込んでしまった時は、病気と同じですが、その人の問題だけと捉えないことです。その状態を偶然と捉えず、現実に起きていることは必然であると考え、宗教にのめり込む理由は必ずあるので、その理由を自分視点で考えることがいいでしょう。そして、宗教にのめり込ませているのは自分自身だという自覚と認識が持てると、選択するものや行動が変わってきます。

私も、すべて現実を作り出してきたという視点で考え、解釈を進めてきたことで、うつ病も、宗教や家族問題、トラウマによる問題も自己解決してきましたので、参考になりましたら幸いです。