動じないよう生きるのに必要なのは、努力や我慢ではなく自覚と覚悟です

動じないよう生きるのに必要なのは、努力や我慢ではなく自覚と覚悟です

私たちは成長するためにこの世にいます。人は常に成長を求めているからです。
これから紹介する文章は、断薬時にお世話になった内海先生のFB上で投稿された文章です。

内海聡医師 facebook

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人にとって最も辛いことは人それぞれですが、その辛きことは必然の中で発生してくることを知ることが、人生の成長の第一歩となります。
人生論で言えばその辛い経験は必ず自分にプラスとなり、苦しいことや悲しいこともそのまま自分の糧になっています。
だから無理に悲しむ必要はないし、その辛きことを正面から見据えて生きていけば、その時こそ真の喜びを感じる場面が訪れます。

あなたが怒りを表現できないのは、あなたが無能だからではなく表現方法を知らないからです。
言い方を変えれば適切な言葉を知らず本当の行動を知らないからこそ、あなたの怒りは制御することができず自分に返ってきます。
怒りは世界を動かす原動力の一つですが、一方負のエネルギーでもあるのでどのように動かすが重要です。

優しさだけがこの世界を動かすのであればすでにこの世界は神の国でしょう。
残念ながらそうではありません。
そして喜怒哀楽は人間にとって普遍的感情であり、どれが善い悪いというものでもありません。
苦労すれば必ず報われるわけではありませんが、多くの人は苦労した分成功の喜びを手に入れる可能性が高まるでしょう。

その苦労を喜びや成功に変えるにはいくつかのコツがあります。
惨めな自分を根っから否定して真の成長につなげることも、教育の基礎を記憶ではなく思考にシフトすることも、苦しくても隣人と笑って酒を飲むことも、お金という価値観と常識という価値観を捨てることも、もしかしたらそのコツの一つかもしれません。

不幸に生きていると思っている人が一番不幸です。
不幸の境遇にある人は実はあらがえる強い環境を与えられた人でもあり、強い自立力を身に着けるチャンスを与えられた人でもあります。
戦争を経験した人の多くは強く生きている人でもあります。
世界中の戦争を経験した人と現代人とどちらが不幸なのでしょうか。

鬱になることさえ人生に与えられたチャンスであり気付きのきっかけ。
そう考えれば今の時代を生きている飽食と不自由なく見える私たちが、最も不幸な生物なのかもしれません。
一人だから悲しかったり不幸であるとは限りません。
どんな人にもこの世で一人くらいは理解してくれる人がいるでしょう。

理解だけを求め理解する人がいない世の中で、一人の理解者がいればそれで幸せだとは思えませんか。
あなたは孤独ではなく孤独というならすべての人はまた孤独です。
孤独だから、問題が起きた、理解されない、周囲からの抑圧、不運の連続、そんなものは実は枝葉末節な話にすぎません。

それに動じないよう成長していくのが生きる一つの目標であり、そこに必要なのは努力ではなく我慢でもなく、覚悟と自覚なのです。
自分の人生は自分以外の誰にもすすめることはできないのですから。

答えは1つではない

答えは1つではない

学校教育がどんな感じだったか覚えているでしょうか。1つの確実な答えがあって、私たちはその答えに向かって思考を働かせていたと思います。決まった答えだと、複数出てしまうような答えを生み出すよりも、あまり頭を使いません。記憶力がよい人なら、なおさら簡単に答えを出せてしまうでしょう。

そうすると日常で、ある問題が生じた時に、答えを見つけるのが難しくなるかもしれません。人生の中で問題は様々だからです。そして、確実な答えなどありません。環境も生育歴も性格も何もかも違うからです。こういう中で確実な1つの答えを探してしまうと、正しい答えが見つからず、迷い、「何で」「どうして」って悩んでしまい、いつか病んでしまうかもしれません。

でも、そもそも答えなど決まっていないので、自分なりの答えが出たらいいのです。自分の納得のいく答えを出せばいいのです。

昔は悩み事で愚痴を言っていると目上の人から、「愚痴を言う暇があれば、自分の頭で考えなさい」と言われていたそうです。常に自分のことは自分で解決するように教育されていたそうです。

私たち日本人は自分の力で、自分の頭で考えて、応用編で答えを出すことが苦手です。でも、今からでも遅くはありません。頭を働かせるなら必ず今日よりは明日の方が考える力はつきます。常に人は成長するからです。

考え方や調べ方、頭の中の整理整頓がつかないようでしたら、私がお話を聞きます。人はアウトプットするだけで、かなり頭の中が整理されるからです。癒しとなる言葉はお渡しできませんが、整体でこころとからだをゆるますことはできます。言えなかったこころの奥底の感情を、よかったら一緒に見つけてみませんか。一緒にお話してみませんか。

あなたから変わりなさい

あなたから変わりなさい

誰かの親であるのならまず、親から変わらなければずっと同じことの繰り返しです。同じことが連鎖されるのです。子どもを何かしらの吐け口にしてしまえば、その子は精神的不安定な人間になってしまうからです。何も言えない、いつも言いたいことはしまい込み、人に合わせてしまう人間になってしまいます。深層の感情をしまい込んでしまいます。子どもは親や家庭に安心、安全、安定を求めています。そういう環境で成長するのが1番よいのです。安定した精神の持ち主になります。

でも、親が不安定で、いつも子どもに向かって怒りや悲しみ、寂しさ、イライラをぶつけてしまうと、子どもは自分が何とかしなければと頑張りすぎてしまいます。あれこれと深読みする人間になってしまうのです。

完璧な人間、完璧な親はいないので、時には弱い部分も見せてしまうでしょう。それでもいいのです。でも、常習的に子どもに感情をぶつけてしまえば、本能的に子どもが親を守りたいと子どもが親の親になってしまうのです。これは不自然なのです。その子はまた親になった時、子どもを親代わりにしてしまうのです。感情の吐け口にしてしまうのです。

親である私たちが変わらないと何も変わりません。人間なので弱さもありますが、強くありたいと願えば行動へと促されます。今より強い人間になれます。自分が弱い人間だと認めて、でも、変わりたいと願えば強くなれるのです。親でなくても、あなたから変われば現状は変わっていきます。今までのやり方がよくなくて今があるからです。思考パターンを変えていくのです。

自立と目標

自立と目標

私が断薬時にお世話になったクリニックの先生は、初診時に私がうつ病の時に、食事を夫に作ってもらっていたことを話すと私を叱りました。

私は病人なんだから仕方がない、病人だから当たり前とそういう思考でした。そもそもその考えが幼稚で愚かでした。

病人だからなんでも許される、甘えて当然と自分で弱者を選択していたのです。その甘えがあったから、うつ病もいつまで経っても改善されなかったのだとはっきりわかりました。心の状態が全く自立できる状態ではなかったのです。自分でそうしていたのです。

4ヶ月ほど断薬のため東京のクリニックに通いましたが、いつも叱られていました。禁断症状も出ていたので本当に辛い数ヶ月でしたが、あれほど叱られたのは生まれて初めてだったと思います。

本当に甘い世界に居たんだと思いました。精神が本当に甘すぎました。考え方が幼稚でした。それを選択してきたのは自分自身です。自立したくなかったのです。

いつまでも甘い世界にはいたくないし、もうあんなに辛いうつ状態も、断薬時の禁断症状も、もう経験したくありません。叱られるのも辛いし。(笑)

だから私は自立していようと思って、常に自分の前に目標を掲げて、それに向かって前を見るだけです。前に進むだけです。強い気持ち、強力な目標を持っていないとすぐ折れてしまう心だからです。とても弱い人間なのです。それでも、こんな弱い人間でも自立もできるし、断薬もできました。自立したいという思いは、私にとってとても強いエネルギーなのです。