その同じ口で愛を語る

その同じ口で愛を語る

命を粗末に語る人間が、その同じ口で娘への愛を語るのですか。(薔薇のない花屋より引用)

人には一貫性のない言動はよくあります。

まさにエホバの証人もそうでした。きれいごとばかりでした。家族の生き方考え方を抑圧しながら、表面的で体裁主義で、見た目が良ければよしという感じでした。家の中では問題が起きているのに、奉仕では人々に愛と平和を語っていました。家と外で語る言葉と思いには一貫性がなく、子どもは、サタンが悪魔というよりも、目の前の親が本物の悪魔だと思っていたことは明確です。

挙げ句の果てに、言い訳の言葉は、「人間は不完全だから」です。アダムとエバの犯した罪を持ち出し、被害者づらをし、この世はサタンが支配しているとまでいい、一貫性がなくても、問題や間違いが起きても、「仕方ない」という。愛を学び、愛を宣べ伝える人々がそういうのです。なんと素晴らしい愛ある人なのでしょう。笑

エホバの証人に限ったことではない。
人間とは、愚かな生き物でしかない。

ですから、その愚かさで子どもや他者を傷つけないようにしたい。愚かさから逃れることができなくても、今よりまともな人間になれるよう、向上心を持って生きていたい。

私も以前は命を粗末にしていました。自殺未遂の経験があるからです。日々、死にたいと思い、口にしていたにも関わらず、エホバの証人として奉仕をし、愛と平和な楽園、永遠の命という希望を宣べ伝えていました。命を粗末に語るその口で愛を宣べ伝えていました。当時、一貫性がないことに気づいていなかった。嘘つきで一貫性のない自分のことがわかっていなかった。

せめて残りの人生は、自分の内面、精神もよく理解し、自覚し、生きていたい。その積み重ねが、人と人との関係性や、社会や日本が元気を取り戻せるのではないかと思っています。

くらげと言葉とコミュニケーション

くらげと言葉とコミュニケーション

クラゲは、刺胞動物門に属する動物のうち、淡水または海水中に生息し浮遊生活をする種の総称。
ウィキペディアより

そしてクラゲには、心臓や脳がない。そのような状態でどのようにしてコミュニケーションをとっているのでしょうか。光や波を起こしてコミュニケーションを図っているという説がありましたが、はっきりとはわかっていないそうです。音を発しているともありました。

水分量が95%とほぼ水で体ができていることから、何かしら、例えば光の周波数や、神経からの周波数により、ほぼ水分でできている体全体で外部へ波動伝達しているのではないかと、私は推察しています。

心臓も脳もないのに生きていることが不思議ですが、それでも生物である限り、コミュニケーションは図っているのではないかと思います。

人も生命が続く限り、コミュニケーションを図って生きています。一番のコミュニケーションツールは、言葉です。しかし、言葉には嘘が多い。

意識した嘘と無意識下の嘘が存在します。

うつ病を治したいといっても、無意識下の深層心理では治したくない自分がいます。薬をやめたいといっている自分とは反して、薬をやめたくない自分が存在します。家族のうつ病を気遣っていても、子どもの将来を気にかけても同じく、それとは真逆の精神が存在します。

それが嘘かどうかを明確に判断するには、言葉ではなく行動で判断するしか方法はありません。行動と結果で判断するしか本当のことはわからない。

クラゲなど生き物には言葉がないぶん、その世界には嘘がなく、言葉を持つ人間には嘘がある。一体、言葉とはなぜ存在するのかと疑問の毎日です。古い時代には言葉はあまり使われていなかったようなので、そこには嘘はなく、騙し合いもなく、言葉の意図を推察することもなく、ただ生きるということを意識し、純粋なコミュニケーションだったのではないでしょうか。

現代のコミュニケーション能力の低下には、回数が多い少ないではなく、嘘が多く、語彙も多く、素直さや純粋さを抑えてしまうことが考えられる原因だと思っています。そして、大きな問題点は、アイデンティティの確立ができていないことと、確固とした目標を持っていないことです。支配、コントロール下で生きるという選択をしているからです。

ひきこもり歴10年

ひきこもり歴10年

結婚後、子どもの成長とともにひきこもりがちになった10年間。簡単にいえば、宗教による集会が嫌で、奉仕が嫌で、嘘が多い人間関係が嫌で、嫁姑問題もどうにもならず、人との交流も嫌だった。子育ても放棄している状態でした。いいたいことをいわず、ひきこもることで家族に反発していました。さまざまな深層心理の感情により、ひきこもることを選択していました。

そして、心身ともに退行している状態でした。

夫に家事、育児、仕事とお任せの日々でした。適当に毎日を過ごし、私がいなくても家庭内はまわっていく。家では存在も薄れていました。

過去のこと、ひきこもりの状態を文字にすればするほど恥ずかしくなります。自分が一番、その状態により利益を得ていたからです。望んでいたからです。

人が退行することにも意味はあると思います。めんどうな人間になり、注意を自分に向いてもらうためでもありますが、精神を守っていたともいえます。どうにもならない現実により、退行という手段で心的苦痛から逃れていたともいえる。波風を立てず、偽りの平和を得るための退行でしたが、今考えると幼稚な手段でした。

内閣府が2023年3月31日に公表した推計値によると、ひきこもりは15~64歳で146万人いる、日本の現状。

自信がない、甘えたい、コミュニケーションの問題という理由だけではない。さまざまな要因が重なりあってのひきこもりです。ひきこもりにも得と損があり、それは周りにいる家族も同様です。

性被害者と怒り

性被害者と怒り

人には必ず後悔はあると思います。もちろん私にもあります。子どもの特異性や生き方や考え方を、宗教で抑えてしまいました。父親祖母を助けれなかった後悔もあります。そして、姉という立場をおろそかにしてしまった。妹には優しさを表現できていなかったと思います。

妹とは、20歳まで一緒に暮らしていました。私は性被害者としてどこか苛立ちがあったと思います。でも自分ではまったく気づいていなかった。苛立ちや怒りは深層心理によるものであり、本質的で根源的で欲求的なものに突き動かされ、時々怒りが妹に向かっていました。他にはその感情は向かっていませんでした。

今振り返ると、伝えたい感情、性被害を受けてなんともいえようにない感情を、親や誰かにわかって欲しかったのだと思います。

もっと明確に、自分の怒りの根源が理解できていたらよかったのにと思うことはあります。そうしたら怒りや苛立ちは少しは静まっていたと思います。そんなこと小学生には無理かもしれませんが、それでも早く理解できていたらと後悔ばかりです。

ですから大人や親が、子どもの些細な言動に気づいて欲しい。性被害は日本でも常態化しており、ただ当事者がいわないだけであり、性の悩みを持っておられる方がみえていないだけであり、現実には悩んでいる方はいるのです。

そして、性被害者の悩みの根源は、その時の状態ではなく、トラウマといわれるものではなく、自分の精神の動きを感じ取り、自覚したときが一番つらいというところです。ですからずっと性被害者として弱者のままになってしまいます。自分で自分を乗り越えなければならない現実は、それもまたとてもつらい現実です。私はあなたに同じ道をおすすめはしません。あなた自身でどちらかの道を選択していただきたい。

性被害者という弱者のままでいるか、もしくは自己の精神に向き合い、もうそこから逃れられるほどの過去の自分よりも強者になるか。そのどちらかです。

弱者は結局、誰かに救ってもらうのではなく、自分でそこから這い上がれる何かをみつけ、強い熱量で動くしかない。それが人として生きるということでもあります。