太れない理由(少し違った視点で読み解く)

太れない理由(少し違った視点で読み解く)

太れない人はこの世には結構おられると思います。病気ではないかと心配される方もおられるでしょう。私が小学生から太れなかった理由を、私なりの解釈で読み解いてみました。この解釈が誰でも同じというわけではありませんが、一つの考え方として、またメタファー(隠喩、暗喩)による解釈として、読んでくださればと思います。

私はどちらかというと、学生の頃から何でも荷を負ってしまう性格でした。早くに父親が亡くなり、母親が一人で子どもたち三人を育ててきました。祖母のお世話もあったので母子家庭としても大変だったと思います。ですから、なるべく迷惑がかからないように、わがままを言わず、家のことはなるべく小さい頃からあれこれとやってきたと思います。

でも、重かった。

小さいながらにして、長女という立場も責任も重かったし、もっとわがままを言いたかった。いい顔をして誰かがやればいいことまでサポートすることも重かったです。いろいろと重かったから、重くなりたくなかったのかもしれません。その精神性が体にも反映されてきたのではないかと思います。

もしあなたが、太れなくて悩んでいたら、一つは食が細いことが原因ですが、ではどうして食が細いのかと考えてみてください。あまり食べれない理由が必ずあります。食べたくない理由があります。私の理由は、肉体的にも精神的にも重くなりたくなかったから。

その他にも、体力をつけたくない、元気になりたくない、見た目をよくするように育てられてきたなど、太れない理由はいろいろとあります。太れないことを病気とはとらえず、精神的なところからアプローチして理由を探してみると、新たな答えも出てきますので、ぜひ、考えてみてください。

■メタファー、言語医学について 言葉に隠れている感情や精神性を探す
https://youtu.be/yFoAQjNDvwI

宗教の勧誘に大学生が狙われる理由

宗教の勧誘に大学生が狙われる理由

宗教問題に関して調べてみると、近年では、大学生が標的となっている「キャンパスカルト」により、大学内外で宗教の勧誘が増えているそうです。

社会問題化した宗教団体「摂理」がコロナ禍で有名大学で勧誘を活発化 SNSを駆使した巧妙な手口 AERA dot.
若者を餌食にする「キャンパスカルト」の正体(2) 偽装サークルで勧誘 Asagei Biz
【学生の皆さんへ】カルト的宗教団体の勧誘に注意してください 新潟大学
「キリスト教」を名乗る団体について 青山学院大学

どうして若者たちが狙われるのか。

その理由の一つは、若さゆえに人を信用しやすく、断ることができないからではないでしょうか。守られ過ぎた環境のため社会性も低く、少し仲がよくなると疑うことなく、人を信用してしまうのかもしれません。悩みを持っていたら、ほんの僅かな心の隙間に入り込みやすくなり、その対応が心地よくもなります。または、プライドが高いために、まさか自分が騙されるはずはないと思っているのかもしれませんし、向上心や承認欲求も関係してくると思います。

そして、重要な点は、勧誘されることを本人が望んでいるという視点を持つことです。もし、お子さんが宗教の勧誘を受け、家を出ていくなり、家から離れて宗教にハマっていくのなら、それさえも望んでいるのはあなたなのです。受け入れがたいことですが、双方、その状態を望んでいるという視点をぜひ持って欲しい。

では、なぜ、勧誘されることを若者たちが望んでしまうのか。宗教にハマるのは一種の「逃避」です。現実問題からの逃避であったり、家庭内の居心地の悪さからの逃避であったり、親の支配からの逃避だったりもします。ぜひ、子どもたちが何から逃げたいのか考えてみてください。

そして、もし、宗教の勧誘により苦しんでいたり、つらい思いをされているのなら、「罪悪」も関係してきます。現在の罪悪というよりも、過去や全く認識のできていない罪悪です。罪悪に限らず、どうしてそういう行動を取っているのか、その理由は、内海式精神構造分析法により見つけ出すことができます。

ほんの少しの視点の違いで、宗教の勧誘の原因が違ったものになりますので、本当に解決させたいのなら、自分のどこに問題があるのかと、外側ではなく内側に問うて考えてくださればと思います。私もそうしてうつ病も、人間関係の問題も、トラウマ問題、宗教問題も、自分なりに向き合い自己解決してきましたので、この考え方がご参考になればと思います。

エホバの証人とがん患者

エホバの証人とがん患者

エホバの証人の組織にいた時は、病気の方は多かったように思えます。うつ病をはじめ、精神の不安定さ、発達障害、自律神経失調症、皮膚病、婦人科系疾患、難病、そして、がん。

女性特有の病気である、乳がんは何人かいましたので、身近な会衆で目立つのなら、全体ではもっと沢山いたと思います。

では、どうして乳がんが多いのかと考えた時に、聖書の教理が関係してくると思います。

私が学んだエホバの証人が用いる「新世界訳聖書」では、性に関する教えは厳しかったように思えます。(他の聖書や宗派とは比べたことがないので、同じなのか独自の解釈なのかはわかりません。)

そして、その性の教えが厳しかったので、私はこの宗教を求めてしまったと思います。このエホバの証人の組織に居ることは、どこかで安心感を持っていました。誰も性的なことで傷つける人はいないと安心していました。

性に関する教えはどのように厳しかったのか。例えば、結婚関係以外の不義の性関係である淫行は、聖書では禁じられ、将来訪れる「楽園」に入ることはできませんでした。その将来の命が関わるゆえに、多くの信者は「性は悪」ととらえたのかもしれません。私もそういう感覚は持っていました。

「ある人がユダにこう告げた。「あなたの息子の妻タマルは娼婦のようなことをして,しかも妊娠しています」。ユダは言った。「彼女を連れ出して,焼いてしまいなさい」(創 38:24)」
「神は,皆さんが聖なる者となり、性的不道徳を避けることを望んでいます。(テサロニケ第一 4:3)」
「淫行から逃げ去りなさい。…淫行を習わしにする人は自分の体に対して罪をおかしているのです(―コリント第一 6:18)」

そうすると何が起きるかというと、自分自身に出てくる、性に対する欲求を「悪」としてしまうのです。私の考えとしては、幼少から聖書を学んでいる宗教二世三世の若者は、性的な欲求を「悪」としているのだと思います。ですから性に関する「がん」ができてしまうのだと推察できます。そのがんには必ず隠れている精神性があるからです。奥に隠れている、隠しておきたい感情が隠れています。

宗教は教えが絶対なので、どうしても自分自身が「悪」になってしまいます。素直な子どもなら尚更です。純粋に教えを受け取ってしまいます。

ですから、宗教は時として人を支配もできますし、人格形成もされてしまい、本当の自分が「何者」なのかわからなくなるのではないでしょうか。悪い言葉を使えば、ロボット生産のようなものです。聖書の教えをインプットされて、すべて同じ人のように見えていました。同じ言葉を使い、同じ表情を出し、すべての信者が仮面の姿でした。

そして、がん患者は何かを必ず封じて生きています。何かを溜め込んでいます。それが塊になってがんという形になっているのだと思います。

がんは、環境や食からくる社会毒が原因の一つでもありますが、精神も必ず関係していることを知って欲しいです。そして、宗教の教理がとても影響しているということも、もし、このブログに辿り着いた宗教二世三世の子どもたちに伝わればと思います。

内海式精神構造分析法により闇に向き合いたい理由

内海式精神構造分析法により闇に向き合いたい理由

内海聡医師が発案した、内海式精神構造分析法に興味を持つ方が増えてきました。あまり上手な動画ではありませんが、YouTube動画を作り、視聴される方が増えているので、やはり、内海式を活用して、自己に向き合いたい方は増えているのではないかと思います。

内海式精神構造分析法が理解できる書籍「心の絶対法則」を読むとわかるのですが、この精神分析法は、自己の闇に向き合う技法となります。どうして多くの方は「闇」に向き合いたいのでしょうか。どうしてつらくて苦しい作業をするのでしょうか。

私の場合は、

もう楽になりたかった
生きづらさの本当の理由を知りたかった
残りの人生、自分を大切にしたかった
自分らしく生きたいと思った
本当のことが知りたかった

このような答えが出ました。

皆さんはどうでしょうか?見えていない部分を掘り起こしていくことは恐怖でもあります。実際にクライアントの方で精神分析をするのが「怖い」とおっしゃっておられた方がいました。本当にそうだと思います。見えていないものを目の前で見て自覚することは、怖いことでもあります。

しかし、その恐怖を乗り越えて欲しい。一度、抱えていた闇を自覚して、そこから這い上がって欲しいです。強さが求められるかもしれませんが、自己の闇に向き合った先には、私は「自由」があると思っています。今まで、いろいろなことを重い蓋で、感情も言葉も封じてきた自分がいましたが、重い蓋を外して、それらを出せるようになった自分もいます。

選択するものも変わってきました。責任が伴いますが、自由に自分らしく生きていけます。私はそうなれたことで、時間はかかってしまいましたが、やっと本当の自分に戻れたと思います。自由を好む、いて座の要素を持った火のような特質を出せることができるようになりました。本来の特性を隠すことなく、誰から何をいわれてもいいというモチベーションで、生きることができるようになりました。本来の自分を生きることで、人は自信が持てるのだと実感しています。