子育てで悩んでおられる方へ

子育てで悩んでおられる方へ

私は子育てを始めた時、育児書を全く読みませんでした。今思えば、あれこれといろいろな子育て論を聞いておけばよかった。娘はもう20代半ばですがそう思うのです。

どうして聞けばよかったといえば、自分の子育ては、結局は親と同じようにしていたからです。親は母子家庭の中、本当に大変だったと思います。しかし、とてもさみしい思いもしました。そして、心理的には寄り添ってもらえていなかったと思います。必死に育ててはくれましたが、心がそばになかったのです。

そして、私も同じように娘を育ててしまいました。

人は親になった時、結局は、育てられたように育ててしまうのです。そのことだけでも知っていたら、子育ての下手な自分を知っていたら、同じようにせずに心に寄り添うよう気にかけて子育てをし、納得のいく子育てができたのかなとも思います。

子育てで悩みはそれなりにありました。でも、なにで悩んでいるのか、どうして子どもに強い愛を示せないのかなど、理由がまったくわからなかったので、とても苦しい子育てでもありました。

人の心は案外単純です。ただ気づかないふりをしていたり、隠すことで自分を守っていたりします。

もう子育てはしないと思いますが、子育て論を語る時は、小児科医の真弓定夫先生の考え方を取り入れています。子どもも大人も対等であり、子どものほうがとても賢いという考え方です。

子どもは本当に賢いです。胎児の頃から耳を傾け、生まれてからもまわりを観察し、大人以上に物事をしっかりととらえています。この世から大人たちがいなくなれば間違いなく平和になるのではないかというくらい、純粋で裏がなく賢く生きていけるのです。

大人は長く生きているだけにすぎません。子どもから学ぶことはたくさんあります。謙遜な態度で接すると、今まで見えなかったものが見えてくるでしょう。教えるのではなく、教えてもらうという心構えが、現代の大人、親には必要なのかもしれません。

起立性調節障害についての考察

起立性調節障害についての考察

最近、子どもたちに多い起立性調節障害。定義は、起立時にめまい、動悸、失神などが起きる自律神経の機能失調といわれています。その他の症状としては、疲れやすい、腹痛、吐き気、嘔吐、頭痛、胸痛、食欲不振、朝起きられないなどです。

あなたが当事者もしくは親の立場でしたら、病名ではなく、まずは出ている症状について考えてみてください。

例えば、朝起きれないのなら、起きたくない理由があるのです。それを子どもと一緒に話し合い、考えてみてください。疲れやすいのなら、頑張りすぎてきたのかもしれません。吐き気があるのなら、飲み込みたくない感情が隠れています。もしくは吐くことで栄養が足りない身体になるので、成長したくないのかもしれません。

何にしろ、起立性調節障害は若い子どもに起きているので、ほとんど親子間の問題であると思います。私は100%であると感じています。きっかけがいじめなど学校だったり、友だちだとしてもです。

そこから考えを変えなくては、結局は病名にとらわれてしまい薬で対処するだけになりますし、他者に原因をぶつけてしまい、自分には何も原因はないのだということになり、何も解決されないのです。最後は子どもだけが薬づけとなるだけなのです。

整体くららでは、東洋医学の有名な言葉である「心身一如」を重要視しています。これは心と体はひとつであるという意味です。 不快な症状や問題など本質の原因を、心(精神、思考)と身体(物質)の両面から一緒に探していきます。
自分が望む親の像

自分が望む親の像

私がこうありたいという親の理想像は、「子どもが人生で迷ったり、つまづいたり、悲しみや失望を感じたりした時に、安心してそのことを話せる人間でいたい」これが私が心がけている親の姿です。

子どもがおとなになれば、自分で考え、選択はできます。あれこれとアドバイスすることはきっとあまりないと思います。それよりも何でも話せることができる関係性でいたい。そう思い、そう願うのです。

人は最後は自分で選択しなければいけません。でもその道程のなかで、アウトプットは必要なことです。言葉に発することで自分は何を考え、何を思い、何を選ぶのか考えるのだと思います。自分を見つめることができます。自分だけでできる方もおられるでしょう。それでも話すことはよりいっそう自分を知ることができるので、もしかしたら、何かの答えを出す時は、話すということは近道なのかもしれません。

この親の理想像に近づくためには、よいコミュニケーションを常に取っておくこと、抑圧、コントロールしないということ、いくら親であってもそこに上下関係を作らないこと、このことを大事にしています。他にもあると思いますが、特にこの3つを大事にしています。

私の親もコントロールや〇〇しなさいという命令はほとんどなかったので、その点はとても感謝しています。人がコントロールするということは、コントロールされた側は「自分らしさ」を失ってしまうからです。そうしたらもう関係性はすぐに崩れてしまうでしょう。信頼を構築することは難しくなるのです。

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