【インタビュー】向精神薬の断薬経験やモラハラ、DVを乗り越えて 「自力で生きること」の大切さについて

【インタビュー】向精神薬の断薬経験やモラハラ、DVを乗り越えて 「自力で生きること」の大切さについて

向精神薬の断薬経験やモラハラ、DVを乗り越えて
「自力で生きること」の大切さについて

今日は、向精神薬の断薬経験やモラハラ、DVを乗り越え、自分の力で生きたいと、今までの経験を、ブログなどで発信されておられるAさんにインタビューしました。

Aさんは現在、経営者としても養成塾などを通して、誰かの収入に頼るのではなく、自分の力で生きていこうと取り組む方をサポートされています。

主に「自力で生きること」の大切さを、これから断薬を考えておられる方や、自立していきたいと思っておられる方にメッセージとしていただきましたので、お読みいただけましたら幸いです。

〜うつ病という病気を若い頃から身近に感じ、母親からの暴力も経験〜

Q 早速ですが、うつになったきっかけや、その時の覚えているエピソードなどお聞かせください。
A 私が小学校3年生の時に、父の兄である私の叔父が自ら死を選び、そこから父親はうつになってしばらくは働けない状態でした。父は自営業でしたので完全に休業したことと、同時期に私の妹の検査入院も重なり、母親も精神的に不安定になっていきました。

そして、私は母親から毎日暴力を受けるようになりました。その期間の他の記憶はおぼろげで、あまり残っていません。今思うと小学生の時は、うつではなかったのかなと思いますが、明らかにうつを身近に感じていました。不安定な親と家庭が原因のために。

父親は1年くらい病院に通院していて、その後、仕事に復帰しました。

〜親からの暴力の日々、一番幸せだった小学生時の入院、そしてうつ病を経験〜

小学校5年生の時に妹と公園で遊んでいて、遊具から滑り落ちて足を骨折して入院したことは今でもよく覚えています。痛い経験をしましたが、家庭の居づらさを感じていたので、家からも母親からも逃げることができてラッキーでした。4ヶ月の入院期間がとても幸せでした。

Q 母親や家庭から逃げることができ、入院時はどのような感じでしたか。
A 丁度その頃、私の住んでいた地域は水不足でした。学校ではトイレも流せない状態でしたが、病院内は水が確保されていたのです。トイレやシャワーが普通に利用できたことが嬉しかったですね。他の患者さんや看護師さん達にも優しくしてもらえて、地元で生活していた頃はその入院期間が一番幸せでした。

Q 4ヶ月後はまた地獄でしたね。
A はい。私は学歴重視の教育家庭で育ち、また、幼稚園受験を失敗しているので、受験のための勉強がいつもプレッシャーでした。成績の学年順位が下がって親に殴られないように、怒られないようにと必死でした。何かこの職業に就こうという目標があっての勉強ではなく、親の暴力や暴言から自分を守るために必死でした。

中学生の時に私は反抗期に入りました。親の言うことを聞かなかったので「頭がおかしいんじゃないか」と思われたようで、ここで初めて精神科を受診することになりました。

高校受験に合格して地元の進学校へ入学後、それまでの勉強のストレスが原因で燃え尽き症候群のようになり、3ヶ月で不登校になりました。その時に親に連れられて受診した心療内科で「うつ病」「自律神経失調症」と診断され、向精神薬を服用しました。でも、自分自身はうつ病とは思っていませんでしたね。

Q 当時、向精神薬を服用される方は、今よりは少なかったと思いますが、家族の反応はどうでしたか。
A 父が心療内科に通院していたので、精神科系の薬には一般の方々よりも親近感を持っていた方だと思います。私自身、向精神薬は高校生からの服用でしたが、家系的に病院に行くことは普段から多く、週に3回ほど通院して薬を飲んでいました。どこか悪かったら病院に行って薬をもらって飲むのが当たり前でした。

それは、祖母の影響が大きかったと思います。祖母は昔から、ほんの少しの不調でもすぐに病院へ行っていました。母親も同じ感じで、私自身も皮膚病があって、ステロイドを常用しており、病院は当たり前に週に数回通う場所、病気のデパート状態でした。それでも、自分が病気だとは思いたくはなかったです。

今思うと、母親が「代理ミュンヒハウゼン症候群」だったかなと。母親にとって子どもが病気のほうが都合がよかったと思います。周りからよく思われたい人でしたね。

代理によるミュンヒハウゼン症候群(日本小児科学会の公式サイト)

私の成績が良いことが、母親のアイデンティティになっていました。小学4、5年生の時は、塾を6つ掛け持ちしていて、親の期待がかけられていました。

Q お母さんもAさんと同じように、親からの影響が強い家庭で育ったのでしょうか。
A そうですね。祖母が病的レベルで買い物依存が酷く、数百万の服やアクセサリー、バッグなどを衝動買いしたり、高価な家電製品を次々と買ったりしていました。経営者であった祖父は仕事で忙しく、買い物依存に関しては祖母には何も言わず、さらに仕事で稼いでいました。きっと祖母は寂しかったのだと思います。それで精神的にも不安定になり、それを見ていて祖母の心身をケアしていた母も同じように不安定でした。

Q 大きなお金があってそれが動いて、また、入ってきてというのが日常だったんですね。
A 特に私が小さい頃はバブル絶頂期だったこともあり、祖母はよく個人の趣味に大きなお金を使っていました。本人は罪悪感もなく、買った瞬間は幸せそうでした。しかししばらく経つとまた不安定になり、買い物でストレスを発散するという、その繰り返しでした。

Q 向精神薬は常時服用されていたのですか。
A ずっと飲み続けていたわけではなく、断続的に服用していました。感覚的には強い薬ではなかったと思います。

高校中退後、高卒認定資格を取得して美大に入学しました。教材費を稼ぐためにアルバイトの掛け持ちをしていたため寝る時間もなく、働き過ぎて倒れてしまいました。しばらく寝たきりの状態でした。

卒業できないかもという不安や、就職氷河期でしたので就職の不安もあり、実家に帰る選択もなかったので、その時にまた向精神薬を服用してしまいました。それでも、仕事についてからは薬は飲んでいませんでした。

Q 精神的なダメージや、向精神薬をよく服用していたピークはいつ頃ですか。
A 23歳頃です。職場の人間関係や恋愛で精神が不安定になっていきました。当時、社内でお付き合いしていた人は、支配的な人でした。早く別れたかったのですが、「言うことを聞かないとこの会社にいさせない」と脅され、いろいろな嫌がらせも受けるようになりました。

それで精神的にも不安定になり、自分自身も病んでいる感覚があったので、精神科に行ってパキシルなど10種類くらいの薬が処方されました。そこから体がおかしくなっていきましたね。でも、薬はやめられない状態でした。

〜向精神薬断薬のきっかけと、断薬を成功させた鍵とは何か〜

Q 薬はどれくらいの期間服用されていましたか。
A その時は、断薬の期間も含めると3年です。

Q 薬をやめようと思ったきっかけは何ですか。
A 仕事をやめて起業しようと考えた時に、自分の体がおかしいなと感じました。これでは起業できないと思い、まずは体を治そうと思ったのがきっかけです。何か情報を得たわけではなく、本能的にこの状態はよくないと思いました。起業して会社を持ってそれで生きていくのが私の生き方だと思い、こんな体では駄目だと薬をやめようと決意しました。

Q 10種類ほどの薬をどんな感じで断薬をしていきましたか。
A パキシル以外はすぐにやめることができました。パキシルだけはなかなか辞められなかったので、薬を砕いて少しずつ減らしていきました。半年から1年ほどかかりました。

パキシルの断薬中は夜の入眠時に目の前に包丁が次々と飛んでくるような恐ろしい幻覚を見たり、車通りの多い道路を横断中に気を失って倒れたこともあります。そのようにしてなんとかパキシルも自力でやめることができましたが、希死念慮が強く出たこともあり、今思うと心身がギリギリで危険だった場面も多々ありました。一人での断薬は強い覚悟が必要です。一人で断薬するのが不安な方は、どなたかにサポートしていただいた方が良いかもしれません。

Qその期間で断薬できたのはすごいですね。
A 当時、詐欺にもあい、個人で数百万円の借金を背負っていたので、「返済するか死ぬか」の選択でした。借金を返していくのであれば、仕事を頑張らなければなりません。頑張るためには「こんな薬漬けの体では駄目だ」と思いましたね。

Q 体を立て直し、借金を返すという「覚悟」が断薬を成功させた鍵ですね。
A そうですね。薬に頼らず、自立して生きていきたいと思っていました。あと、自分で努力をしないで、人の努力に乗っかって威張って生きていく人にはなりたくありませんでした。

起業したからには責任を持って仕事をしたいという思いが原動力になりました。泥臭くても頑張って自分の力で生きている人は、誰かに頼って生きている人よりもかっこよく見えていました。

〜モラハラ、DV、断薬経験が仕事を通していかされている〜

Q プロライターだけではなく個別コンサルもされているなかで、頑張って自力で生きたいと、自立を意識した方が申し込まれてこられますか。
A はい。一番印象的だったのが、離婚をしてシングルになるかもしれないと相談を受けていた方でした。その方は私のブログを読まれていて、養成塾に申し込んでくださり、受講日の前に、事情でしばらく連絡が取れなくなるから日程変更をお願いしたいという連絡がありました。その連絡はDVシェルターからでした。

彼女はDVシェルターから出た後、私の講座を受講してくださりました。今、彼女はシングルマザーとして経済的自立され、イキイキと人生を楽しんでいます。

Q そうすると自立するための応援になりますね。
A そうですね。私に相談をされてくる方の多くは既婚者で、旦那さまの収入で生活されている方も多いです。それでうまくいく場合は問題ありませんが、中にはモラハラやDV、義両親との関係等で悩む方もいらっしゃいます。

そのような問題が解決不能で離婚したいと思った場合は、経済的自立が必要になります。経済的自立は人生の選択肢を増やすことになります。

Q 相談されてきた受講生をサポートして、自立していく姿を見てこられて、どう感じましたか。
A 嬉しいですね。ご自身の人生を歩み始めた様子を拝見して、私も励まされます。特に小さなお子さんがおられる方は、モラハラのある環境で育って欲しくないと思いますね。自分が経済的自立できないと思い込んで、暴力の環境にいることは、お子様にも悪影響です。

現在、苦しい環境で悩まれている方で、「自分に経済的自立は無理」と諦めてしまっている方がいたら、そのような感覚を変えられるようサポートしていきたいと思っています。

Q 今日は向精神薬の断薬経験から、借金返済やDV経験談、そして仕事への思いなどお聞きしましたが、最後に断薬など様々な経験をされてきて、今、どのようにその経験がいかされていますか。

A 断薬からいろいろな経験を通して、心と体に向き合ったことで自分を大事にできるようになりました。薬をやめて、体が回復していくのを感じて、自分の体を守る選択ができていると思います。
自分の体の力で生きている実感が持てるようになりましたので、薬に頼ることもなくなりました。あとは、自己に向き合うことは苦しい作業で、断薬もつらい経験でした。向き合うことで醜い自分を受け入れることにもなりましたが、それがスタートであり、これらの経験を伝えることが使命だと思っています。お会いした方に伝えていきたいと思い、ブログや動画など様々なツールを用いて発信しています。

貴重なお話をお聞かせくださり、ありがとうございました。

断薬をはじめ、様々な経験をされましたが、自己に向き合うことの重要性をお聞きすることができました。向き合う姿勢を持つことで、それが生き方にも反映され、体が治っていったり、借金がなくなっていったりしますね。

私も同じ向精神薬の断薬経験者ですが、人それぞれ断薬の仕方は違っていたり、その時の状況も一緒ではないのですが、「醜い自分を受け入れることがスタート」といわれたことは、私と同じ感覚でした。自己卑下の大切さが伝わってきました。

現在の日本や会社組織や家庭の形など、そして人も、時代とともに変化していますので、その変化に常に対応していくためにも、いかに「自立」できているかが鍵となります。Aさんの活動や発信を通して、自立される方が増えることを願っています。

一人の被害者の声で世の中は変わらないけど・・・

一人の被害者の声で世の中は変わらないけど・・・

薬害や性被害やその他何でも、その実態が明らかにならなければ、こんな無関心な世の中で関心を持つ人は皆無であり、だからこそ、今も昔も声をあげ続けておられるのではないでしょうか。しかし、その声はなかなか一般市民には届かない。私も社会や政治や人にも無関心だったので、誰かの叫び声のような訴えも、どこかで耳に入ってはいましたが、聞き流していたと思います。

どうしたら多くの方に、悲しみや苦痛の声を届けることができるのか。問題に関心を持ってもらえるのか。

一人でも多くの経験者が、声をあげるしかないと思います。その声が増えれば、他人事では済まされない。ですから、私も薬害も性被害も開示してきました。

それでも世の中は変わらない。日本の現状は変わらない。

相変わらず人々は、危険な精神薬を手にして服用される方は多く、性被害も毎日どこかであるでしょう。今もどこかであるでしょう。そして、他人の闇など気にもとめず、現実の闇も日本の闇も見ず、今が良ければそれでいいと、楽なほうへ、楽しいほうへ逃げ込むでしょう。

今という現実は変わらないかもしれませんが、何十年か先の変化のために、今、悔いのない生き方をしていきたい。

今が変わらなければ、先も変わらないと言われるかもしれません。

それでも、人間はクズで、悪の化身であったとしても、残りの人生は自分がこうしていきたいと思った生き方で、人生を終わらせたいと思っています。次世代と七世代先の子どもたちに、少しでもそういう生き方をした人間がいたということが、波動として残せていけらたいいなと思っています。私もきっとそういう思想を何かしらの形で受け取ってきましたので。

人生の迷子になって悲鳴をあげている方へ

人生の迷子になって悲鳴をあげている方へ

「私はここにいるよ。」と誰かに自分という存在を知って欲しくて、認めて欲しくて、理解を求め叫んでいる方は、この問題の多い現代では沢山おられるのではないでしょうか。

私もうつ病だった時は、人との距離を取りながらも、どこか寂しく、ほんのわずかな人にだけでも、苦しんでいる状態を理解して欲しいと、悲鳴をあげていたと思います。同じ心を病んでいるネット上のグループに参加して、数ヶ月、ネット内で家族のようにいろいろと話していた時期がありました。

でも、日が経つにつれて、それは傷の舐め合いのように感じるようになりました。自分たちは「可哀想な人」「優しくされて当然の人」として会話をしていました。どこかそれではいけない、現実から逃げているだけだという自分がいて、そこから距離を取り、離れていきました。

自分の状態に理解を求めてしまうと、その状態を維持するようになってしまうのかもしれません。そして、現実にも幼少、過去にも問題があるのに、その問題には向き合わず、逃げてしまいます。楽なほうへ逃げてしまいます。

私はずっと、うつ病も人生の苦しさも、周りが悪いとどこかで思っていました。自分の内側に問題があることに全く気づいていなかったのです。外的要因という外側の問題ばかりを見ていて、内的要因である、自分の考え方や生き方、コミュニケーション能力などに目を向けようとはしていませんでした。被害者のほうが都合がよかったからです。誰かのせいにしておけば、ずっと自分自身を悪者にすることもなく、傷つくこともなかったのだと思います。ずっとうつ病でいることができ、うつ病という名札を利用して、周りから優しくされるという利益(疾病利益)を得るために。

優しくされることは悪いことではないです。しかし、そのために病気を利用し、被害者や弱者の立場を保っているのなら、その今の状態は、自分自身が作り出している現実です。私はそれが嫌になって、うつ病という名札を捨てました。もううつ病はやめたのです。病気をやめて、精神薬も断薬して、うつ病は治っていきました。

人生の迷子になっていたり、誰かに理解して欲しいと思ったり、弱者だから優しくしてもらうのは当たり前と思っていたりと、その状態から抜け出すのは、自分自身です。その状態、自ら弱者の側を選んび、病気を使って優しくしてもらい、こんな状態になっているのは周りが悪いと思っていることが「愚かだった」と自覚できた時に、私は、一歩前に踏み出せました。

病気や弱者の状態を保つのか、違う道に進むのか、それは自由です。

私はうつ病という「名札」を捨てて、自分らしく生きたいと現実、過去問題、内的要因など、自分の問題に向き合い、人生の迷子から抜け出せました。もう、「ここにいるよ。」と悲鳴をあげなくても生きることができるようになりました。

助けてくれるのも、認めてくれるのも、結局は誰でもない、自分自身です。

二元思考(二元論)による宗教脱会後の罪悪感と空虚感

二元思考(二元論)による宗教脱会後の罪悪感と空虚感

最近、ある宗教の二世の子の書籍を読みました。その中には、「集会にはもういかない」と親に伝えたことや、その組織から離れ、親に嫌われることをしてしまう様子が描かれていました。教えに反することや親に嫌われる行動を取ることで、宗教から完全に離れようとしていました。

しかし、最後の一文には「虚しい」と、そう書かれていました。

小さな頃から宗教の教えに触れ、受容していたので、裏切ることは少なからず罪悪感を持つのかもしれません。そして反発して、教えに反する行動を取ったものの、現状は変わらず、教えが全身にインプットされているので、罪悪感はもっと募っていくのでしょう。

これは二元思考(二元論)が関係しています。

教理が「善」
自分自身、不完全な人間が「悪」

こう教えられるのが宗教です。ですから、常に自分自身が「悪」になっているため、罪悪感はいつも抱えており、それは、人によって強弱があるように思えます。

私も0歳から創価学会でしたので、何かしらの教理を教えられてきたと思います。でも、ほとんど覚えていません。覚えているのは平和が掲げられていたことくらいです。だから、その平和から少しでも逸脱すると「罪悪感」が出てきてしまうのだと思います。

そして、宗教二世の子どもたちもそうなのだと思います。個人差はあると思いますが、罪悪感を持っている二世の子たちは多いと聞いています。自分自身が「悪」ととらえているのです。

私もいつの頃からか幸せになってはいけないなど「罪悪感」を強く持つようになりました。一つの理由は、父親が亡くなったことによるものだと精神分析をして認識できましたが、宗教による「二元思考」が影響していることには最近、自覚できました。

きっとこの著者も私と同じような感覚なのではないかと思います。そして、私の場合は、同じことを実の子どもにもしてきてしまったと、後悔の毎日です。子どもが苦しんでいなければと思いますが、人の心は表面には出ないので、見えないところで苦しんでいるのかもしれません。親として謝り、こうして綴って思いなど残しておくことしかできません。

宗教二世の子どもたちがもし、このブログにたどり着いたのなら、自分自身を「悪」にしていないか考えてもらえたらと思います。そして、「悪」にしている根本の理由を探し出していってほしいなと思います。

私も学生の頃から罪悪感を持って生きていました。結婚してそれは強く出るようになり、うつ病、自殺未遂など経験してきました。常に傷つけている状態でした。

その理由が、宗教の教え、幼少の環境、生き方考え方、アダルトチルドレン像、そして、自分自身では認識も自覚もできていない、家の伝承でした。もっと理由はあるのかもしれません。

自己に向き合うことはとても苦しい作業ですが、一番、重要視していただきたいのが、「周りのせいにしない」ということです。被害者意識を持ってしまうと、善と悪でしか考えることができず、自分自身を善とし、正しくしてしまいます。(悪にする必要もありません。)すべては自分で選択してきたのに。私もエホバの証人の家に嫁ぎ、うつ病になり、精神科に行き、精神薬を服用し、ひきこもり、人との関係を遮断し、自殺未遂に至った事柄は、どれも誰かにそうされたのではなく、自分自身で選んできたことです。誰にも文句はいえない。

ぜひ、被害者意識を持たずに自己に向き合っていただけましたら、このブログ記事にも意味があるのだと思います。

参考書籍