エホバの証人と政治と秩序

エホバの証人と政治と秩序

エホバの証人は政治には消極的であり、世の政治には一切関与してはいけませんでした。なぜなら、天の王国に政府があると教えられていたからです。

世の政治には消極的で、距離を取っていましたが、政治に関心がないわけでもなく、むしろ政治を求めていたのだと思います。

どうして自分自身がエホバの証人の家に嫁いだのか。そう考えた時、イエスが王となる神の王国政府には「秩序」があり、私は正しさの中で生きていける「秩序」を求めていたのかもしれません。「しかし,私たちが神の約束によって待ち望んでいる,新しい天と新しい地があります。そこには正しいことが行き渡ります。(ペテロ後 3:13)」

秩序があれば、性被害もなくなり、ケンカもなくなり、傷つけあうこともなくなります。そういう秩序正しい社会を求めていました。しかし、それは無理ということもよく理解できました。人は絶対に完全な人間にはなれないし、必ずどこかで何かを傷つけて生きているからです。

この世は陰陽の世界であり、喜びの裏側には悲しみがあり、平和があれば、裏側には争いがあります。そういう世界で平和で秩序正しい完全な社会ができることは、私は不可能だと思いました。このような答えも出せたので、エホバの証人から脱会しました。

それでも、少しでも秩序正しい社会になればと思い、現在、政治活動に参加しています。今の子どもたちとそのまた次の子どもたちと、七世代先の子どもたちが少しでも苦しむような社会にならないように、今、やれることを精一杯、行動していきたいです。

市民がつくる政治の会(私が参加活動している政治団体)

人を信じることは一生ない

人を信じることは一生ない

性被害に限らず、誰でも強いトラウマがあれば、人を信じることはなかなかできないと思います。しかし、そもそも人を信用している人はいるのでしょうか。信用していないからこそ、様々な書類や契約書などは存在しているのだと思います。ビジネスなど駆け引きは存在します。

信じるということは私には難しいことですが、それでも孤立するのも苦しいです。人は人の温かみや空気など感じて生きていくのだと思います。もし、人に近づいて信用できない事柄が起きたとしたら、それは誰のせいでもない、自分自身が他者を信じきれなかったから。

生物として人間は特別でもないので、何かを信じるよりも、自分自身を信じることができればそれだけでいいのかなと思います。信じることも救うことができるのも、自分自身。直感を信じて生きていたい。

絶望感を抱いて生きている人は多い

絶望感を抱いて生きている人は多い

相談を受け付けている者として、また、日常で人と接してみて思うことは、絶望感を持って生きている人はかなり多い。SNSなどネットを通じてもそう感じます。

私も小学生の頃には、どこか冷めた感覚で人を見ていました。そういう見方は少し寂しさもあったり、近しい人からは、穿った見方はよくないことも言われてきました。でも、私だけということでもなく、絶望的な感覚を持っている人は、今では珍しくもないほど、社会も家庭も人間関係もボロボロなのだと思います。

絶望感を持っていると苦しさも生まれます。一度、この世の中、社会は、滅んだほうがいいと思いながらも、そうなって欲しくはないという葛藤が生まれるからです。そして、私と同じように感じている方は結構いるのではと思います。

絶望的な状況でも、生きていかなければいけないのが、人間です。自分自身の力で社会も自分も何とかしなくてはいけません。誰も助けてはくれない。

絶望的な状況に陥ったとしても、自分自身で底辺から這い上がって欲しい。それが難しい状況だとしても、苦しさ以上のものを掲げて、それを力にして、生きて欲しいです。

性被害者として「気持ちが悪い」と思われることが一番嫌だった

性被害者として「気持ちが悪い」と思われることが一番嫌だった

自分自身が性被害者だと認識できたのは、社会人になって性を意識してからでした。それまでは何をされたのか理解ができていなかった。子どもの頃に性被害を受けていたのなら、私と同じような感覚を持っている人は少なからずおられるのではないでしょうか。

それからです。人を避けるようになったのは。自分自身が性被害者だと認識してから、ひと目を気にするようになり、少しずつ人から遠ざかっていきました。人が怖かった。今でもそれはありますし、どうにもならないのもわかっています。

そして、一番嫌だと思ったことは、「気持ちが悪い」と思われることでした。経験を話すことで、避けられるのではなく、「気持ちが悪い」と思われることが嫌でした。きっとそんなふうに思う方は少数だと思いますが。

本当は被害を受けたら、周りに話すことが一番大事なことだと思います。話して助けを求め、二度と被害が起きないように。

しかし、被害者はきっと話さない。

だから、この世の中からは性の虐待は無くならないし、苦しむ子どもたちはもっと増えていくでしょう。子どもたちは、NOを言うこともできず、そもそも何をされているのかさえわからない。

それでも、子どもたちが性被害を受けることがない社会にしていきたいと思い、身近なところで性被害があることを、大人や親が認識していて欲しいなと思い、私もこうして経験を開示しています。

もしかしたら、あなたの隣にいる人が性被害者なのかもしれません。そういう認識を持っていただけましたら、私の経験も生きてきます。どうか、苦しむ子どもたちが増えないよう、身近な子どもたちを守ってください。注意深く見守り、気にかけてあげてください。