自己啓発と宗教

自己啓発と宗教

人は誰でも、自分自身を今よりももっと向上させたい、能力や思考を高めたいと思いますが、エホバの証人の時は自己啓発的なものをあまりよく思われていませんでした。むしろ避けたほうがいいということでした。

その理由は、私たち人間は神のしもべであり、奴隷であり、罪深い人間だからです。そして、神の教えのみで成長することが一番、神を喜ばす行動でした。自己啓発は世の教えも入ってきますので、このような理由からNGでした。

しかし、これではほぼ「洗脳」です。外部からの教えと比べたり精査することもなくなりますので、神の教え、聖書だけが完全な教えということになってしまいます。

人は良い悪いを自分自身で考察し、選択していかなくてはいけません。それが無い状態になりますので、外部からの情報で向上できないのであれば、それはとても危険といえます。考えることをやめなさいと言っているようなものです。

こういうことにも気づけなかったことに後悔をしていますが、都合が悪くなるから気づきたくなかったのでしょう。嘘の家庭の平和のために。波風を立てないために。

人間は、人生の中でいろいろなことを経験し、時には傷を負って学んでいくのだと思います。そのためにも自己啓発というワードで学んでいくことは、私は良いことだと思います。

しかし、現代の宗教勧誘の窓口が、自己啓発セミナーになっていますので、注意は必要です。しっかりと組織やグループの理念を知ることや、金銭的なトラブルが過去になかったか、宗教が関係していないかなど、参加される自己啓発セミナーの情報収集をしていただきたいと思います。

内海式精神構造分析で意識する要素

内海式精神構造分析で意識する要素

内海式精神構造分析法で精神分析する時に、意識する点はいくつかあります。その一つは、「フラクタル」つまり相似形です。周波数が同じであれば、同じ形を作り出します。この世にはいたるところに存在しており、採用されています。

例えば、同じ思想、近い思想を持っていると、その人との偶然の出会いがあったりしますが、それは偶然ではなく必然であり、周波数が同じ、もしくは近い周波数のため、引き寄ってきます。そういう経験をされた方はおられるのではないでしょうか。

そして、この周波数は、家庭内や家系にも現れてきます。ですから、フラクタル、同じようなところを内海式精神構造分析法で見つけていきます。そのフラクタル要素から分析して、問題の根源を見つけていきます。

私の家系で例えると、私は向精神薬でうつ病、躁うつ病が作られました。いわゆる「医原病」です。そして、実父も30代という若さで透析の手術をした後に突然亡くなってしまいました。はっきりとはわかりませんが、私としては医原病ではないかと考察しています。

父親が亡くなった年齢は30代。私が向精神薬を服用し自殺未遂をした年齢も30代。私は奇跡的に生きていますが、生死に関わる出来事としてここにもフラクタル要素があります。

そして、祖母の姉妹は自死されたそうですが、この方も、はっきりとは聞いていませんが、かなり若い年齢で自死されています。簡単に計算していくと30代だったのではないかと推察しています。

家族の病気にもフラクタル要素があったり、職業も同じ、もしくは似たような職種だったり、あらゆるところにフラクタル(相似形)は存在しています。

フラクタル要素を沢山見つけていくと、裏に隠れている、または隠したり封じたり演じていたりする精神性も見つけやすくなり、そこから人間関係や家庭問題、病気の問題の根本原因も見つけやすくなりますので、意識して欲しい要素です。

フラクタルや内海式精神構造分析法についての詳細は、心の絶対法則をお読みくだされば幸いです。
心の絶対法則/内海聡(著)

布教活動を偽装する現代の宗教組織

布教活動を偽装する現代の宗教組織

以前もブログ記事として書きましたが、現代の宗教は、布教活動、伝道活動において、宗教色を出さずに偽装して活動する組織が多いです。ですから、高校生や大学生という若者がターゲットになっています。

カルト宗教はあらゆる形態で潜んでいる

宗教の勧誘に大学生が狙われる理由

エホバの証人は明確に宗教組織ということを名乗って伝道活動していましたので、ある意味、いさぎよいといえます。

いさぎがよいですが、やはり不安や恐怖を煽って勧誘していたと思います。ハルマゲドンがもうすぐくる、エホバに信仰を抱いていないと滅ぼされる、今後、大地震や社会情勢が悪くなるなど、聖書を読んでいても恐怖心のため、エホバの証人の組織から出ることに躊躇されるかたもおられます。どうせこの世で死ぬのなら、このまま組織にとどまって死んだほうがまだいいと思うのです。

恐れや不安で宗教を行っているのなら、宗教の本質から逸脱しているようにも思えます。宗教とは、人生を豊かにするもの、生き方や考え方を見直すためのものではないでしょうか。自分自身や家族や次世代、七世代先の子孫の繁栄や幸せのために行うものだと思います。

人それぞれ宗教の概念があると思いますが、恐怖心や不安を煽らず、人をだますような偽装した活動にならない宗教でしたら、私はむしろ宗教は存在価値があると思っています。

今、仏教に関する書籍をいろいろと読んでいますが、結構、面白いですし、知らなかった歴史や背景から宗教を学ぶことは、自分自身の生き方や考え方を見つめ直す時間にもなっています。

キリスト教と仏教では、放蕩息子のたとえ話がどちらも出てきますが、親の対応がそれぞれ違うということも最近知りました。
教養としての仏教入門 身近な17キーワードから学ぶ (幻冬舎新書)/中村 圭志

宗教はもううんざりと思っていましたが、楽しい一面にも気づけてよかったです。

強がり

強がり

自分自身にもいえることですが、弱さや感情を見せないように強がる方は、現代社会では多いのかなと思います。

では、どうして強がりなのかと考えてみると、やはり、親が関係してきます。

親を悲しませたくない。
困らせたくない。
強いところを見せたい。
いい子なところを見せてあげたいなど。

子どもは親のためなら自分自身を消したり、封じたり、装ったりと、本来の自分の姿を変えていくのです。

強がりだけではなく、何かしらの特質が強調される場合、そして、それをやっていることで苦しさを感じてしまう場合は、親が関係していることがとても大きいので、親のためにその特質を出しているのではないかと、そういう視点で一度考えてみてください。

そして、その特質を、誰かのためにそうしているのではなく、自分発信にすることがよいと思います。自分自身が納得のいく状態でその特質を出しているのなら、生きづらさも生じてくることはないですし、時には誰かに甘えることも必要だと自覚することもできます。