あなたの幸せはあなたの中から発生した幸せですか?

あなたの幸せはあなたの中から発生した幸せですか?

みなさん、何かしらの幸せを感じることがあると思います。旅行をしてて幸せ、歌を歌っていて幸せ、何か学んでいることが幸せ、料理をしていることが幸せなど。様々な幸せの形があると思います。

でも、これが他者から受け取るものを重視した幸せだとどうなるでしょうか?幸福感を得たくて、相手に求めることばかり考えてしまうことになります。相手から受け取る幸せもあってよいのですが、そればかり重点を置くと共依存の関係になり、自分で努力も行動も取ることなく受け身の幸せになり、受け取っていないと不安にさえなるかもしれません。

幸せや喜びは自ら作り出してこそ満足感があり、また頑張ろうと勉強なり、遊びなり、自分軸で幸せを得ようと努力します。人に左右される幸せよりも、自ら作り出す幸せの方が確実に幸せが得られます。そして常に幸せであろうと能動的に努力するのではないでしょうか。

ホ・オポノポノで心と身体をクリーニング

ホ・オポノポノで心と身体をクリーニング

今、抱えている問題があるとして、その問題の本当の原因は、内なる自分がこれまで溜め混んできた記憶であって、記憶を消去する方法として「ホ・オポノポノ」がとっても有効だという方もおられます。

「ホ・オポノポノ」はハワイに伝わる伝統的な浄化法、解決法です。

・ごめんね
・許してください
・愛しています
・ありがとう

この言葉を唱えてクリーニング(浄化)するそうです。

紹介する動画の中では「お金」を例に話されていますが、これを人間関係に置き換えてもいいですね。

言葉も周波数です。自分の発する言葉を変えると身体に変化が起きるそうです。

心である精神を考えることが大事

心である精神を考えることが大事

ある方が「心身一如」という言葉の「心」と「身体」を数字化していました。

心 (内的要因)55
身体(外的要因)45

外的要因(身体)だけを考えるのではなく、内的要因(心、精神)を重要視することが大事であると言っておられました。

「心身一如」

心が先に書かれているので、心である精神を考えることが大事であることを言われていました。

心と身体は繋がっているので何かの思いが身体にたまり、症状として現れます。心だけのアプローチだけでは今ある症状の改善は見込めないし、身体のアプローチだけでも、100%の改善は難しい。どちらにも向き合い、上手にコントロールできるようになれば、症状は改善されます。

私の場合はほとんど心が原因でした。食事は素晴らしくはなかったのですが、一応、手料理で頑張っていました。でも、うつの時は作るのがとても辛く、闘病中の後半は惣菜の日が増えました。

まずは食事を変えようと、家族の勧めで調味料から変えていきました。しょうゆ、酒、みりん、味噌。シンプルな作りの調味料を選びました。嗜好品などはなるべく商品のラベルを見て、原材料の数の少ない、化学調味料の入っていないものを選びました。

調味料を変えてもこれといって身体が劇的に良くなったわけではありません。やはり、うつ状態、躁鬱状態、自律神経も乱れていました。

そこで減薬、断薬の情報が書かれてある書籍を知り、その書籍の内容から自分にこそ原因がありそれを納得し、薬を減らしていくことでうつ病の症状が改善していきました。私の場合は薬がかなり鬱っぽく、躁鬱っぽくしていたことがよくわかります。

これは人それぞれなのでなんとも言えませんが、私の場合は9割ほど心が原因だったと思います。深層心理に気づき、これが原因だったのかと納得して改善していきました。結局は自分が全て作っていた世界なのだと気付いたのです。

被害者意識という意識を捨てたのです。

その時気づいて、腑に落とし、その意識を手放すことはやろうと思えばできますが、またその後にもその感情は出てきてしまいます。それでも、自分が被害者ではなく、加害者なのだと納得するならば、以前ほどは心が乱されることはありません。

社会毒など外的要因も探す必要は大切ですが、内的要因である心と精神を見つめ直すことが最も重要なのです。

あなたの病気の病名は、出てきた結果に対してついてる病名です

あなたの病気の病名は、出てきた結果に対してついてる病名です

私の病名は、うつ病、躁うつ病、自律神経失調症などでした。

例えば躁うつ病。

気分がハイになったり、うつになったり、今日は良くても明日は不調、1日の中でも、朝は元気がなくて夜から調子がよくなり活動的になる、そんな感じでした。

躁うつ病という名前に意味があるのでしょうか?きっと病気ではなくても多くの方が、朝は元気が出ないけど夜は家に帰ったらほっとして元気になったりしませんか?

もし、病名を付けるのなら「気分が上がったり下がったりする病」とか「気分に波がある病」にしたら、少しは症状に目が向くのかもしれません。

そもそもすべての病名に意味はあるのでしょうか?

何でもかんでも現代は病名をつけたがります。病名を欲しがります。私も病名をもらえたことでゆっくり休める恩恵にあずかれました。この社会は誰でもすぐに病人、病気になれるようになっているのです。

病名に焦点が向くと出ている症状に目が向かなくなり、症状の原因が何なのか考えなくなるのではないでしょうか。原因を1番考えなければいけないところなのに。

病名は原因とはまったく無関係なのです。

「症状を愛せ」

私もそうでしたが、病気の時はとても症状を愛せるようなそんな心のゆとりはなかったのですが、身体は症状を出して何かに気づいてと訴えています。「何か無理していない?」「何かごまかしてない?」「言いたいことを大事な人に言えてないんじゃないの?」「今の自分は本当の自分?」「嫌いなことを無理に好きになっていない?」人それぞれ様々なことが考えられます。

まずは臭い物に蓋をするような、症状を薬で消して終わらせてしまうのではなく、症状に向き合い、その症状、身体の声に耳を傾けて、受け入れてあげてください。